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{{Otheruseslist|2012年10月以降の王子製紙(4代目)|1960年 - 1993年および1996年 - 2012年9月に存在した王子製紙(2・3代目)|王子ホールディングス|1873年 - 1949年に存在した王子製紙(初代)|王子製紙 (初代)}} |
{{Otheruseslist|2012年10月以降の王子製紙(4代目)|1960年 - 1993年および1996年 - 2012年9月に存在した王子製紙(2・3代目)|王子ホールディングス|1873年 - 1949年に存在した王子製紙(初代)|王子製紙 (初代)}} |
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{{基礎情報 会社 |
{{基礎情報 会社 |
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|社名 = 王子製紙株式会社 |
| 社名 = 王子製紙株式会社 |
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|英文社名 = OJI PAPER CO., LTD. |
| 英文社名 = OJI PAPER CO., LTD. |
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|ロゴ =[[File:Ōji-Seishi-Logo.svg|200px]] |
| ロゴ = [[File:Ōji-Seishi-Logo.svg|200px]] |
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|画像 =[[ファイル:Oji Paper (headquarters 1).jpg|250px]] |
| 画像 = [[ファイル:Oji Paper (headquarters 1).jpg|250px]] |
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|画像説明 = 王子製紙本社の入る王子ホールディングス本館 |
| 画像説明 = 王子製紙本社の入る王子ホールディングス本館 |
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|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] |
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] |
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|市場情報 = |
| 市場情報 = |
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|略称 =王子紙 |
| 略称 = 王子紙 |
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|国籍 = {{JPN}} |
| 国籍 = {{JPN}} |
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|郵便番号 = 104-0061 |
| 郵便番号 = 104-0061 |
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|本社所在地 = [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]銀座四丁目7番5号 |
| 本社所在地 = [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]銀座四丁目7番5号 |
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|設立 = [[2012年]](平成24年)5月 |
| 設立 = [[2012年]](平成24年)5月 |
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|業種 = パルプ・紙 |
| 業種 = パルプ・紙 |
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|事業内容 = [[紙]]・[[パルプ]]・の製造販売 |
| 事業内容 = [[紙]]・[[パルプ]]・の製造販売 |
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|代表者 = |
| 代表者 = 船田髙男([[代表取締役]][[社長]]) |
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|資本金 = 3億 |
| 資本金 = 3億5000万円 |
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| 売上高 = 2799億1500万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy">[https://catr.jp/companies/e738e/19373/settlements/e9fef/313520 王子製紙株式会社 第11期決算公告]</ref> |
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|売上高 = |
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| 営業利益 = ▲79億0200万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy" /> |
