鴻池善右衛門(読み)コウノイケゼンエモン

デジタル大辞泉 「鴻池善右衛門」の意味・読み・例文・類語

こうのいけ‐ぜんえもん〔‐ゼンヱモン〕【鴻池善右衛門】

 
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精選版 日本国語大辞典 「鴻池善右衛門」の意味・読み・例文・類語

こうのいけ‐ぜんえもん‥ゼンヱモン【鴻池善右衛門】

 

(一)
 

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朝日日本歴史人物事典 「鴻池善右衛門」の解説

鴻池善右衛門(初代)

 
6.1.26(1693.3.2)
13(1608)
()8,,(),,,5(1619), 2(1625)(),,(),,西,100,,,,綿,,,,,()3(1650),, 2(1656),,,,,10(1670),(,),,,,2(1674),,2,,退,,,,,,,,10,簿,,簿62,3,(),,86婿,,,,,,,,,<参考文献>  
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鴻池善右衛門(3代)

没年:元文1.7.12(1736.8.18)
生年:寛文7(1667)
江戸期の大坂の豪商鴻池善右衛門の3代目。宗利と称す。同家2代目喜右衛門之宗の長男,元禄8(1695)年,28歳で家督を相続。鴻池家の事業は,宗利が生まれたころには次第に大名貸専門の両替商経営に特化していたが,宗利はさらにこれを発展させ,元禄期においては,32藩と金融上の取引関係を持つに至り,これらの藩の蔵屋敷の掛屋・蔵元・立入に任ぜられた。大名貸経営は良好で,宗利の時代に鴻池は絶頂期を迎え,資産は寛文10(1670)年の銀204貫から,宗利の代の享保3(1718)年には銀3万8205貫と増加した。この蓄積をもとに,宝永2(1705)年からは旧大和川流域の新田開発に着手し(鴻池新田),地主経営にも乗り出した。享保1年に開始し,同17年に完成した宗利による「家定記録覚」はその後明治期まで同家の経営の方針を定める家訓となった。3代善右衛門は豪商鴻池家の盤石の基礎を固めた人物であったといえる。<参考文献>宮本又次『鴻池善右衛門』,安岡重明『財閥形成史の研究』

(宮本又郎)

 

(10)

 
9.6.16(1920)
12(1841)
10,3(1846),9,4(1851),11,,,(1877),,,,,,,, ,<参考文献>  
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改訂新版 世界大百科事典 「鴻池善右衛門」の意味・わかりやすい解説

鴻池善右衛門 (こうのいけぜんえもん)
生没年:1608-93(慶長13-元禄6)


鹿161511719252185628813223

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百科事典マイペディア 「鴻池善右衛門」の意味・わかりやすい解説

鴻池善右衛門【こうのいけぜんえもん】

 
1608-1693鹿16501656231667-1736168832101841-192018771897西  

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20世紀日本人名事典 「鴻池善右衛門」の解説

鴻池 善右衛門(11代目)
コウノイケ ゼンエモン

明治〜昭和期の実業家,男爵 鴻池銀行創立者;鴻池合名創立者。



生年
慶応1年5月25日(1865年)

没年
昭和6(1931)年3月18日

出身地
大阪府大阪市

本名
鴻池 幸方(コウノイケ ユキカタ)

経歴
10代目鴻池善右衛門の長男。明治17年家督を相続し、第十三国立銀行頭取、大阪倉庫社長に就任。30年国立銀行を鴻池銀行とし、33年合名組織に、大正8年には株式組織に改変し隆盛に導いた。10年鴻池合名会社を興し、有価証券の売買、土地家屋の賃貸譲渡などを経営した。以後、関西金融界において確固不動の地位を築く。明治44年男爵。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鴻池善右衛門」の意味・わかりやすい解説

鴻池善右衛門
こうのいけぜんえもん

江戸時代以来、大坂の豪商であった鴻池家当主の通称。初代善右衛門(正成(まさなり))は、始祖鴻池新六(しんろく)の八男であった。2代目の之宗(ゆきむね)は喜右衛門(きえもん)を名のったが、3代以降、代々善右衛門の名を継いだ。

