石川三四郎(読み)イシカワサンシロウ

デジタル大辞泉 「石川三四郎」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐さんしろう〔いしかはサンシラウ〕【石川三四郎】

 
18761956()()()西  

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精選版 日本国語大辞典 「石川三四郎」の意味・読み・例文・類語

いしかわ‐さんしろう【石川三四郎】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎
いしかわさんしろう
(1876―1956)


9523190235()03()()()西E132E20272()33()4621



197779

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百科事典マイペディア 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎【いしかわさんしろう】

 
19021905191319201929西
 

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改訂新版 世界大百科事典 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎 (いしかわさんしろう)
生没年:1876-1956(明治9-昭和31)


190103退07102︿13P.E.2025西29341932

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石川三四郎」の意味・わかりやすい解説

石川三四郎
いしかわさんしろう

 
[]1876.5.23. 
[]1956.11.28. 
 () 1902退132033 (1912)  (35)  (439)   

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川三四郎」の解説

石川三四郎 いしかわ-さんしろう

1876-1956 明治-昭和時代の社会思想家,社会運動家。
明治9年5月23日生まれ。35年万朝報(よろずちょうほう)社に,のち平民社にはいる。福田英子の「世界婦人」の発刊をたすけ,無政府主義にかたむく。昭和2年共学社をもうけ,4年「ディナミック」を創刊。戦後,日本アナキスト連盟を組織。昭和31年11月28日死去。80歳。埼玉県出身。東京法学院(現中央大)卒。旧姓は五十嵐(いがらし)。号は旭山(きょくざん),不尽。著作に「西洋社会運動史」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石川三四郎」の解説

石川三四郎
いしかわさんしろう


1876.5.231956.11.28

()()()1913(2)E.20

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旺文社日本史事典 三訂版 「石川三四郎」の解説

石川三四郎
いしかわさんしろう

1876〜1956
明治末期〜昭和期の社会主義者
埼玉県の生まれ。海老名弾正のもとで洗礼を受ける。『万朝報』記者を経て1903年平民社に参加し,日露戦争の際非戦論を主張。のち木下尚江らとともにキリスト教社会主義の立場で活動した。大逆事件('10)後は実践活動から遠ざかり,アナーキズムの理論家として知られた。主著に『西洋社会運動史』など。

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世界大百科事典(旧版)内の石川三四郎の言及

【アナーキズム】より


1907︿20退56 M.

【マッツィーニ】より

… マッツィーニはリソルジメントの最大の推進者であったが,現実の結果は彼の期待に反するものとなり,失意のうちに生涯を閉じた。徳富蘇峰は明治期の書《吉田松陰》でマッツィーニを松陰の精神と横井小楠の理想を併せ備えた人物として紹介し,また石川三四郎はマルクスとは別の労働運動観に立つマッツィーニの思想に関心を示した。リソルジメント【北原 敦】。…

※「石川三四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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