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| 経常利益 = ▲23億5800万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy" /> |
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| 純利益 = ▲17億3700万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy" /> |
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| 総資産 = 3269億6000万円<br>(2023年3月期)<ref name="fy" /> |
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|関係する人物 = |
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| 主要株主 = [[王子ホールディングス]] 100% |
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| 関係する人物 = [[渕上一雄]](元社長)[[青山秀彦]](元社長) |
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'''王子製紙株式会社'''(おうじせいし、[[英語|英名]]:OJI PAPER CO., LTD.)は、 |
'''王子製紙株式会社'''︵おうじせいし、[[英語|英名]]‥OJI PAPER CO., LTD.︶は、[[王子ホールディングス]]の主要子会社の一つであり、王子グループの[[新聞紙|新聞用紙]]および[[紙#印刷・情報用紙|印刷・情報用紙]]部門を担当する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ojiholdings.co.jp/group/business/index.html |title=王子ホールディングスの体制について |publisher=王子ホールディングス |accessdate=2012年11月11日}}</ref>。
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「王子製紙」の名を冠する法人としては4代目である(後述)。 |
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「王子製紙」の名を持つ法人としては4代目である。[[2012年]](平成24年)、グループが純粋持株会社制に移行する際、3代目の王子製紙が王子ホールディングスに社名を変更し、事業を子会社へ移管した。事業を継承した子会社の一つが、この4代目の王子製紙である。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[2012年]]︵平成24年︶5月、'''王子製紙分割準備株式会社'''として設立。同年10月1日付で持株会社制に移行した際、王子製紙︵3代︶の﹁新聞用紙事業﹂および﹁洋紙事業﹂などを承継した<ref name="oji120514">{{Cite web|和書|date=2012年5月14日 |url=http://www.ojiholdings.co.jp/content/files/news/2012/4-6/120514_bunkatsu.pdf |title=持株会社制移行に伴う会社分割および商号変更に関するお知らせ |publisher=王子製紙 |accessdate=2012年11月11日}}</ref>。これに併せて王子製紙︵4代︶に社名変更した<ref name="oji120514"/>。
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日本国内に5か所の工場を操業し、[[新聞紙|新聞用紙]]、 |
日本国内に5か所の工場を操業し、[[新聞紙|新聞用紙]]、[[紙#印刷・情報用紙|印刷用紙]]、情報用紙(フォーム用紙・コピー用紙)の3品種を扱う<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.oji-paper.co.jp/business-prospectus.htm |title=事業案内 |publisher=王子製紙 |accessdate=2012年11月11日}}</ref>。 |
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[[中華人民共和国]][[江蘇省]]に工場を持つ[[江蘇王子製紙]]などを傘下に置く。 |
[[中華人民共和国]][[江蘇省]]に工場を持つ[[江蘇王子製紙]]などを傘下に置く。 |
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== 主要拠点 == |
== 主要拠点 == |
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=== 本社 === |
=== 本社 === |
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[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]4丁目7-5<ref name="kyoten">{{Cite web|和書|url=http://www.oji-paper.co.jp/corporate-guidance.htm |title=会社案内 |publisher=王子製紙 |accessdate=2012年11月11日}}</ref>。 |
