「クルド民主統一党」の版間の差分
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{{政党|国名=シリア|党名=クルド民主統一党|公用語名=Partiya Yekîtiya Demokrat[[クルド語|(クルド語)]]<br/>حزب الاتحاد الديمقراطي|党首氏名=[[サレフ・ムスリム・モハメド]]|党首職名=党リーダー|政治的思想・立場=[[左派]]<br/>[[共産主義]]<br/>[[民主連合主義]]<br/>[[リバタリアン社会主義|リバタリアン左派]]<br/>[[クルド人|クルド人の権利]]|国際組織=[[社会主義インターナショナル]]|ロゴ=[[File:PYD logo.svg|200px]]}} |
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{{Infobox 組織 |
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| 名称 =クルド民主統一党 |
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⚫ | '''クルド民主統一党'''(クルドみんしゅとういつとう、[[クルド語]]: Partiya Yekîtiya Demokrat, PYD; [[アラビア語]]: حزب |
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الاتحاد الديمقراطي)は、[[シリア]]で活動する[[クルド人]]の[[政党]]。'''シリア・クルド民主統一党'''、'''民主統一党'''とも表記される。 |
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| 画像説明 = |
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| 略称 = PYD |
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| 設立 = [[2003年]] |
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| 廃止 = |
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| 種類 = [[政治団体]] |
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| 地位 = |
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| 目的 = 自治権の確立 |
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| 本部 = {{SYR}} |
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| 位置 = [[クルド民族主義]]<br/>[[民主主義]] |
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| 貢献 = |
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| メンバー = |
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| 言語 = [[アラビア語]]<br/>[[クルド語]] |
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| リーダー = [[サレフ・ムスリム・モハメド]]<br/>[[アスィア・アブドゥッラー]] |
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| 人物 = |
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| 機関 = |
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| 設立者 = |
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| 関連組織 =[[クルディスタン労働者党]](母体)<br/>[[クルド人民防衛隊|人民防衛隊]](下部組織、軍事部門) |
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| スタッフ = |
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| ボランティア = |
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| 予算 = |
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| ウェブサイト = |
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| 補足 = |
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⚫ | '''クルド民主統一党'''(クルドみんしゅとういつとう、[[クルド語]]: Partiya Yekîtiya Demokrat, PYD; [[アラビア語]]: حزب |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[ファイル: Saleh Muslim.jpg|thumb|180px|PYDの指導者の[[サレフ・ムスリム・モハメド]]<ref name=koan>{{cite web|url= http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/PYD_YPG.html|title=﹁民主統一党﹂︵PYD︶ |work=[[公安調査庁]]|accessdate=2015-2-28}}</ref>。]]
