藤原保則(読み)ふじわらのやすのり

朝日日本歴史人物事典 「藤原保則」の解説

藤原保則

 
7.4.21(895.5.19)
2(825)
(),,,,127(907),,,,,,,2(878),(,)(),,,,,,,4(892),  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原保則」の意味・わかりやすい解説

藤原保則
ふじわらのやすのり
(825―895)


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改訂新版 世界大百科事典 「藤原保則」の意味・わかりやすい解説

藤原保則 (ふじわらのやすのり)
生没年:825-895(天長2-寛平7)

平安前期の廷臣。左兵衛佐貞雄の子。866年(貞観8)以来備中・備前の国司として治績をあげ,善政をうたわれた。876年右衛門権佐,検非違使となり,ついで民部大輔,翌年右中弁となった。878年(元慶2)出羽権守となって鎮守将軍小野春風らとともに俘囚(ふしゆう)の反乱を平定。讃岐権守,大宰大弐を経て,891年(寛平3)左大弁に起用され,翌年参議に進む。晩年は仏道に心を寄せた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原保則」の解説

藤原保則 ふじわらの-やすのり

825-895 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天長2年生まれ。南家藤原乙叡(たかとし)の孫。父は藤原貞雄。元慶(がんぎょう)2年(878)出羽俘囚(でわふしゅう)の乱(元慶の乱)に際して出羽権守(ごんのかみ)となり,小野春風と協力して鎮定。従四位上にすすみ,寛平(かんぴょう)4年参議,5年民部卿をかねた。三善清行の「藤原保則伝」に,備前,備中(びっちゅう)での善政など,良吏像がえがかれている。寛平7年4月21日死去。71歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原保則」の意味・わかりやすい解説

藤原保則
ふじわらのやすのり

 
[]2(825)
[]7(895).4.21.
8 (886) 3 (887)  () 4 (892) 52 (878)   

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旺文社日本史事典 三訂版 「藤原保則」の解説

藤原保則
ふじわらのやすのり

825〜895
平安前期の公卿
参議。貞雄の子。866年以来,備中・備前の国司として治績をあげ,878年には出羽俘囚の乱を鎮圧。その後,伊予守・大宰大弐としての功績により参議,民部卿にまで累進した。この時代の代表的な良吏。

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