金井延(読み)カナイノブル

デジタル大辞泉 「金井延」の意味・読み・例文・類語

かない‐のぶる〔かなゐ‐〕【金井延】

 
18651933  

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精選版 日本国語大辞典 「金井延」の意味・読み・例文・類語

かない‐えん【金井延】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金井延」の意味・わかりやすい解説

金井延
かないのぶる
(1865―1933)


()221()18851831調9011192514退1896調調19031902()19128813

 

1939

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改訂新版 世界大百科事典 「金井延」の意味・わかりやすい解説

金井延 (かないのぶる)
生没年:1865-1933(慶応1-昭和8)


G.A.189097調119191902

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百科事典マイペディア 「金井延」の意味・わかりやすい解説

金井延【かないのぶる】

 
G.A.18901925
 

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20世紀日本人名事典 「金井延」の解説

金井 延
カナイ ノブル

明治・大正期の経済学者 東京帝国大学教授。



生年
元治2年2月1日(1865年)

没年
昭和8(1933)年8月13日

出生地
遠江国磐田郡三川村(静岡県磐田市)

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
明治19年から23年にかけてドイツに留学し、帰国後は東京帝大法科大学教授となり、同大経済学部の初代学部長を務める。29年社会政策学会の創立に加わり、国家の労働者保護政策によって労資協調をはかって社会主義を阻止することを主張する。東大退官後は日本勧業銀行参与理事を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「金井延」の解説

金井延

没年:昭和8.8.13(1933)
生年:慶応1.2.1(1865.2.26)
明治期を代表する経済学者。静岡県出身。東大卒。帝大法科大学教授,同大学経済学部の初代学部長。退官後は日本勧業銀行参与理事につく。明治20年代には和田垣(謙三)・金井時代,明治30年代には金井・松崎(蔵之助)時代をきずき,東大での草創期の経済学を構築した重鎮中の重鎮。学風は社会政策学派のそれで,ワグナーやシュモラーの学問と思想を導入した功績は大きい。社会政策学会を組織し,社会問題,経済問題に積極的に発言するなどして,この学派を日本の経済学の主流に育てあげた。8人の子供にめぐまれたが,それぞれの名に経・国・済・民・正・義・勝・利の字を用いたことで知られる。娘国子は河合栄治郎の妻。<参考文献>河合栄治郎『明治思想史の一断面』,モーリス=鈴木『日本の経済思想』,『東京大学百年史 部局史1』

(藤井隆至)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金井延」の意味・わかりやすい解説

金井延
かないのぶる

[生]慶応2(1865).2.1. 遠江,見附
[没]1933.8.13. 大磯
経済学者,社会政策学者。東京大学卒業後,ドイツおよびイギリスに留学,A.ワーグナー,G.シュモラーなどに師事。 1890~1925年母校の教授として経済原論および社会政策を講義。国家主権を重視する歴史派経済学の日本における創始者として講壇経済学の主流を占めた。社会主義運動に反対し,日露戦争には開戦論を主張。社会政策学会の発足に力を尽し,事実上の会長的役割を果していた。主著『社会問題』 (1892) ,『社会経済学』 (1902) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金井延」の解説

金井延 かない-のぶる

 
18651933 -
()221,23(1890),881369()()  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「金井延」の解説

金井延
かないのぶる

1865.2.1~1933.8.13

明治・大正期の経済学者・社会政策学者。遠江国生れ。東大卒。ドイツに留学し歴史学派の理論を学ぶ。1890年(明治23)帰国直後に帝国大学法科大学教授となり,ドイツ社会政策学にもとづき,労資協調,国家による労働者保護を主張。社会政策学会の結成,帝国学士院会員としての活動,東大経済学部の創設(初代経済学部長)のほか,工場法の必要や日露開戦論,社会主義批判など社会的発言も活発に展開した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「金井延」の解説

金井延
かないのぶる

 
18651933

188690  

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「金井延」の解説

金井 延 (かない のぶる)

生年月日:1865年2月1日
明治時代;大正時代の社会政策学者。法学博士;東京帝国大学教授
1933年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の金井延の言及

【社会政策】より

…社会政策は資本主義体制の内部に生まれたものであって,その容認によってはじめて体制が維持されているという限りでは,資本主義体制の維持に役立ってはいるが,もともと社会政策が資本主義体制とは異質な社会的理念の産物であるからには,社会政策的獲得物が積み重ねられていけば,ついには資本主義体制を揚棄しうる道が開けてくると主張されたのである。 日本では,1890年代に金井延などによって新歴史学派の社会政策論が導入され,96年に社会政策学会の創立をみたが,大恐慌によって資本主義各国で社会政策が危機に陥った1930年代に社会政策に関する新たな理解が展開されることとなった。その代表的な理論家である大河内一男(1905‐84)によれば,近代の社会政策は,土地から切り離された貧民の浮浪化の抑止と労役場制度を中心とする労働者の育成策など資本主義の生成期にとられた労働力創出のための政策を前提とし,(1)幼少年・婦人などの過度労働を防止するための工場法,疾病・失業などの生活上の事故に対する保障としての社会保険など,労働力の継続的再生産を維持するための労働力保全策,(2)労働運動の勃興にともない,これを資本主義体制のうちに包摂していくために展開されてくる労働組合の法的承認と統制を中心とする産業平和策,の二つの類型をもっている。…

※「金井延」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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