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[[ファイル: Saleh Muslim.jpg|thumb|180px|PYDの指導者の[[サレフ・ムスリム・モハメド]]<ref name=koan>{{cite web|url= http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/PYD_YPG.html|title=﹁民主統一党﹂︵PYD︶ |work=[[公安調査庁]]|accessdate=2015-2-28}}</ref>。]]
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シリア・クルド民主統一党︵以下﹁PYD﹂︶はトルコのクルド分離主義組織[[クルディスタン労働者党]]︵PKK︶の分派として2003年に結成された。主にクルド人住民が多いシリア北部︵西クルディスタン︶で活動 |
シリア・クルド民主統一党︵以下﹁PYD﹂︶はトルコのクルド分離主義組織[[クルディスタン労働者党]]︵PKK︶の分派として2003年に結成された。主にクルド人住民が多いシリア北部︵西クルディスタン︶で活動している。現在の指導者は[[サレフ・ムスリム・モハメド]]とアスィア・アブドゥッラー。軍事部門として﹁'''[[クルド人民防衛隊]]'''﹂︵YPG︶を擁している<ref name=koan/><ref name=synodos>{{cite web|url= http://synodos.jp/article/12939|title=オランド仏大統領、シリアのクルド組織・民主統一党︵PYD)と面会 / Hurriyet紙SYNODOSが選ぶ﹁日本語で読む世界のメディア﹂︵東京外国語大学︶ |work=[[SYNODOS]]|accessdate=2015-2-28}}</ref>。
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冷戦下の1970年代に登場したPKKが当初[[マルクス・レーニン主義]]を掲げていたため、その分派であるPYDは過激なイスラム組織と対立していた。 |
[[冷戦]]下の1970年代に登場したPKKが当初[[マルクス・レーニン主義]]を掲げていたため、その分派であるPYDは過激なイスラム組織と対立していた。 |
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2012年以降、クルド人が多数派を占めるシリア北部を事実上支配している<ref name=ap1>{{cite web|url= http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/09/24131024.php|title=【解説】イスラム国に包囲されるシリアのクルド人(1) |work=アジアプレス・ネットワーク|accessdate=2015-2-28}}</ref>。 |
2012年以降、クルド人が多数派を占めるシリア北部を事実上支配している<ref name=ap1>{{cite web|url= http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/09/24131024.php|title=【解説】イスラム国に包囲されるシリアのクルド人(1) |work=アジアプレス・ネットワーク|accessdate=2015-2-28}}</ref>。 |
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[[第一次世界大戦]]で[[オスマン帝国]]が敗れたことにより、[[フランス]]・[[イギリス]]がこの地に恣意的な国境線を引いたため([[サイクス・ピコ協定]])、クルド人居住地域は[[トルコ]]・[[イラク]]・[[イラン]]・[[シリア]]・[[アルメニア]]などに分断された。また、いずれの国でも民族的に少数派であり{{仮リンク|クルディスタン王国|en|Kingdom of Kurdistan}}([[1922年]] - [[1924年]])など少数の例外を除き独自の国を持つことがなかった。 |
[[第一次世界大戦]]で[[オスマン帝国]]が敗れたことにより、[[フランス]]・[[イギリス]]がこの地に恣意的な国境線を引いたため([[サイクス・ピコ協定]])、クルド人居住地域は[[トルコ]]・[[イラク]]・[[イラン]]・[[シリア]]・[[アルメニア]]などに分断された。また、いずれの国でも民族的に少数派であり{{仮リンク|クルディスタン王国|en|Kingdom of Kurdistan}}([[1922年]] - [[1924年]])など少数の例外を除き独自の国を持つことがなかった。 |
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シリア北部には国民の1割にあたる200万前後の[[クルド人]]が多数暮らす。しかし、クルド人は民族主義的な独立志向が強く、[[アラブ人]]の[[ハーフィズ・アル=アサド]]と[[バッシャール・アル=アサド]]の率いる[[バ |
シリア北部には国民の1割にあたる200万前後の[[クルド人]]が多数暮らす。しかし、クルド人は[[民族主義]]的な独立志向が強く、[[アラブ人]]の[[ハーフィズ・アル=アサド]]と[[バッシャール・アル=アサド]]の率いる[[バアス党]][[政権]]から警戒され、[[弾圧]]されてきた。 |
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1973年、トルコで'''クルド人民会議'''が結成される。同組織は'''クルド労働者党'''→'''クルディスタン自由民主会議'''→'''[[クルディスタン労働者党]]''' |
1973年、トルコで'''クルド人民会議'''が結成される。同組織は'''クルド労働者党'''→'''クルディスタン自由民主会議'''→'''[[クルディスタン労働者党]]''' (PKK)と名称を変更する。2003年、シリア国内におけるPKKの分派としてクルド民主統一党が結成される。 |
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=== 暫定統治 === |
=== 暫定統治 === |
