花郎(読み)かろう

精選版 日本国語大辞典 「花郎」の意味・読み・例文・類語

か‐ろうクヮラウ【花郎】

 

(一)  
(二) 
(三) ()()()
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「花郎」の意味・わかりやすい解説

花郎 (かろう)


15162001000540-576︿525514-5406︿︿︿︿

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「花郎」の意味・わかりやすい解説

花郎
かろう

朝鮮の新羅(しらぎ)時代、貴族の子弟からなる青年集団が奉戴(ほうたい)した美少年。またそうした習俗。朝鮮音でファランという。源流は原始韓(かん)族の男子集会舎に求められ、高句麗(こうくり)の扃堂(けいどう)も同様な性格のものと考えられる。6世紀の真興王代に美少年2人を粧飾(しょうしょく)して花郎とよび、それを中心に貴族の子弟を二分し、互いに対立して道義、歌舞、武技などを磨かせたのが始まりとされる。花郎の数は(したがって集団の数も)しだいに増え、新羅末期まで全代を通じて200余人はいたというが、名を伝えているのは三国統一の英雄金庾信(きんゆしん)など20余人にすぎない。機能は戦士団であり、教育機関であり、弥勒(みろく)信仰を奉ずる宗教的集会でもあり、新羅の発展に大きく寄与した。しかし高麗(こうらい)時代以降は変質し、李朝(りちょう)時代には男覡(だんげき)、倡優(しょうゆう)などの呼称となった。

[田中俊明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「花郎」の意味・わかりやすい解説

花郎
かろう
hwarang

 
 ( 540576)   ()   

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「花郎」の解説

花郎
かろう

新羅の青年戦士団およびその指導者
6世紀の真興王のとき整備されたと考えられる。朝鮮半島統一の際活躍し,宰相や将軍を輩出するが,統一達成後は堕落した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の花郎の言及

【新羅】より


562() (579632)

【川前里書石】より


︿ 

【年齢集団】より

… 東アフリカの年齢階梯制ほど整っていないにしても,年齢集団をもつ部族社会はメラネシア,ミクロネシア,インドネシアの若干の地域,東部インドのアッサム地方やムンダ諸族,ドラビダ系諸族,チベット,ミャンマーの若干,北アメリカの平原インディアンの一部,南アメリカではブラジル奥地のボロロ族などにみられる。日本の周辺では,台湾のインドネシア系高山族(山地民),ミクロネシアのヤップ島,パラオ島に顕著なものがあり,朝鮮では新羅時代の花郎(かろう)(ファラン)とよばれた貴族の青年戦士組織が特異な年齢集団であった。中国では,古くは先秦時代の加冠礼や男子集会所に年齢集団がみられるとする見解がある。…

【仏教】より

…五に曰く,殺生に択むあり〉である。臨戦無退と殺生有択を教えた世俗五戒は護国仏教のイデオロギーとなり,弥勒信仰とともに花郎道の精神的基盤となった。この伝統は高麗時代になって《高麗大蔵経》の彫造となって現れた。…

※「花郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ


12m7cm()...


コトバンク for iPhone

コトバンク for Android