道昭(読み)ドウショウ

デジタル大辞泉 「道昭」の意味・読み・例文・類語

どうしょう〔ダウセウ〕【道昭】

 
629700()()()()()()()()  

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精選版 日本国語大辞典 「道昭」の意味・読み・例文・類語

どうしょうダウセウ【道昭】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「道昭」の意味・わかりやすい解説

道昭
どうしょう
(629―700)


()()()()()6534()()()()()86606698211()()()4310()

寿 2017919

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朝日日本歴史人物事典 「道昭」の解説

道昭

 
4.3.10(700.4.3)
1(629)
722,1(877)1216() ,4(653)使,(),,()7(661),使(,),,,,(),,(),,,,  
()
 

道昭

没年:文和4/正平10.12.22(1356.1.24)
生年:弘安4(1281)
南北朝期の僧で,天皇の護持僧として知られる。一条家経の子と伝わる。行昭に学び,建武3(1336)年寺門派で初めて准三宮に任じられ,翌年北朝の 光明天皇の護持僧となる。皇室のためしばしば密教の修法を行う。のち園城寺長吏を勤めた。また熊野三山,新熊野の検校にもなる。著書に『胎密契愚鈔三昧流』2巻などがある。

(正木晃)

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改訂新版 世界大百科事典 「道昭」の意味・わかりやすい解説

道昭 (どうしょう)
生没年:629-700(舒明1-文武4)


6534使66171072

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百科事典マイペディア 「道昭」の意味・わかりやすい解説

道昭【どうしょう】

 
()()()653使()()()()
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「道昭」の解説

道昭
どうしょう

629~700.3.10

道照とも。7世紀の僧。河内国丹比郡の人。俗姓船連(ふねのむらじ)。飛鳥寺で得度。653年(白雉4)入唐し,玄奘(げんじょう)に師事して法相宗を学び,慧満から禅を学ぶ。661年(斉明7)帰朝。翌年元興寺に禅院を建立して将来した経論を収め,法相・禅を広めて日本法相宗の第一伝とされる。諸国をめぐって社会事業を進め,宇治橋架設にも関与した。薬師寺繍仏(しゅうぶつ)開眼の講師となり,698年(文武2)大僧都。遺命により大和国粟原(おうばら)で日本初の火葬に付されたという。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道昭」の解説

道昭(1) どうしょう

 
629700 ()
()(-)()()4()(),(),()(()),,()431072()()  

道昭(2) どうしょう

1281-1356* 鎌倉-南北朝時代の僧。
弘安(こうあん)4年生まれ。一条家経の子。天台宗。近江(おうみ)(滋賀県)園城(おんじょう)寺の行昭(ぎょうしょう)に師事。建武(けんむ)4=延元2年北朝の光明天皇の護持僧。園城寺長吏,四天王寺別当,熊野(くまの)三山検校(けんぎょう)などを歴任した。大僧正。准三宮(じゅさんぐう)。文和(ぶんな)4=正平(しょうへい)10年12月22日死去。75歳。著作に「胎密契愚鈔三昧流」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「道昭」の意味・わかりやすい解説

道昭
どうしょう

 
[]1(629)
[]4(700)
4 (653) 1 (661)   

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旺文社日本史事典 三訂版 「道昭」の解説

道昭
どうしょう

629〜700
7世紀後期の法相宗の僧
河内(大阪府)の人。行基の師。653年に入唐し,玄奘三蔵に師事した。在唐8年で帰国。元興寺に住し唯識学を講じ,日本法相宗の開祖となった。死後遺言により,遺体を火葬にしたが,これが日本における火葬のはじめといわれる。

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世界大百科事典(旧版)内の道昭の言及

【役行者】より


7()699(3)使使

【火葬】より


44(700)6,7702(2)

【俱舎宗】より

…インドやチベットにおいて《俱舎論》は,仏教教理学の必修科目としてさかんに研究・講義され,中国においても真諦(しんだい)三蔵によって《摂大乗論(しようだいじようろん)》などとともに漢訳され(566‐567),さらに玄奘(げんじよう)三蔵によって多数の唯識学系統の経論とともに再訳されて(654)以後,それぞれ摂論学派と法相唯識学派の学統において研究・講義され,いくつかの重要な注疏がつくられた。日本においては遅くとも道昭(661年帰朝,元興寺禅院の開祖)によって《俱舎論》および注疏が伝来されたであろうが,〈俱舎宗〉という学団が公的に制定されるのは,天平勝宝年間(749‐757)の東大寺においてではないかと考えられる。そのころ,この学団が大仏開眼供養にちなんで南都六宗の一つとして自宗関係の多数の経論を転読講説していることが知られる。…

【船恵尺】より


7

【留学】より


()使使7

※「道昭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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