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2011年、[[チュニジア]]から発生した[[アラブの春]]がシリアに波及し、2012年にはクルド人居住地からアサド政権軍が撤退する。するとPYDは住民の大半がクルド人で占められるシリア北部の3地方︵西クルディスタン︶に[[裁判所]]・[[刑務所]]・[[警察署]]などを設置して実質的な統治を始めた<ref name=ap1/>。2014年1月、PYDとその連合政党は |
2011年、[[チュニジア]]から発生した[[アラブの春]]がシリアに波及し、2012年にはクルド人居住地からアサド政権軍が撤退する。するとPYDは住民の大半がクルド人で占められるシリア北部の3地方︵西クルディスタン︶に[[裁判所]]・[[刑務所]]・[[警察署]]などを設置して実質的な統治を始めた<ref name=ap1/>。2014年1月、PYDとその連合政党はクルド人居住地域の3地方︵[[アフリーン|エフリン]]、[[コバニ]]、[[ジャズィーラ|ジャジーラ]]︶に[[暫定政権]]をうちたて、行政機関を整え、新憲法も導入している<ref name=hrw>{{cite web|url= http://www.hrw.org/es/node/126834|title=シリア‥クルド人の実効支配地域で起きている人権侵害 |accessdate=2015-2-28}}</ref>。[[反体制派 (シリア 2011-)|シリアの反体制派]]の間では﹁アサド政権と敵対しない見返りに自治権を与えられた﹂との見方もある。一方PYDは、暫定統治は﹁自衛のため﹂で長年クルド人を抑圧してきた﹁アサド政権と裏取引などするはずがない﹂、と主張している<ref name=mainiti>[[毎日新聞]]2013年12月12日 シリア:クルド人の実効支配拡大、内戦構図が複雑化。</ref><ref name=ap4>{{cite web|url= http://www.asiapress.org/apn/archives/2013/04/24103840.php|title=<玉本英子のシリア報告>7 自治行政を目指す民主統一党︵PYD︶|work=アジアプレス|accessdate=2015-2-28}}</ref>。
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シリア内戦において、PYDはアサド政権・[[ISIL]]・[[自由シリア軍]]のいずれとも距離を置いている<ref name=koan/>。[[コバニ包囲戦]]︵2014年 - 2015年︶では、三方向からコバニ︵[[アイン・アル=アラブ]]︶に攻勢を仕掛けたISILに対して、[[アメリカ空軍]]・ペシュメルガなどの支援を受けながら勝利を収めた。
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シリア内戦において、PYDはアサド政権・[[ISIL]]・[[自由シリア軍]]のいずれとも距離を置いている(ISILと明確な敵対関係にある一方で、アサド政権や自由シリア軍とは状況や地域によって対立も協調もしており、第三勢力の様相を呈している)<ref name=koan/>。 |
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[[コバニ包囲戦]](2014年 - 2015年)では、三方向からコバニ([[アイン・アル=アラブ]])に攻勢を仕掛けたISILに対して、[[アメリカ空軍]]・ペシュメルガなどの支援を受けながら勝利を収めた。 |
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[[アレッポの戦い (2012-)|アレッポの戦い]](2012年‐2016年)では、[[シリア軍|政府軍]]と協調し、政府軍によるアレッポ東部の反体制派包囲を支援、一部地域で反体制派との戦闘を担当し勝利を収めた。 |
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[[ラッカ]]解放戦(2017年)では、[[自由シリア軍]]系の反体制派との合同組織[[シリア民主軍]]として作戦に当たり、アメリカ軍の支援を受け、ISILに対し勝利を収めた。 |
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現在はISILと戦闘を繰り広げつつ、統治下にある町々を防衛している<ref name=koan/>。 |
現在はISILと戦闘を繰り広げつつ、統治下にある町々を防衛している<ref name=koan/>。 |
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== 政策 == |
== 政策 == |
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* 民主主義に基づくクルド人居住地域(クルディスタン)における自治権確立<ref name=koan/><ref name=ap4/>。 |
* [[民主主義]]に基づくクルド人居住地域(クルディスタン)における自治権確立<ref name=koan/><ref name=ap4/>。 |
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* クルド人の権利向上(学校でのクルド語教育など)<ref name=ap4/>。 |
* クルド人の権利向上(学校での[[クルド語]]教育など)<ref name=ap4/>。 |
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* 「シリア国民」としての政治参加<ref name=ap4/>。 |
* 「シリア国民」としての政治参加<ref name=ap4/>。 |
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* 比較的イスラム色が薄く世俗主義的である<ref name=ap1/>。 |
* 比較的[[イスラーム|イスラム]]色が薄く[[世俗主義]]的である<ref name=ap1/>。 |
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* 女性の権利向上を目指しており、 |
