「クルド民主統一党」の版間の差分
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[[ファイル: Saleh Muslim.jpg|thumb|180px|PYDの指導者のサレフ・ムスリム・モハメド<ref name=koan>{{cite web|url= http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/PYD_YPG.html|title=﹁民主統一党﹂︵PYD︶ |work=[[公安調査庁]]|accessdate=2015-2-28}}</ref>。]]
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シリア・クルド民主統一党(以下「PYD」)はトルコのクルド分離主義組織[[クルディスタン労働者党]](PKK)の分派として2003年に結成された。主にクルド人住民が多いシリア北部(西クルディスタン)で活動している。特に2012年以降はシリア情勢の混乱に乗じて、政府軍が撤退したクルド人居住地域の多くを事実上の統治している。現在の指導者はサレフ・ムスリム・モハメドとアスィア・アブドゥッラー。軍事部門として「'''人民防衛隊'''」(YPG)を擁している<ref name=koan/><ref name=synodos>{{cite web|url= http://synodos.jp/article/12939|title=オランド仏大統領、シリアのクルド組織・民主統一党(PYD)と面会 / Hurriyet紙SYNODOSが選ぶ「日本語で読む世界のメディア」(東京外国語大学) |work=[[SYNODOS]]|accessdate=2015-2-28}}</ref>。 |
シリア・クルド民主統一党(以下「PYD」)はトルコのクルド分離主義組織[[クルディスタン労働者党]](PKK)の分派として2003年に結成された。主にクルド人住民が多いシリア北部(西クルディスタン)で活動している。特に2012年以降はシリア情勢の混乱に乗じて、政府軍が撤退したクルド人居住地域の多くを事実上の統治している。現在の指導者はサレフ・ムスリム・モハメドとアスィア・アブドゥッラー。軍事部門として「'''人民防衛隊'''」(YPG)を擁している<ref name=koan/><ref name=synodos>{{cite web|url= http://synodos.jp/article/12939|title=オランド仏大統領、シリアのクルド組織・民主統一党(PYD)と面会 / Hurriyet紙SYNODOSが選ぶ「日本語で読む世界のメディア」(東京外国語大学) |work=[[SYNODOS]]|accessdate=2015-2-28}}</ref>。 |
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* [[クルディスタン愛国同盟]]([[クルディスタン労働者党 (イラク)]])/ [[クルディスタン民主党]] |
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== 脚注 == |
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2016年11月19日 (土) 06:10時点における版
略称 | PYD |
---|---|
設立 | 2003年 |
種類 | 政治団体 |
目的 | 自治権の確立 |
本部 |
![]() |
所在地 |
クルド民族主義 民主主義 |
公用語 |
アラビア語 クルド語 |
関連組織 |
クルディスタン労働者党(母体) 人民防衛隊(下部組織、軍事部門) |
概要
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c8/Saleh_Muslim.jpg/180px-Saleh_Muslim.jpg)
歴史
結党まで
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れたことにより、フランス・イギリスがこの地に恣意的な国境線を引いたため︵サイクス・ピコ協定︶、クルド人居住地域はトルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。また、いずれの国でも民族的に少数派でありクルディスタン王国︵1922年 - 1924年︶など少数の例外を除き独自の国を持つことがなかった。 シリア北部には国民の1割にあたる200万前後のクルド人が多数暮らす。しかし、クルド人は民族主義的な独立志向が強く、アラブ人のハーフィズ・アル=アサドとバッシャール・アル=アサドの率いるバース党政権から警戒され、弾圧されてきた。 1973年、トルコでクルド人民会議が結成される。同組織はクルド労働者党→クルディスタン自由民主会議→クルディスタン労働者党 (PKK)と名称を変更する。2003年、シリア国内におけるPKKの分派としてクルド民主統一党が結成される。暫定統治
2011年、チュニジアから発生したアラブの春がシリアに波及し、2012年にはクルド人居住地からアサド政権軍が撤退する。するとPYDは住民の大半がクルド人で占められるシリア北部の3地方︵西クルディスタン︶に裁判所・刑務所・警察署などを設置して実質的な統治を始めた[3]。2014年1月、PYDとその連合政党はコバニなどクルド人居住地域の3地方︵エフリン、コバニ、ジャジーラ︶に暫定政権をうちたて、行政機関を整え、新憲法も導入している[4]。反体制派の間では﹁アサド政権と敵対しない見返りに自治権を与えられた﹂との見方もある。一方PYDは、暫定統治は﹁自衛のため﹂で長年クルド人を抑圧してきたアサド﹁政権と裏取引などするはずがない﹂、と主張している[5][6]。 シリア内戦において、PYDはアサド政権・ISIL・自由シリア軍のいずれとも距離を置いている[1]。コバニ包囲戦︵2014年 - 2015年︶では、三方向からコバニ︵アイン・アル=アラブ︶に攻勢を仕掛けたISILに対して、アメリカ空軍・ペシュメルガなどの支援を受けながら勝利を収めた。 現在はISILと戦闘を繰り広げつつ、統治下にある町々を防衛している[1]。政策
●民主主義に基づくクルド人居住地域︵クルディスタン︶における自治権確立[1][6]。 ●クルド人の権利向上︵学校でのクルド語教育など︶[6]。 ●﹁シリア国民﹂としての政治参加[6]。 ●比較的イスラム色が薄く世俗主義的である[3]。 ●女性の権利向上を目指しており、共産主義的影響が垣間見える[3]。2014年2月、PYDが事実上統治するハサカ県で法的な男女平等を実現する法令が制定された[7]。人民防衛隊
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/32/People%27s_Protection_Units_Flag.svg/150px-People%27s_Protection_Units_Flag.svg.png)