良寛(読み)リョウカン

デジタル大辞泉 「良寛」の意味・読み・例文・類語

りょうかん〔リヤウクワン〕【良寛】

 
17581831()()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「良寛」の意味・読み・例文・類語

りょうかんリャウクヮン【良寛】

 

(一)()
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「良寛」の意味・わかりやすい解説

良寛
りょうかん
(1757/1758―1831)


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改訂新版 世界大百科事典 「良寛」の意味・わかりやすい解説

良寛 (りょうかん)
生没年:1758-1831(宝暦8-天保2)


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 稿2001400

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朝日日本歴史人物事典 「良寛」の解説

良寛

没年:天保2.1.6(1831.2.18)
生年:生年不詳
江戸後期の歌人,漢詩人。幼名栄蔵。越後国(新潟県)三島郡出雲崎の名主橘屋山本左門泰雄(伊織,号以南)の子として生まれる。享年73,74歳の両説が有力で,いずれも決め手に欠ける。誕生月を12月とする説も根拠不明。生年不詳とする所以である。以下,良寛の事蹟はさまざまな伝説,推測の中に埋没していて,事実を基に編年体の伝を立てるのは甚だ困難である。明和7(1770)年ごろに大森子陽の塾に入門し儒学を学ぶ。その後名主見習役に就いたが,実務家に適さない性格から役をなげうち,国仙和尚に従って備中国玉島(岡山県)の円通寺に向かった。出家の時期は不詳。またその後の事蹟も明らかではない。寛政8(1796)年ごろに帰郷,その後は故郷周辺を転々として生涯を終えた。弟子の貞心尼ほか周囲の人物の間接的な証言が,しかも断片的にしか伝わらないため,良寛の実像は今もって明らかではなく,生前すでに伝説的存在となった。 和歌や漢詩を非常に多く書き与えたためか,遺墨類はおびただしく,しかも重複するもので小異のある作品が多く,成立年代の考証は困難を極める。後人の編纂による詩歌集に拠らざるを得ず,自ら著述を残そうとしなかったこともあり,客観的な作品研究の余地がほとんどないのも特徴である。人間良寛の魅力があまりに大きく,評者,論者の理想とする良寛像が容易に築かれたため,推測による虚像が現実の素顔を覆ってしまった。歌人の面に限っても,その詠作活動があまりにも個人的で,歌壇史的究明が不可能なため,近世和歌史上に位置づけられない存在となっている。全集数種,研究書は膨大に存する。<参考文献>良寛全集刊行会『良寛伝記・年譜・文献目録』(『良寛全集』別巻1),宮栄二編『良寛研究論集』

(久保田啓一)

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百科事典マイペディア 「良寛」の意味・わかりやすい解説

良寛【りょうかん】

江戸後期の禅僧,歌人,書家。俗名山本栄蔵。号は大愚。越後出雲崎の名主兼神職の子に生まれた。18歳で出家,22歳ころから国仙和尚に従い備中玉島円通寺で10余年修業。その後各地に草庵を結び,47歳のとき越後国上(くがみ)山の五合庵に入った。生涯,寺をもたず托鉢によって生活し,法を説かずに感化を与え,郷党の深い尊信を受けた。《万葉集》を愛し,格調高く,しかも自在純真な歌を読み,書は懐素を慕って風韻に富んでいる。全集,歌集のほか評伝も多い。
→関連項目出雲崎[町]相馬御風分水[町]万葉調吉野秀雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「良寛」の意味・わかりやすい解説

良寛
りょうかん

[生]宝暦8(1758).越後,出雲崎
[没]天保2(1831).1.6. 越後,島崎
江戸時代後期の曹洞宗の僧,歌人。越後の名主の長男。名は栄蔵,のち文孝。字は曲 (まがり) 。安永4 (1775) 年あるいは同9年出家,大愚良寛と名のる。曹洞宗光照寺から備中玉島の円通寺に行き,国仙和尚のもとで 12年ほど修行し,国仙の死後諸国行脚をして帰国。国上 (くがみ) 山五合庵,国上山麓の乙子神社境内の草庵,島崎村の能登屋木村氏の邸内別舎などを転々,かたわら和歌に親しんだ。歌風は平明,率直な万葉調で,約 1200首が残る。長歌も知られる。文政9 (1826) 年若い貞心尼が弟子入りし,師弟の交情厚く贈答歌も多い。中央歌壇との交渉がなく,生前は一般には知られなかったが,明治末期~大正に評価が高まった。和歌のほか漢詩,書にすぐれる。作品に,和歌『布留散東 (ふるさと) 』 (自筆歌稿) ,『蓮の露』 (没後貞心尼編) ,漢詩『草堂集』 (2巻) ,『良寛道人遺稿』など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「良寛」の解説

良寛
りょうかん

1758.12.-~1831.1.6

江戸後期の漢詩人・歌人。禅僧。越後国出雲崎の名主山本泰雄の長男。幼名栄蔵。文孝(ふみたか)を名のる。良寛は剃髪後の名。通称作左衛門。字は曲(まがり)。五合庵(ごごうあん)・大愚(たいぐ)と号す。13歳頃,儒者大森子陽に就学,のち光照寺の玄乗破了に参禅。22歳のとき備中国玉島円通寺の大忍国仙について同寺に赴き,1790年(寛政2)師から印可の偈(げ)をうけた。その後は諸国を行脚し,47歳で越後国国上(くがみ)山の中腹五合庵に定住した。天性の詩才に恵まれて詩・歌に秀で,書は独自の光彩を放って珍重される。奇行で知られ,200近い逸話が伝わる。歌集「布留散東(ふるさと)」「蓮の露」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「良寛」の解説

良寛 りょうかん

1757/58-1831 江戸時代中期-後期の僧,歌人,書家。
宝暦7/8年生まれ。曹洞(そうとう)宗。越後(えちご)(新潟県)出雲崎の名主の子。備中(びっちゅう)(岡山県)円通寺の国仙の法をつぐ。のち帰郷して国上(くがみ)山の五合庵にすみ,托鉢の合間に詩歌や書をたのしんだ。詩集に「草堂集」,歌集に弟子の貞心尼編「蓮(はちす)の露」がある。天保(てんぽう)2年1月6日死去。74/75歳。俗名は山本栄蔵。字(あざな)は曲(まがり)。号は大愚(たいぐ)。
【格言など】うらを見せおもてを見せて散るもみぢ(辞世)

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旺文社日本史事典 三訂版 「良寛」の解説

良寛
りょうかん

1758〜1831
江戸後期の歌人・禅僧
俗称山本栄蔵。越後(新潟県)の人。出家して諸国巡歴ののち帰郷,人びとに敬愛され,奇行が多く,200近い逸話が伝わる。和歌・俳句・詩・書にすぐれ,特に万葉調の和歌で聞こえ,『蓮 (はちす) の露』『僧良寛歌集』『良寛漢詩集』がある。

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とっさの日本語便利帳 「良寛」の解説

良寛

 
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367日誕生日大事典 「良寛」の解説

良寛 (りょうかん)

生年月日:1758年10月2日
江戸時代中期;後期の歌人;漢詩人
1831年没

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