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=== 生産拠点 === |
=== 生産拠点 === |
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[[ファイル:HinoGawa.jpg|thumb|写真中央[[日野川]]右岸の大きな工場が王子製紙米子工場(2007年9月19日撮影)]] |
[[ファイル:HinoGawa.jpg|thumb|写真中央[[日野川]]右岸の大きな工場が王子製紙米子工場(2007年9月19日撮影)]] |
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; 苫小牧工場 |
; 苫小牧工場 |
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{{Main|王子製紙苫小牧工場}} |
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: 所在地は[[北海道]][[苫小牧市]]王子町2丁目1-1<ref name="kyoten"/>。 |
: 所在地は[[北海道]][[苫小牧市]]王子町2丁目1-1<ref name="kyoten"/>。 |
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: [[王子製紙 (初代)| |
: [[1910年]]︵明治43年︶9月、[[王子製紙 (初代)|王子製紙]]︵初代︶により操業開始。同社にとって北海道進出の第一号であった。[[太平洋戦争]]後の占領下における[[財閥解体]]により、初代法人は[[1949年]]︵昭和24年︶8月に解体、苫小牧工場は苫小牧製紙︵後の3代目王子製紙、現‥王子ホールディングス︶が承継した。
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; 春日井工場 |
; 春日井工場 |
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: 所在地は[[愛知県]][[春日井市]][[王子町 (春日井市)|王子町]]1<ref name="kyoten"/>。苫小牧工場に続く王子製紙第2の拠点として[[1953年]](昭和28年)6月に操業を開始した。 |
: 所在地は[[愛知県]][[春日井市]][[王子町 (春日井市)|王子町]]1<ref name="kyoten"/>。苫小牧工場に続く王子製紙第2の拠点として[[1953年]](昭和28年)6月に操業を開始した。 |
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; 米子工場 |
; 米子工場 |
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: 所在地は[[鳥取県]][[米子市]]吉岡373<ref name="kyoten"/>。[[日本パルプ工業]]の2番目の工場として[[1952年]](昭和27年)11月に操業を開始。[[1979年]](昭和54年)3月合併により王子製紙の工場となった。 |
: 所在地は[[鳥取県]][[米子市]]吉岡373<ref name="kyoten"/>。[[日本パルプ工業]]の2番目の工場として[[1952年]](昭和27年)11月に操業を開始。[[1979年]](昭和54年)3月の合併により王子製紙の工場となった。 |
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; 富岡工場 |
; 富岡工場 |
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: 所在地は[[徳島県]][[阿南市]][[豊益町]]吉田1<ref name="kyoten"/>。神崎工場([[兵庫県]][[尼崎市]]、現 |
: 所在地は[[徳島県]][[阿南市]][[豊益町]]吉田1<ref name="kyoten"/>。神崎工場([[兵庫県]][[尼崎市]]、現:王子イメージングメディア神崎工場)に続く[[神崎製紙]]の2番目の工場として[[1959年]](昭和34年)8月に操業を開始。[[1993年]](平成5年)10月合併により王子製紙の工場となった。 |
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; 日南工場 |
; 日南工場 |
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: 所在地は[[宮崎県]][[日南市]]大字戸高1850<ref name="kyoten"/>。日本パルプ工業最初の工場として[[1938年]](昭和13年)11月に操業を開始。米子工場と同様に1979年に王子製紙の工場となった。 |
: 所在地は[[宮崎県]][[日南市]]大字戸高1850<ref name="kyoten"/>。日本パルプ工業最初の工場として[[1938年]](昭和13年)11月に操業を開始。米子工場と同様に1979年に王子製紙の工場となった。 |
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== 水力発電事業 == |
== 水力発電事業 == |
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王子製紙は、初代 |
王子製紙は、初代法人時代の[[1910年]](明治43年)に完成した[[王子製紙苫小牧工場|苫小牧工場]]に電力を供給するため、[[石狩川]]水系と[[尻別川]]水系に多数の[[水力発電|水力発電所]]を建設、工場操業の原動力とした。特に開発が進められたのが、[[支笏湖]]を水源とする[[千歳川]]であった。 |
