高野聖(読み)コウヤヒジリ

デジタル大辞泉 「高野聖」の意味・読み・例文・類語

こうや‐ひじり〔カウヤ‐〕【高野聖】

 
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精選版 日本国語大辞典 「高野聖」の意味・読み・例文・類語

こうや‐ひじりカウヤ‥【高野聖】

 

(一)[1]   
(一) 宿()()()
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(二) ( 姿 )    1712
(三) 1847
(四) 1775
(二)[2] 
 

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改訂新版 世界大百科事典 「高野聖」の意味・わかりやすい解説

高野聖 (こうやひじり)


10882姿

 西宿宿︿宿1383


高野聖 (こうやひじり)


1900332宿

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百科事典マイペディア 「高野聖」の意味・わかりやすい解説

高野聖【こうやひじり】

 
()()()()姿()姿︿
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高野聖」の意味・わかりやすい解説

高野聖(僧)
こうやひじり


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高野聖(泉鏡花の小説)
こうやひじり

泉鏡花の中編小説。1900年(明治33)2月『新小説』に発表。08年2月、佐久良書房刊。鏡花の生まれた石川県金沢は白山に近く、多くの伝説が語り伝えられている。『高野聖』もまた深山幽谷の山姫伝説を基盤に据え、絶妙な語りの形式をみせる。語り手は旅僧宗朝。雪の夜の敦賀(つるが)の宿で、旅僧は泊まり合わせた「私」に、かつて飛騨(ひだ)から信州へ越える山中で巡り会った、不思議なできごとを語って聞かせる。山中の孤(ひと)つ家に白痴の男と住む美女。若き日の宗朝はそこで妖(あや)しくも恐ろしい一夜を過ごすことになる。彼より一足先に山に入った富山の薬売りは蘆毛(あしげ)の馬に変えられたらしい。女はいよいよ美しく、孤つ家を照らすのは皓々(こうこう)たる月明。ロマン主義の香り高い作品である。

[笠原伸夫]

『『高野聖』(岩波文庫・旺文社文庫・角川文庫・新潮文庫)』『村松定孝著『泉鏡花』(1966・寧楽書房)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高野聖」の解説

高野聖
こうやひじり


()()()()()()1606(11)

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旺文社日本史事典 三訂版 「高野聖」の解説

高野聖
こうやひじり

 

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高野聖
こうやひじり

明治後期,泉鏡花の中編小説
1900年『新小説』に発表。高野山の旅僧が,飛驒山中で迷い,魔性の美女の誘惑をかろうじてのがれたという筋の浪漫文学の傑作。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高野聖」の意味・わかりやすい解説

高野聖
こうやひじり

 
 

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とっさの日本語便利帳 「高野聖」の解説

『高野聖』

泉鏡花
「参謀本部編纂の地図を又繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を附けた折本になってるのを引張り出した。\(一九〇〇)

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世界大百科事典(旧版)内の高野聖の言及

【有王】より

…鹿ヶ谷(ししがたに)事件で俊寛が流されてのち,鬼界ヶ島を訪ねてその最期をみとり,遺骨を高野山奥の院に納めて法師になった。諸国七道を修行して主の亡魂を弔ったとあるが,柳田国男は,有王の名が,特定の一人物の固有名詞というより,一群の高野聖(こうやひじり)たちの通り名だったと考えている。〈有〉はミアレ(神の誕生)のアレに同じで,有王とは神子を意味し,亡魂の消息をかたる語り手の通り名としてふさわしい。…

【石童丸】より

…西光寺の所在が妻科村石堂(現,長野市北石堂町)西光寺となっているのは,石堂に拠る聖と幼い主人公の因縁がしのばれる一つの証しである。高野山の萱堂聖や,善光寺周辺の石堂の聖の間で語られた話を統合したものに時宗化した高野聖の存在が考えられるが,彼らは高野山と善光寺を往還しながら説経《苅萱》の成立に深く関与したことはまちがいない。父が苅萱であることを生涯知らずに終わり,母や姉の死を見とどけて荼毘(だび)にするなど,《苅萱》の主題である家族の解体と死に最後まで立ち会ったのが石童丸であった。…

【苅萱】より



【三人法師】より



【俊寛】より

…有王は俊寛の遺骨を高野山に納めて出家し,諸国七道を修行して主の後世を弔ったという。柳田国男は伝承者としての有王の役割に注目して,有王の名が俊寛の亡魂の消息を語る高野聖たちの通り名だったとし,九州地方を中心に近畿・北陸にまで伝えられる俊寛・有王の伝説にしても,有王を称する複数の伝承者の足跡と無関係ではないとしている。富倉徳次郎は康頼を中心に語られる鬼界ヶ島説話の前半部に注目して,この説話の出所を,康頼が帰洛後住んだ東山の双林寺周辺に求めている。…

【聖】より


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※「高野聖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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