改訂新版 世界大百科事典 「貴州省」の意味・わかりやすい解説 貴州[省] (きしゅう)Guì zhōu shěng 目次 自然 歴史 産業など 中華人民共和国西南部にある省。略称は黔︵けん︶,貴。北は四川省,重慶市,東は湖南省,南は広西チワン︵壮︶族自治区,西は雲南省と接する。面積17万6100km2。人口3525万︵2000︶で,37%以上を少数民族がしめる。2地区級市,4地区,3自治州からなり,さらにこれらが86県級行政地域︵6市轄区,11市,55県,11自治県,3特区︶に区分されている。人民政府所在地は貴陽市。 自然 貴州省はほぼ全体が貴州高原からなる。高原の平均標高は1000m,西部は1500~2000mで雲南の山地性高原部へ移行するが,両者をあわせて雲貴高原とすることも多い。北部には大婁︵だいろう︶山が東西に走る。山幅は広いが高原面にくらべ高度差は500m程度でなだらかな斜面をもつ。貴州高原の基岩のほとんどが揚子準卓状地の始原代~中生代または華南褶曲系古生代後期および中生代の炭酸岩系からなるため,カルスト地形が発達している。とくに最西部では円錐カルストをともなった山地性高原が,西部や中部ではウバーレ,塔カルストの凹凸ある地形があらわれ,南部から広西チワン族自治区にかけては地下洞,伏流がみられる。明の徐弘祖︵霞客︶は︽徐霞客遊記︾のなかで,嘉坑関郊外や雙明︵そうめい︶洞などでは地表水がくぼみに消え遠くの穴から再びわき出しているのを観察し,くぼみの上では塍︵うね︶でかこみ耕地に利用していることを記している。高原の山間には盆地が多く,地元では壩子︵はし︶とよび,安順,都勻︵といん︶などに人口が集中している。貴州高原はまた,河川の下刻作用をうけた典型的な開析平原でもある。高原には珠江水系の北盤江や長江︵揚子江︶水系の烏︵う︶江などが河谷を形成し,黄果樹瀑布や白水河瀑布などもあり急流をなしている。そのため波状の高原がつづき︿地に三里平らなし﹀といわれる。一方,貴州高原の気候は︿天に三日の晴なし﹀で,夏の赤道前線や冬に雲貴上空に生じる昆明準停滞前線のために雨が多く湿度も高い。したがって,土壌は黄色土,黄色レンジナ︵石灰岩土︶などが発達している。これは雲霧が多く,日照の少ない気候条件のもとで赤色土や石灰岩土が変化したものと考えられる。また植生では湿潤性の常緑広葉樹林が多く,石灰岩が露出している地域では乾燥性のものもある。 歴史 1964年,北西部畢節︵ひつせつ︶地区黔西︵けんせい︶県の観音洞で旧石器時代の遺跡が発掘された。ステゴドンなど動物化石のほか打製石器も出土している。その後いずれもカルスト洞の桐梓県の岩灰洞で︿桐梓猿人﹀と呼ぶ,旧石器中期の人の歯の化石が,硝灰洞などから古生人類の骨が,猫猫︵びようびよう︶洞で旧石器と現生人類の骨が発掘されている。また,威寧︵いねい︶イ︵彝︶族回族ミヤオ︵苗︶族自治県の中河や赫章︵かくしよう︶県などでは新石器時代の石斧や陶片もみつかっている。戦国時代貴州には郢︵えい︶を拠点とする楚の黔中︵けんちゆう︶が東部にあり,貴陽付近や西部,北部では且蘭︵しよらん︶や夜郎などが支配していた。秦・漢になると彼らは︿西南夷﹀と呼ばれ︽史記︾西南夷伝には先秦時代の西南夷の部族はみな氐︵てい︶の類なりとあり,多くは氐羌︵ていきよう︶族系の少数民族が居住するところであった。秦には黔中郡がおかれ,漢代には益州,荆州にかわり,武陵郡や牂牁︵しようか︶郡が設けられた。武帝の時代夜郎国も牂牁郡に属したが,帝が夜郎に使者を派遣したとき,夜郎王が“強大”な漢に対して自分達とどちらが大きいかと問い︿夜郎自大﹀の言葉を生んだことは有名である。またこのころから漢族が流入し開墾が進んだ。唐になると,漢族の中央統治のもと少数民族の族長を︿蛮酋︵ばんしゆう︶﹀などとして一定の自治を与える羈縻︵きび︶府州が設けられ,黔州,荘州などがおかれた。︿貴州﹀の名は621年︵武徳4︶にはじまる矩︵く︶州の現地音があいまいであったため,宋には貴州と書かれたことによるなどの諸説がある。1253年,元は雲南の大理を滅ぼし,雲南行中書省をおいたが,貴州はその一部が帰属し他は四川,湖広行中書省に分属した。この間,土司・羈縻の制度を活用し封建制を確立した。明代にはひきつづき雲南・四川・湖広の三布政使司に分属していたが,1413年︵永楽11︶に貴州布政使司がおかれた。清代になり貴州省にかわったが,雲南と共通の総督制がとられた。雍正の年代︵1723-35︶には西南の各地域で土司・羈縻の制度が改められ中央集権が強化された。民国になり貴州省政府主席が設けられ,雲南とともに西南の地歩が固められた。 産業など 貴州省はリン鉱産出,アルミニウム加工では国内最大級の生産地域である。また,四川省や陜西省とならび,1960年代初期の内陸の国防を重視した三線建設にもとづく兵器産業も活発であるが,改革開放体制の下,電子,自動車などハイテク産業への転換もみられる。しかし,GDPや農村の1人当りの収入は,全国でも下位にある。そのため,貴陽新空港を国際空港として開設し,交通インフラなどを整備して︿公園省﹀とも呼ばれる自然を活用した,観光による経済発展も目ざしている。貴陽は貴州の政治経済の中心で冶金・化学工業などが,都勻,遵義などには軽工業が発達している。また,1978年成立した炭鉱・鉄鋼都市六盤水のような新興都市もある。遵義地区仁懐県茅台鎮の茅台︵マオタイ︶酒は有名である。壩子では稲,トウモロコシなどが栽培され農業がさかんであるが,山地では段々畑や棚田︿望天田﹀も多く,水利の便はあまりよくない。また貴州省にはミヤオ,プイ︵布依︶,トン︵侗︶など48の少数民族が住む。解放前にはイ族の奴隷制,プイ族の父系家長制などが残っていたが,解放後民主改革を経,まず1956年7月黔東南ミヤオ族トン︵侗︶族自治州が成立,以後,民族独自の文化,習慣,ろうけつ染やじゅうたん生産などの手工業を尊重する民族地域自治政策がとられた。 執筆者‥駒井 正一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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