[川上 雅]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鴻池善右衛門」の解説

鴻池善右衛門(10代) こうのいけ-ぜんえもん

1841-1920 幕末-明治時代の実業家。
天保(てんぽう)12年8月2日生まれ。鴻池家の一族山中又七郎の長男。9代鴻池善右衛門の養子となり,嘉永(かえい)4年鴻池家10代。幕府による軍用金の徴発,諸藩への貸付金の廃藩置県にともなう貸し倒れなどにくるしむ。明治10年第十三国立銀行(のち鴻池銀行)を設立。大阪倉庫の設立にくわわった。大正9年6月16日死去。80歳。名は幸富。

鴻池善右衛門(3代) こうのいけ-ぜんえもん

1667-1736 江戸時代前期-中期の豪商。
寛文7年生まれ。2代鴻池善右衛門の長男。両替業とおおくの大名への貸し付け(大名貸し)で巨万の富をきずく。また河内(かわち)(大阪府)に新田を開発。幕府の御用もつとめた。元文元年7月12日死去。70歳。大坂出身。名は宗利。
【格言など】家業以外は,どんなに儲けが大きくても,ほかの商売はしないこと(家訓)

鴻池善右衛門(初代) こうのいけ-ぜんえもん

1608-1693 江戸時代前期の豪商。
慶長13年生まれ。鴻池新右衛門の8男。大坂の人。慶安3年家業の酒造業と海運業をつぐ。明暦2年から両替商をはじめ,幕府から十人両替に指定された。俳諧(はいかい)をこのみ,井原西鶴とまじわった。鴻池善右衛門家の祖。元禄(げんろく)6年1月26日死去。86歳。名は正成。幼名は新九郎,九蔵。

鴻池善右衛門(2代) こうのいけ-ぜんえもん

1643-1696 江戸時代前期の豪商。
寛永20年生まれ。初代鴻池善右衛門の次男。寛文3年鴻池家2代となり,両替業を拡充する。のち岡山藩,広島藩などの掛屋,蔵元となる。3代以降の当主は代々善右衛門を名のったが,2代は喜右衛門でとおした。元禄(げんろく)9年5月2日死去。54歳。大坂出身。名は之宗。

鴻池善右衛門(11代) こうのいけ-ぜんえもん

1865-1931 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応元年5月25日生まれ。10代鴻池善右衛門の長男。明治17年家督をつぎ,第十三国立銀行頭取となる。30年鴻池銀行(のち三和銀行)を設立,大正10年鴻池合名会社をおこした。昭和6年3月18日死去。67歳。大坂出身。初名は善次郎,のち幸方。

鴻池善右衛門(9代) こうのいけ-ぜんえもん

1806-1851 江戸時代後期の豪商。
文化3年生まれ。8代鴻池善右衛門(幸澄)の子。家業をつぎ両替商をいとなむ。茶道を10・11代千宗左にまなび,多数の名器を収集した。嘉永(かえい)4年6月20日死去。46歳。大坂出身。名は幸実。号は炉雪。

鴻池善右衛門(4代) こうのいけ-ぜんえもん

1698-1745 江戸時代中期の豪商。
元禄(げんろく)11年生まれ。3代鴻池善右衛門の長男。7代千宗左に茶の湯をまなび,多数の名物をあつめた。延享2年10月23日死去。48歳。大坂出身。名は宗貞。号は宗羽,練磨斎。

鴻池善右衛門(5代) こうのいけ-ぜんえもん

1717-1764 江戸時代中期の豪商。
享保(きょうほう)2年生まれ。4代鴻池善右衛門の長男。享保15年家をつぐ。茶道をたしなんだ。宝暦14年3月26日死去。48歳。大坂出身。名は宗益。号は洗耳斎。

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世界大百科事典(旧版)内の鴻池善右衛門の言及

【鴻池新田】より

…1704年(宝永1)竣工した大和川付替工事の後に,旧川敷,沼沢地跡を開発して創出された30余の新田の一つ。河内国若江郡の北東隅(現,東大阪市)に位置している。大坂の豪商鴻池家の3代目善右衛門宗利の資力によって旧大和川支流(玉串川)の流末沼沢地の一部を干拓して造成した。町人請負新田の代表例とされている。開発経緯は,05年正月に地代金を上納,同年5月着工,鍬下年季年を経て07年8月に完成した。検地高870石3升8合,面積120町1反6歩であった。…

【御用達】より


西10

※「鴻池善右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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