* [[女性の権利]]向上を目指しており、2014年2月にはPYDが事実上統治する[[ハサカ県]]で法的な[[男女平等]]を実現する法令が制定された<ref>{{cite web|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3031369|title=シリアのクルド人地域、男女平等法を可決 イスラム国に対抗|work=AFP |accessdate=2015-2-28}}</ref>。
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== 人民防衛隊 == |
== 人民防衛隊 == |
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[[ファイル:People's Protection Units Flag.svg |thumb|right|150px| YPGの旗]] |
[[ファイル:People's Protection Units Flag.svg |thumb|right|150px| YPGの旗]] |
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{{Main|クルド人民防衛隊}} |
{{Main|クルド人民防衛隊}} |
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'''人民防衛隊'''(じんみんぼうえいたい、クルド語: Yekîneyên Parastina Gel、YPG; アラビア語: وحدات حماية الشعب)はシリア・クルド民主統一党の下部組織。治安維持を担う軍事部門<ref name=koan/>。 |
'''人民防衛隊'''(じんみんぼうえいたい、クルド語: Yekîneyên Parastina Gel、YPG; アラビア語: وحدات حماية الشعب)はシリア・クルド民主統一党の下部組織。[[治安]]維持を担う軍事部門<ref name=koan/>。 |
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女性の構成員の割合が比較的高いことが特徴で、[[シリア |
女性の構成員の割合が比較的高いことが特徴で、[[シリア内戦]]下の2013年5月の報道によるとYPGの約3割が女性によって占められている<ref name=ap2>{{cite web|url=http://www.asiapress.org/apn/archives/2013/05/22101121.php|title= <玉本英子のシリア報告>20 クルド女性の兵士たち|work=アジアプレス・ネットワーク|accessdate=2015-2-28}}</ref>。これはPKKの軍事組織に多くの女性(約三分の一)が含まれていたことが影響している<ref name=ap1/>。また、[[コバニ包囲戦]]においては地元のアラブ人やトルコのクルド人がYPGに参加した<ref name=ap3>{{cite web|url= http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/09/24133434.php|title=【解説】イスラム国に包囲されるシリアのクルド人(2)|work=アジアプレス・ネットワーク |accessdate=2015-2-28}}</ref>。 |
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== 外交関係 == |
== 外交関係 == |
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日本の[[公安調査庁]]はPYDを国際テロ組織に分類している<ref name=koan/>。[[トルコ]]政府は国内の反体制派PKKの影響下にあるPYDを警戒しており、[[トルコの大統領|大統領]][[レジェップ・タイイップ・エルドアン|エルドアン]]は「[[ISIL]]と同じ」とまで発言した。そのため[[コバニ包囲戦]]でPYDを支援することに消極的だった<ref name=WSJ>{{cite web|url= http://jp.wsj.com/articles/SB12669324362286583938704580227000959396756|title=トルコ、イラクのクルド人部隊の領土通過を一転是認|work=The Wall Street Journal |accessdate=2015-2-28}}</ref>。[[ヒューマン・ライツ・ウォッチ]]はPYD支配地域で野党や捕虜への人権侵害が起きていると指摘している<ref name=hrw/>。 |
[[日本]]の[[公安調査庁]]はPYDを[[国際テロリズム|国際テロ組織]]に分類している<ref name=koan/>。[[トルコ]]政府は国内の反体制派PKKの影響下にあるPYDを警戒しており、[[トルコの大統領|大統領]][[レジェップ・タイイップ・エルドアン|エルドアン]]は「[[ISIL]]と同じ」とまで発言した。そのため[[コバニ包囲戦]]でPYDを支援することに消極的だった<ref name=WSJ>{{cite web|url= http://jp.wsj.com/articles/SB12669324362286583938704580227000959396756|title=トルコ、イラクのクルド人部隊の領土通過を一転是認|work=The Wall Street Journal |accessdate=2015-2-28}}</ref>。[[ヒューマン・ライツ・ウォッチ]]はPYD支配地域で[[野党]]や[[捕虜]]への[[人権蹂躙|人権侵害]]が起きていると指摘している<ref name=hrw/>。 |
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母体であるトルコのPKKとは現在も関係が深い<ref>{{cite web|url= http://www.asiapress.org/apn/archives/2013/04/24103840.php|title=<玉本英子のシリア報告>7 自治行政を目指す民主統一党(PYD)|work=アジアプレス|accessdate=2015-2-28}}</ref>。イラクの[[クルディスタン地域]]はシリアのクルド勢力でもPYDよりクルド国民評議会と友好関係にある<ref name=mainiti/>。一方、コバニ包囲戦では[[ペシュメルガ]]を援軍として派遣した<ref name=WSJ/>。 |
