足利直冬(読み)アシカガタダフユ

デジタル大辞泉 「足利直冬」の意味・読み・例文・類語

あしかが‐ただふゆ【足利直冬】

 
()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「足利直冬」の意味・読み・例文・類語

あしかが‐ただふゆ【足利直冬】

 

(一)()()
 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「足利直冬」の意味・わかりやすい解説

足利直冬
あしかがただふゆ

 
[]?
[]41(1387).7.2.
 () 31 (1338) 45 (49) 4951 (50) 610西 ( ) 西971 (52) 2 () 11使93 (54) 5西2西 171 (62) 2  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「足利直冬」の意味・わかりやすい解説

足利直冬
あしかがただふゆ


()()1349458()()()()()()()135162()()1352711353使()1355()1366215128()14007

 

 19801965

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朝日日本歴史人物事典 「足利直冬」の解説

足利直冬

 

,3/1(1336),,4/3(1348),西1/5,,,西西,,西1/72,,,4/101,,2,2/18,,5/2112,1/4(1387),,7(1400)  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「足利直冬」の意味・わかりやすい解説

足利直冬 (あしかがただふゆ)


13494551西殿5512西6612殿

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百科事典マイペディア 「足利直冬」の意味・わかりやすい解説

足利直冬【あしかがただふゆ】

 
1349()1351西()1355西1366
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「足利直冬」の解説

足利直冬
あしかがただふゆ


()()1349(54)8()西()西西()54(39)退63(218)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足利直冬」の解説

足利直冬 あしかが-ただふゆ

 
?? 
()(),()()()西(),,,()4=()10(1355),(),()  

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旺文社日本史事典 三訂版 「足利直冬」の解説

足利直冬
あしかがただふゆ

 


1349 () 140074  

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世界大百科事典(旧版)内の足利直冬の言及

【近江国】より




 ()︿︿12738(10)︿()8

【観応の擾乱】より

… 1347年(正平2∥貞和3)楠木正行の率いる南朝軍が河内に挙兵し,直義党細川顕氏畠山国清を破ったが,高師直はみずから幕府軍を率いて48年1月正行を倒し,吉野に攻め入り行宮を焼いた。この戦果によってにわかに勢威を強めた師直に対抗するため,49年4月直義は養子足利直冬を長門探題として中国に送り,ついで側近の上杉重能・畠山直宗とともに師直打倒を図った。しかし師直は同年8月自党とともに幕府を囲み,尊氏に迫って直義を引退させ,重能・直宗を配流したうえ殺し,尊氏に勧めて嫡子義詮を鎌倉から呼んで政務にあずからせた。…

【九州探題】より

…1336年(延元1∥建武3),九州に敗走した足利尊氏が,筑前多々良浜合戦で勝機を得,大挙東上する際,一色範氏を九州にとどめて幕府軍を統轄させたのが始まり。その後この職にあったのは,南北朝期は一色直氏,足利直冬,斯波氏経,渋川義行,今川貞世と転変するが,両朝合一後は代々渋川氏であった。
[南北朝期]
 初代鎮西管領一色範氏は,一族を軍事指揮者として九州各国に派遣したが,46年(正平1∥貞和2)子息直氏を下向させ,以後は父子一体となってその政務をとる。…

【征西将軍】より


西 49(45)9西3西西352(71)11

【筑後国】より

…そのため幕府方は当国の宮方をしきりに攻め,38年(延元3∥暦応1)鎮西管領一色範氏は菊池氏討伐のため筑後に兵を進め,40年には佐竹義尚を派遣し,またみずからも当国を転戦した。49年(正平4∥貞和5)の足利直冬の九州下向によって,九州は幕府方,宮方,直冬方の3勢力に分かれて混乱したが,当国では荒木氏,三原氏らが直冬につくなど,直冬方が優勢であった。同年11月には直冬が詫磨(たくま)宗直を守護に補任した結果,幕府方の守護宇都宮冬綱とともに2人の守護が併立することになった。…

【筑前国】より

…範氏はたびたび帰京を幕府に願い出たが許されなかった。49年(正平4∥貞和5)の足利直冬の下向後,九州は幕府方,宮方,直冬方に3分されたが,直冬は知行宛行・安堵を通して国人層の結集を図り,少弐頼尚も直冬に味方するなど,当国では直冬方が優勢であった。51年(正平6∥観応2)ころ,少弐頼尚は守護職を室町幕府から解任され,かわって一色直氏が補任された。…

【備後国】より




 ()697(1)12

【山名氏】より


()()1337(24)(135256)2

※「足利直冬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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