稀代の小説家、織田作之助と自由軒の繋がりとは?
自由軒と織田作之助
大正から昭和へと時代が変わり、十数年経った頃、一人の男性が自由軒を訪れるようになりました。彼の名は織田作之助、後に不朽の名作﹁夫婦善哉﹂を生み出すことになる稀代の小説家です。通称﹁織田作﹂として親しまれる彼と、自由軒は密接に関わっていました。こちらでは、自由軒と織田作之助の関係についてご紹介いたします。
名物カレーと織田作之助
−織田作之助−大阪庶民の生活を通じて、人間が生きるうえでの悲しさやはかなさ、そして喜びを書いた作家です。
彼は自由軒の常連として、毎日のように名物カレーを食べていました。そして、店内で構想を練っていた小説が、彼の出世作﹁夫婦善哉﹂でした。
日本文学の最高峰として、現在でも多くの人の心を掴んでいるこの作品には、こんな一説があります。
この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。﹁自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい﹂とかつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、いきなり甘い気持が胸に湧︵わ︶いた。
あくる日、二人で改めて自由軒へ行き、帰りに高津のおきんの所へ仲の良い夫婦の顔を出した。
ここに登場する﹁玉子入りのライスカレー﹂。これはもちろん、名物カレーのことを指します。
庶民の世界を生き生きと描いた彼にとって、庶民の人気メニューである名物カレーを小説に登場させることは、必然的だったのではないでしょうか。
現在も、自由軒本店には、小説を書く織田作之助の写真が飾ってあります。これは彼が来店した際、二代目店主・吉田四郎がいただいたものです。その額縁にはこんな言葉が刻まれています。
トラは死んで皮をのこす、織田作死んでカレーライスをのこす
この世を去るまで、自分のスタイルを貫き通した織田作之助。そんな彼と同様、名物カレーも時代が変わってもこの味を守り続けていきます。
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