デジタル大辞泉 「金森」の意味・読み・例文・類語 かなもり【金森】 姓氏の一。[補説]「金森」姓の人物金森宗和かなもりそうわ金森徳次郎かなもりとくじろう 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「金森」の解説 金森かねがもり 滋賀県:守山市金森村金森 金森惣道場を中心に形成された寺内町。﹁本福寺跡書﹂によれば、寛正六年︵一四六五︶の山門との合戦に際しては﹁城(しろ)ニモ銘(めい)誉(よの)ノ(つは)兵(もの)﹂が拠っており、この頃すでに城砦化していたことが知られる。天保七年︵一八三六︶の金森村絵図︵金森懸所蔵︶にも集落部をめぐる藪︵土塁︶と川︵濠︶が描かれており、﹁しろ下﹂の地名がみえ、現在も城(しろ)之(のし)下(た)の字名が残る。現在の金森懸所・善(ぜん)立(りゆう)寺︵もとは善龍寺とも︶・因(いん)宗(しゆう)寺と惣道場との関係は不明。鎌倉時代の宝塔︵国指定重要文化財︶が残る金森懸所︵御坊とも︶はもと金森御堂とも称され、永享三年︵一四三一︶の創建とされるが︵野洲郡史︶、蓮如が長禄四年︵一四六〇︶一月二一日妙道に下付した十字名号や、長享二年︵一四八八︶九月二八日唯道に下付した親鸞・存如連座絵像︵以上善立寺蔵︶の裏書には﹁金森惣道場﹂とみえ、三ヵ寺は﹁金森惣道場﹂として始まったと考えられる。金森善龍寺家之物語︵同寺蔵︶に﹁西善、従善、道善三人トシテ一寺ヲ勤タリ﹂とあるのは金森御堂をさすものと考えられ、善立寺・因宗寺の開基とされる道西坊善従とその一族が管理していたようである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
百科事典マイペディア 「金森」の意味・わかりやすい解説 金森【かねがもり】 滋賀県守山市の地名。室町〜戦国期には近江における一向宗︵浄土真宗︶の一大拠点で,金森惣道場を核に寺内町が形成されていた。1465年山門の攻撃で京都大谷本願寺を破却された蓮如は当地に逃れ,金ノ森道西︵のちの善従︶らは寺内町にたてこもって山徒と合戦に及んだが,︽本福寺跡書︾に︿城ニモ銘誉ノ兵﹀が拠っていたとあり,寺内町は城砦化していた。しかし,この時は蓮如の命により自焼して開城したという。1570年石山合戦が始まると,翌年当地には諸方の門徒が参集,本願寺から派遣された川那辺秀政の指揮下に入って戦ったが,8月下旬佐久間信盛の攻撃を受け,開城している。現在当地には,鎌倉時代の宝塔︵重要文化財︶を伝える金森懸所︵金森御坊︶のほか善立(ぜんりゅう)寺・因宗(いんしゅう)寺の3真宗寺院があるが,金森惣道場との関係ははっきりしない。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報