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=== 千歳発電所 === |
=== 千歳発電所 === |
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発電所を含めた工場建設のための総工費は当時の額で約400万円という高額であり、王子製紙単独では拠出不可能であったことから、[[三井合名会社]]の資金援助を仰ぎ建設が始まった。まず[[1910年]](明治43年)[[4月28日]]、支笏湖からの吐き口に「千歳第一堰堤(えんてい)<ref>千歳第一・第二・第五堰堤は構造的には[[ダム]]ではあるが、高さが15.0m以下であるため、[[河川法]]の規定によりダムとは見なされず、[[堰|堰(せき)]]の扱いとなる。</ref>」を設けて、そこから水路を通じて発電を行うこととした。これが「千歳第一発電所」であり、認可出力10,000[[ワット|キロワット]]は当時としては日本最大級の水力発電所であった。第一発電所はその後増設を[[1914年]](大正3年)と[[1930年]](昭和5年)、[[1969年]](昭和44年)に実施し、現在では25,400キロワットを発電する。これ以降[[1916年]](大正5年)から[[1941年]](昭和16年)にかけて、千歳川に相次いで水力発電所が建設されるようになった。 |
発電所を含めた工場建設のための総工費は当時の額で約400万円という高額であり、王子製紙単独では拠出不可能であったことから、[[三井合名会社]]の資金援助を仰ぎ建設が始まった。まず[[1910年]](明治43年)[[4月28日]]、支笏湖からの吐き口に「千歳第一堰堤(えんてい)<ref>千歳第一・第二・第五堰堤は構造的には[[ダム]]ではあるが、高さが15.0m以下であるため、[[河川法]]の規定によりダムとは見なされず、[[堰|堰(せき)]]の扱いとなる。</ref>」を設けて、そこから水路を通じて発電を行うこととした。これが「千歳第一発電所」であり、認可出力10,000[[ワット|キロワット]]は当時としては日本最大級の水力発電所であった。第一発電所はその後増設を[[1914年]](大正3年)と[[1930年]](昭和5年)、[[1969年]](昭和44年)に実施し、現在では25,400キロワットを発電する。これ以降[[1916年]](大正5年)から[[1941年]](昭和16年)にかけて、千歳川に相次いで水力発電所が建設されるようになった。 |
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* 千歳第二発電所 |
* 千歳第二発電所:1916年3月運転開始。出力2,700キロワット(取水口・千歳第二堰堤) |
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* 千歳第三発電所 |
* 千歳第三発電所:[[1918年]](大正7年)[[5月10日]]運転開始。出力3,300キロワット(取水口・千歳第三ダム) |
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* 千歳第四発電所 |
* 千歳第四発電所:[[1919年]](大正8年)運転開始。出力3,600キロワット(取水口・千歳第四ダム) |
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* 千歳第五発電所 |
* 千歳第五発電所:[[1941年]](昭和16年)[[2月7日]]運転開始。出力1,600キロワット(取水口・千歳第五堰堤) |
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特に[[1918年]](大正7年)に完成した千歳第三発電所の取水口である千歳第三ダムは、北海道で初めて建設された[[コンクリートダム]]であり、[[日本のダムの歴史]]に特筆されるものであった。また、千歳第一堰堤は日本では唯一となる[[バットレスダム|重力式バットレスダム]]という[[ダム#型式|型式]]である。現在では上流の千歳第一・第二堰堤、下流の千歳第四ダムと共に、[[土木学会]]による[[土木学会選奨土木遺産]]に発電所と一緒に指定される貴重な土木文化財でもある。千歳第一から第五までの発電所群を総称して、一般的には「千歳発電所」と呼ぶ。この後、[[羊蹄山]]を水源とする尻別川にも「尻別第一・第二発電所」が建設された。さらに[[1928年]](昭和3年)には千歳川の支流である[[漁川]]に恵庭発電所(出力2,150キロワット)が完成し、王子製紙の主力工場である苫小牧工場の操業を支えた。 |
特に、[[1918年]](大正7年)に完成した千歳第三発電所の取水口である千歳第三ダムは、北海道で初めて建設された[[コンクリートダム]]であり、[[日本のダムの歴史]]に特筆されるものであった。また、千歳第一堰堤は日本では唯一となる[[バットレスダム|重力式バットレスダム]]という[[ダム#型式|型式]]である。現在では上流の千歳第一・第二堰堤、下流の千歳第四ダムと共に、[[土木学会]]による[[土木学会選奨土木遺産]]に発電所と一緒に指定される貴重な土木文化財でもある。千歳第一から第五までの発電所群を総称して、一般的には「千歳発電所」と呼ぶ。この後、[[羊蹄山]]を水源とする尻別川にも「尻別第一・第二発電所」が建設された。さらに[[1928年]](昭和3年)には千歳川の支流である[[漁川]]に恵庭発電所(出力2,150キロワット)が完成し、王子製紙の主力工場である苫小牧工場の操業を支えた。 |