母体であるトルコのPKKとは現在も関係が深い<ref>{{cite web|url= http://www.asiapress.org/apn/archives/2013/04/24103840.php|title=<玉本英子のシリア報告>7 自治行政を目指す民主統一党(PYD)|work=アジアプレス|accessdate=2015-2-28}}</ref>。イラクの[[クルディスタン地域]]はシリアのクルド勢力でもPYDよりクルド国民評議会と友好関係にある<ref name=mainiti/>。一方、コバニ包囲戦では[[ペシュメルガ]]を援軍として派遣した<ref name=WSJ/>。 |
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同じくコバニ包囲戦では[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の支援を受けた<ref name=nw1>{{cite web|url= http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/01/post-3533_3.php|title=コバニ奪還で揺らぐ﹁イスラム国﹂の支配|work=NEWSWEEK|accessdate=2015-2-28}}</ref>。シリア内戦では[[アッシリア人]]︵[[アッシリア東方教会]]︶の協力を受けている<ref>{{cite web|url= http://www.asahi.com/articles/ASH2T4SJ7H2TUHBI01C.html |title=﹁イスラム国﹂シリアで90人拉致 キリスト教徒の子ら|work=[[朝日新聞]]|accessdate=2015-2-28}}</ref>。
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2024年6月3日 (月) 17:27時点における最新版
クルド民主統一党 Partiya Yekîtiya Demokrat(クルド語) حزب الاتحاد الديمقراطي | |
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![]() | |
党リーダー | サレフ・ムスリム・モハメド |
政治的思想・立場 |
左派 共産主義 民主連合主義 リバタリアン左派 クルド人の権利 |
国際組織 | 社会主義インターナショナル |
概要[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c8/Saleh_Muslim.jpg/180px-Saleh_Muslim.jpg)
歴史[編集]
結党まで[編集]
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れたことにより、フランス・イギリスがこの地に恣意的な国境線を引いたため︵サイクス・ピコ協定︶、クルド人居住地域はトルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。また、いずれの国でも民族的に少数派でありクルディスタン王国︵1922年 - 1924年︶など少数の例外を除き独自の国を持つことがなかった。 シリア北部には国民の1割にあたる200万前後のクルド人が多数暮らす。しかし、クルド人は民族主義的な独立志向が強く、アラブ人のハーフィズ・アル=アサドとバッシャール・アル=アサドの率いるバアス党政権から警戒され、弾圧されてきた。 1973年、トルコでクルド人民会議が結成される。同組織はクルド労働者党→クルディスタン自由民主会議→クルディスタン労働者党 ︵PKK︶と名称を変更する。2003年、シリア国内におけるPKKの分派としてクルド民主統一党が結成される。暫定統治[編集]
2011年、チュニジアから発生したアラブの春がシリアに波及し、2012年にはクルド人居住地からアサド政権軍が撤退する。するとPYDは住民の大半がクルド人で占められるシリア北部の3地方︵西クルディスタン︶に裁判所・刑務所・警察署などを設置して実質的な統治を始めた[3]。2014年1月、PYDとその連合政党はクルド人居住地域の3地方︵エフリン、コバニ、ジャジーラ︶に暫定政権をうちたて、行政機関を整え、新憲法も導入している[4]。シリアの反体制派の間では﹁アサド政権と敵対しない見返りに自治権を与えられた﹂との見方もある。一方PYDは、暫定統治は﹁自衛のため﹂で長年クルド人を抑圧してきた﹁アサド政権と裏取引などするはずがない﹂、と主張している[5][6]。 シリア内戦において、PYDはアサド政権・ISIL・自由シリア軍のいずれとも距離を置いている︵ISILと明確な敵対関係にある一方で、アサド政権や自由シリア軍とは状況や地域によって対立も協調もしており、第三勢力の様相を呈している︶[1]。 コバニ包囲戦︵2014年 - 2015年︶では、三方向からコバニ︵アイン・アル=アラブ︶に攻勢を仕掛けたISILに対して、アメリカ空軍・ペシュメルガなどの支援を受けながら勝利を収めた。 アレッポの戦い︵2012年‐2016年︶では、政府軍と協調し、政府軍によるアレッポ東部の反体制派包囲を支援、一部地域で反体制派との戦闘を担当し勝利を収めた。 ラッカ解放戦︵2017年︶では、自由シリア軍系の反体制派との合同組織シリア民主軍として作戦に当たり、アメリカ軍の支援を受け、ISILに対し勝利を収めた。 現在はISILと戦闘を繰り広げつつ、統治下にある町々を防衛している[1]。政策[編集]
●民主主義に基づくクルド人居住地域︵クルディスタン︶における自治権確立[1][6]。 ●クルド人の権利向上︵学校でのクルド語教育など︶[6]。 ●﹁シリア国民﹂としての政治参加[6]。 ●比較的イスラム色が薄く世俗主義的である[3]。 ●女性の権利向上を目指しており、2014年2月にはPYDが事実上統治するハサカ県で法的な男女平等を実現する法令が制定された[7]。人民防衛隊[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/32/People%27s_Protection_Units_Flag.svg/150px-People%27s_Protection_Units_Flag.svg.png)