デジタル大辞泉
「修行」の意味・読み・例文・類語
しゅ‐ぎょう〔‐ギヤウ〕【修行】
1 悟りをめざして心身浄化を習い修めること。仏道に努めること。
2 托(たく)鉢(はつ)・巡礼して歩くこと。﹁全国を修行する﹂
3 学問や技芸を磨くため、努力して学ぶこと。﹁弓道を修行する﹂﹁武者修行﹂
[補説]3は﹁修業﹂とも書く。また、1・2も俗に﹁修業﹂と書くことがある。
[類語]修業・修養・修まる
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しゅ‐ぎょう‥ギャウ【修行】
(一)〘 名詞 〙 ( ﹁しゅ﹂﹁ぎょう﹂はそれぞれ﹁修﹂﹁行﹂の呉音 )
(二)① 実際に行なうこと。実践。︹漢書‐厳彭祖伝︺
(三)② 仏語。仏の教えに従って、身に習い実践すること。仏道をおさめ、善行を行なうこと。
(一)[初出の実例]﹁無相修行故即是波羅蜜﹂(出典‥勝鬘経義疏︵611︶摂受正法章)
(二)﹁未レ験二修行得道之聖一﹂(出典‥万葉集︵8C後︶五・八〇〇・序文)
(四)③ 仏語。主として托鉢(たくはつ)して諸国を歩くこと。巡礼。行脚(あんぎゃ)。遊行(ゆぎょう)。頭陀(ずだ)。執行(しゅぎょう)。
(一)[初出の実例]﹁如有下修二行天下諸寺一恭敬供養上﹂(出典‥続日本紀‐養老五年︵721︶六月戊戌)
(二)﹁東国は是仏法の初道なれは発心沙彌の故に修行すべき方なり﹂(出典‥海道記︵1223頃︶東国は仏法の初道)
(五)④ 学問、芸術などを身につけるように努力し学ぶこと。
(一)[初出の実例]﹁徳をつかんと思はば、すべからく、まづその心づかひを修行すべし﹂(出典‥徒然草︵1331頃︶二一七)
(二)﹁飽くまで学問を脩行(シュギャウ)させて﹂(出典‥当世書生気質︵1885‐86︶︿坪内逍遙﹀四)
(六)⑤ 芸術、武道などを練磨するために、諸国をめぐり歩くこと。
す‐ぎょう‥ギャウ【修行】
- 〘 名詞 〙 ( 「す」は「しゅ」の直音表記 ) 仏の考えに従って道を修め苦行すること。しゅぎょう。
- [初出の実例]「去ぬる七月より、す行にまかりありくに」(出典:宇津保物語(970‐999頃)忠こそ)
- 「行にゆるされて尼となり、豊苑比丘尼と改め、すぎゃうまめやか也」(出典:読本・春雨物語(1808)捨石丸)
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修行
しゅぎょう
仏道修行ということばで代表されるように本来は宗教上の目的実現のために課せられた身心鍛練の組織的な実践である。ひとり仏教ばかりでなく、カトリック僧院の修道生活、イスラム教徒に義務づけられた種々の行法︵たとえば断食(だんじき)や巡礼など︶、またわが国の神道(しんとう)にみられる禊(みそぎ)の錬成から、未開宗教の職能的祭祀(さいし)者や呪術(じゅじゅつ)師における霊力獲得の修法に至るまで、世界の宗教史の幅広い領域でこの語が使用されている。その底には、各宗教の奥義や秘術の体得あるいは宗教者としての高度な人格の完成は、一定の規範に基づいた厳しい実践がなければ達せられないという共通の認識がある。
また宗教の世界ばかりでなく一般の世俗社会でも、諸芸諸道に熟達するために師匠を求めて腕を磨くことを修行という。この場合でも単に技を習得するのみでなく、技とともに人間をもつくるという精神的意味が含まれていたが、近年この意義はきわめて希薄となり、修行は修業あるいは習業への傾斜を強めている。
﹇松本晧一﹈
前述の目的実現のため多くの宗教はさまざまな倫理的実践項目や宗教上の生活規範を設けている。それらの多くは厳しい禁欲克己的な内容をもっており、一般に戒律や行持(ぎょうじ)規範などといわれているが、身体の実践を通して精神をコントロールしようとする身心相関の考え方を基調とする。
煩悩(ぼんのう)の基盤としての肉体を意図的に徹底して苦しめる場合は、苦行といわれるが、修行がすべて苦行とは限らない。たとえば仏陀(ぶっだ)によって説かれた原始仏教の修行は、難易いずれの両極端を避けた中道主義という。しかし、修行は、自律・他律のいずれであっても、ある特定の行為の枠の中へ自らの生活を当てはめていくのであるから自由放縦は許されず、その意味ではいかなる修行にも苦行的要素は存するものといえる。修行者にとっての真の自由とは、生活を規制する枠の中にあって、しかもその枠を超えたところにみいだされるのであり、そこで体得される喜びは修行の枠が厳しければ厳しいほど大きいものとなる。修行の魅力はそこにあり、一般に修行者が易行よりも難行を求める傾向もここに一因する。
﹇松本晧一﹈
宗教修行の形式は教理や教団の伝統によって異なる。静坐(せいざ)や瞑想(めいそう)、断食のような静態的なものから、山岳の登攀(とうはん)や回峰、聖地の巡礼や托鉢(たくはつ)のように動的なものもある。また単独で行うもの、集団で組織的に行うもの、屋内と屋外の修行の場の相異などさまざまあるが、元来、宗教修行の一つの特徴は礼拝や口唱のように理屈を抜きにした単純な身体行為の反復実践にあった。