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なお、千歳発電所から供給される電力は、[[北海道電力]]で供給される交流電源の周波数50[[ヘルツ|Hz]]ではなく、西日本の電力周波数と同じ60Hzである。これは[[1910年]](明治43年)の千歳第一発電所建設当初、王子製紙が導入した発電機が60Hzだったことに由来する。また、この電力は王子製紙苫小牧工場内だけでなく、支笏湖畔の[[支笏湖温泉]]街一帯全てに供給されている。 |
なお、千歳発電所から供給される電力は、[[北海道電力]]で供給される交流電源の周波数50[[ヘルツ|Hz]]ではなく、西日本の電力周波数と同じ60Hzである。これは[[1910年]](明治43年)の千歳第一発電所建設当初、王子製紙が導入した発電機が60Hzだったことに由来する。また、この電力は王子製紙苫小牧工場内だけでなく、支笏湖畔の[[支笏湖温泉]]街一帯全てに供給されている。支笏湖温泉街では西日本と同じ60Hzに対応した電気機器が必要である<ref>[http://www.ipej-hokkaido.jp/ch/ch111/p036.pdf コンサルタンツ北海道第111号36・37頁 交流の周波数とは]</ref>。 |
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支笏湖温泉街では西日本と同じ60Hzに対応した電気機器が必要である<ref>[http://www.ipej-hokkaido.jp/ch/ch111/p036.pdf コンサルタンツ北海道第111号36・37頁 交流の周波数とは]</ref>。 |
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=== 事業の変遷 === |
=== 事業の変遷 === |
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その後 |
その後、王子製紙は水力発電事業も手掛けることになり、1926年には送電事業で提携していた札幌水力電気を買収、同年末に、北海水力電気を設立した。さらに、[[1928年]]︵昭和3年︶には[[雨竜川]]の電力開発に着手したことを機に、子会社として雨竜電力を設立。北海道帝国大学︵現‥[[北海道大学]]︶の演習林を購入して雨竜発電所の建設に着手した。現在でも[[人造湖]]の広さ日本一である[[朱鞠内湖]]を形成する﹁[[雨竜第1ダム|雨竜第一ダム]]﹂である。こうして王子製紙は工場操業の原動力である水力発電開発に本格的に参入し、物資輸送のための[[森林鉄道]]・軌道を各所に敷設した。かつて[[深川市]]と[[名寄市]]を結んだ[[深名線]]はその一つでもある。
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一方で、建設に着手したばかりの[[1939年]]︵昭和14年︶、戦時体制強化の一環として電力国家統制策が取られ、[[電力管理法]]が施行されたことにより雨竜電力は北海水力電気とともに半官半民のトラスト︵事実上国営︶である[[日本発送電]]に強制的に吸収され、解散を余儀無くされた。雨竜発電所と雨竜第一・第二ダムは[[1944年]]︵昭和19年︶に完成したものの、何れも日本発送電に接収されている。これにより王子製紙は雨竜川の電源開発から手を引き、終戦後も携わることは無かった︵事業は[[1951年]]︵昭和26年︶の日本発送電分割により[[北海道電力]]が承継している︶。ただし、千歳川の水力発電所群に関しては王子製紙が日本発送電に対し必死の折衝を行ったことで、例外的に接収を免れている。日本発送電の強制接収を免れたのは[[日本軽金属]]の水力発電所と王子製紙の千歳発電所のみであったと﹃王子製紙社史﹄には記されている。
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戦後、王子製紙が分割され苫小牧製紙として再発足した後も、千歳発電所は基幹施設である苫小牧工場に電力を供給した。千歳発電所群は老朽化の進行に対処するため改築や修繕が行われ現在に至る |
戦後、王子製紙が分割され苫小牧製紙として再発足した後も、千歳発電所は基幹施設である苫小牧工場に電力を供給した。千歳発電所群は老朽化の進行に対処するため改築や修繕が行われ現在に至る。 |
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現在では千歳川系統と呼ばれる千歳発電所群(千歳川に5か所、漁川に1か所)が苫小牧工場を支えている。民間企業がダムを含む水力発電施設を有している例は[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)や日本軽金属などごく少数に限られているが、王子製紙はその中でも古くから水力発電を自前で行う企業であり、[[電力会社|特定規模電気事業者]]の指定を受けている数少ない民間企業でもある。千歳第一発電所の見学は可能であるが、重要な発電施設であり貴重な土木遺産でもあるその他のダム・発電所群は金網で厳重に管理されており、立入ることはできない。 |
現在では千歳川系統と呼ばれる千歳発電所群(千歳川に5か所、漁川に1か所)が苫小牧工場を支えている。民間企業がダムを含む水力発電施設を有している例は[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)や日本軽金属などごく少数に限られているが、王子製紙はその中でも古くから水力発電を自前で行う企業であり、[[電力会社|特定規模電気事業者]]の指定を受けている数少ない民間企業でもある。千歳第一発電所の見学は可能であるが、重要な発電施設であり貴重な土木遺産でもあるその他のダム・発電所群は金網で厳重に管理されており、立入ることはできない。 |
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== 企業スポーツ == |
== 企業スポーツ == |
