デジタル大辞泉 「観応」の意味・読み・例文・類語 かんのう〔クワンオウ〕【観応】 《「かんおう」の連声れんじょう》南北朝時代、北朝の崇光すこう天皇の時の年号。1350年2月27日~1352年9月27日。 かんおう〔クワンオウ〕【観応】 ⇒かんのう(観応) 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「観応」の意味・読み・例文・類語 かんのうクヮンオウ【観応】 (一)南北朝時代、北朝の崇光天皇の代の年号。貞和六年︵一三五〇︶二月二七日、代始により改元。南朝の後村上天皇の代の正平五~七年にあたる。将軍足利尊氏の時代。観応三年︵一三五二︶九月、文和(ぶんな)と改元された。出典は﹁荘子‐天地﹂の﹁以レ道汎観、而万物之応備﹂ かんおうクヮンオウ【観応】 ⇒かんのう(観応) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「観応」の解説 かんのう【観応】 日本の元号︵年号︶。室町時代︵南北朝時代︶の1350年から1352年まで、崇光(すこう)天皇の代の北朝が使用した元号。前元号は貞和(じょうわ)。次元号は文和(ぶんな)。1350年︵貞和6︶2月27日改元。崇光天皇の即位にともない行われた︵代始改元︶。﹃荘子(そうじ)﹄を出典とする命名。観応年間の南朝の天皇は後村上(ごむらかみ)天皇。南朝では正平(しょうへい)︵1346~1370年︶の元号を使用した。室町幕府の将軍は足利尊氏(たかうじ)︵初代︶。同年間、室町幕府内部では、尊氏側近の高師直(こうのもろなお)と尊氏弟の足利直義(ただよし)の対立が決定的になり、武力衝突が発生した。これを﹁観応の擾乱(じょうらん)﹂という。◇﹁かんおう﹂とも読む。 かんおう【観応】 ⇒観応(かんのう) 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報