今日の宗教修行の形態はそうしたもろもろの基本的な修行行為が複合した体系であり、儀礼や祭祀その他の宗教諸行事にかかわっている面が多い。その意味では、宗教修行の形態は様式化された一つの文化である。修行は文化として伝承されてきたこの行動様式︵戒律や規範︶にのっとって行われることになる。超越的絶対者との合一体験や内在的真理の体現を目ざす宗教においては、とくに修行のもつ意義が強調され、修道院や僧堂などの集団修行の場では、こうした修行の行為規範が厳重に維持されなければならない。宗教修行の本領は、宗教上の理想実現のためこうした行為規範を自らの問題として受け入れ、積極的に自己を規制してゆくことにある。
﹇松本晧一﹈
﹃﹃岸本英夫集3 信仰と修行の心理﹄︵1975・渓声社︶﹄▽﹃日本仏教学会編﹃仏教における行の問題﹄︵1965・平楽寺書店︶﹄▽﹃佐々木宏幹他編﹃現代宗教4 修行﹄︵1981・春秋社︶﹄▽﹃山折哲雄著﹃日本宗教文化の構造と祖型﹄︵1980・東京大学出版会︶﹄
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修行 (しゅぎょう)
肉体を訓練し,その生理的欲求に禁圧を加えることを通して,精神の安定および神的なものとの交流や合一を達成しようとする自覚的な行為。武術や運動,技芸や道徳,そして宗教など多領域で用いられるが,ここでは宗教における修行について述べる。なお,学術・技芸を習い修める場合には︿修業﹀の語をあてることがある。
未開宗教では成人式や秘密結社への入団式にさいして,隔離された状態のなかで割礼や断食などの試練が課せられる。古代宗教ではギリシアのオルフェウス教やその影響をうけたピタゴラス教は霊肉二元論に立ち,身体上のきびしい禁欲を守ることによって霊魂と神との合一を得ようとする密儀宗教を発達させた。この考え方はのちのキリスト教やイスラム教にも大なり小なり影響を与えたが,キリスト教では神秘主義的な黙想と祈りを中心とする中世期の僧院で,とくに禁欲的な修行が重んじられた。これにたいして東洋では霊肉一元論に立つヒンドゥー教のヨーガや仏教の場合にみられるように,生理・心理的な訓練と禁欲がそのまま霊的に統合された理想的な身体︵悟り,解脱の状態︶を生みだすと考えられた。したがってひと口に修行を通しての神秘体験といっても,その点でキリスト教と仏教は大きく相違している。また修行の種類としては精進,懺悔,独居,祈り,巡礼,山林抖擻︵とそう︶,水行︵滝行︶,座禅,観想などさまざまな方法があげられるが,それらのなかでもっとも重要なものが性交の禁止と断食である。前者は性を乗り越えることによって︿人間﹀を離脱しようとする行為であり,後者は栄養の停止によって︿死﹀に接近しようとする行為であるが,この逆説的な禁欲の遂行のなかに神の啓示がおとずれ,霊的な変身が実現されるのである。なお,修行のうちとくにきびしく,苦痛を伴うものを苦行,荒行などと称することがある。
執筆者‥山折 哲雄
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普及版 字通
「修行」の読み・字形・画数・意味
【修行】しゆうこう(しうかう)
修める。︹史記、宋微子世家論賛︺襄
の時、仁義を修行し、![](/image/dictionary/jitsu/gaiji/14/119d88.gif)
爲(た)らんと欲す。其の大夫正考
、之れを美とす。故に
(せつ)・湯・高宗、殷の興る
以(ゆゑん)を![](/image/dictionary/jitsu/gaiji/14/1197e2.gif)
し、![](/image/dictionary/jitsu/gaiji/14/119389.gif)
を作る。
字通﹁修﹂の項目を見る。
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修行【しゅぎょう】
宗教において,神聖な存在と関連して,宗教的生活の統制,調節,規定などを実現するための精神的・肉体的行為。仏教では古くから重視され三学と八正道が基本とされ,禅定・観法・密教修法などはそれぞれの教義に基づいて組織された。キリスト教では柱頭行者,隠修士などに代表される禁欲主義的修行が重視され,荒野における修行や修道院生活を生み出す大きな要因となった。
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修行
しゅぎょう
仏教の究極的な目的である悟りを開こうという決意のもとに,仏陀の説いた教えを身をもって実践すること。
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