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春日井工場には[[社会人野球]]の[[王子硬式野球部]]がある。[[アジアリーグアイスホッケー]]所属の[[レッドイーグルス北海道]]は、[[王子製紙苫小牧工場|苫小牧工場]]のアイスホッケー部を前身とする。[[2004年]]︵平成16年︶に硬式野球部は[[都市対抗野球大会|都市対抗野球]]で初優勝した。なお、かつては[[王子製紙苫小牧硬式野球部|苫小牧硬式野球部]]と[[王子製紙米子硬式野球部|米子硬式野球部]]も存在したが、春日井に統合されている。苫小牧工場にはかつて[[スピードスケート]]部があり、下記の17人の[[冬季オリンピック]]代表選手を輩出した。[[1935年]]︵昭和10年︶に創部され[[2002年]]︵平成14年︶4月に廃部となった<ref>[http://www.tomamin.co.jp/kikaku/10/oji/oji0908.html 〜王子製紙苫小牧工場100周年〜世紀をつなぐ 第2部 地域とともに‥苫小牧民報社]</ref>。
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*[[青木正則]]([[1952年オスロオリンピックのスピードスケート競技|1952年]]代表) |
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苫小牧工場にはかつて[[スピードスケート]]部があり、下記の17人の[[冬季オリンピック]]代表選手を輩出した。[[1935年]](昭和10年)に創部され[[2002年]](平成14年)4月に廃部となった<ref>[http://www.tomamin.co.jp/kikaku/10/oji/oji0908.html 〜王子製紙苫小牧工場100周年〜世紀をつなぐ 第2部 地域とともに:苫小牧民報社]</ref>。 |
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*[[青木正則]](1952年代表) |
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*[[佐藤恒夫]](1952年代表) |
*[[佐藤恒夫]](1952年代表) |
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*[[菅原和彦]](1952年代表) |
*[[菅原和彦]](1952年代表) |
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*[[鈴木正樹]]([[1968年グルノーブルオリンピックのスピードスケート競技|1968年]]、[[1972年札幌オリンピックのスピードスケート競技|1972年]]、[[1976年インスブルックオリンピックのスピードスケート競技|1976年]]代表) |
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*[[鈴木正樹]](1968年、1972年、1976年代表) |
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*[[大山三喜雄]](1976年代表) |
*[[大山三喜雄]](1976年代表) |
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*[[山本雅彦]](1976年、1980年代表) |
*[[山本雅彦]](1976年、[[1980年レークプラシッドオリンピックのスピードスケート競技|1980年]]代表) |
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*[[八重樫裕子]](1980年代表) |
*[[八重樫裕子]](1980年代表) |
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*[[篠原雅人]] |
*[[篠原雅人]]([[1984年サラエボオリンピックのスピードスケート競技|1984年]]代表) |
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*[[宮部保範]] |
*[[宮部保範]]([[1992年アルベールビルオリンピックのスピードスケート競技|1992年]]、[[1994年リレハンメルオリンピックのスピードスケート競技|1994年]]代表、銅メダル獲得) |
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* |
*帰山由美(1992年代表) |
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*[[山本宏美]](1994年代表、銅メダル獲得) |
*[[山本宏美]](1994年代表、銅メダル獲得) |
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*[[山本真弓]](1994年代表) |
*[[山本真弓]](1994年代表) |
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* |
*小笠原みき(1994年代表) |
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* |
*山影博明([[1998年長野オリンピックのスピードスケート競技|1998年]]代表) |
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*[[堀井学]](1998年代表) |
*[[堀井学]](1998年代表) |
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*[[野崎貴裕]](1998年代表) |
*[[野崎貴裕]](1998年代表) |
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*妹尾栄利子([[2002年ソルトレークシティオリンピックのスピードスケート競技|2002年]]代表) |
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*[[妹尾栄利子]](2002年代表) |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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* 『会社年鑑』2006上巻、[[日本経済新聞社]]、[[2005年]](平成17年) |
* 『会社年鑑』2006上巻、[[日本経済新聞社]]、[[2005年]](平成17年) |
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* 民衆史ブックレットNo.1 『朱鞠内と強制連行・強制労働』、空知民衆史講座、[[1996年]](平成8年) |
* 民衆史ブックレットNo.1 『朱鞠内と強制連行・強制労働』、空知民衆史講座、[[1996年]](平成8年) |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[日本の企業一覧 (パルプ・紙)]] |
* [[日本の企業一覧 (パルプ・紙)]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* |
*[https://www.ojipaper.co.jp/ 王子製紙株式会社] |
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{{三井グループ}} |
{{三井グループ}} |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:おうしせいし}} |
{{DEFAULTSORT:おうしせいし}} |
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[[Category:王子グループ|せいし]] |
[[Category:王子グループ|せいし]] |
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[[Category:東京都中央区の企業]] |
[[Category:東京都中央区の企業]] |
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[[Category:2012年設立の企業]] |
[[Category:2012年設立の企業]] |
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[[Category:石狩川水系]] |
2024年5月29日 (水) 00:20時点における版
![]() | |
![]() 王子製紙本社の入る王子ホールディングス本館 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 王子紙 |
本社所在地 |
![]() 〒104-0061 東京都中央区銀座四丁目7番5号 |
設立 | 2012年(平成24年)5月 |
業種 | パルプ・紙 |
法人番号 | 5010001146729 |
事業内容 | 紙・パルプ・の製造販売 |
代表者 | 船田髙男(代表取締役社長) |
資本金 | 3億5000万円 |
売上高 |
2799億1500万円 (2023年3月期)[1] |
営業利益 |
▲79億0200万円 (2023年3月期)[1] |
経常利益 |
▲23億5800万円 (2023年3月期)[1] |
純利益 |
▲17億3700万円 (2023年3月期)[1] |
総資産 |
3269億6000万円 (2023年3月期)[1] |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 王子ホールディングス 100% |
主要子会社 | 江蘇王子製紙 |
関係する人物 | 渕上一雄(元社長)青山秀彦(元社長) |
外部リンク |
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概要
2012年︵平成24年︶5月、王子製紙分割準備株式会社として設立。同年10月1日付で持株会社制に移行した際、王子製紙︵3代︶の﹁新聞用紙事業﹂および﹁洋紙事業﹂などを承継した[3]。これに併せて王子製紙︵4代︶に社名変更した[3]。 日本国内に5か所の工場を操業し、新聞用紙、印刷用紙、情報用紙︵フォーム用紙・コピー用紙︶の3品種を扱う[4]。 中華人民共和国江蘇省に工場を持つ江蘇王子製紙などを傘下に置く。主要拠点
本社
東京都中央区銀座4丁目7-5[5]。生産拠点
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/da/HinoGawa.jpg/220px-HinoGawa.jpg)
- 苫小牧工場
水力発電事業
千歳発電所
事業の変遷
その後、王子製紙は水力発電事業も手掛けることになり、1926年には送電事業で提携していた札幌水力電気を買収、同年末に、北海水力電気を設立した。さらに、1928年︵昭和3年︶には雨竜川の電力開発に着手したことを機に、子会社として雨竜電力を設立。北海道帝国大学︵現‥北海道大学︶の演習林を購入して雨竜発電所の建設に着手した。現在でも人造湖の広さ日本一である朱鞠内湖を形成する﹁雨竜第一ダム﹂である。こうして王子製紙は工場操業の原動力である水力発電開発に本格的に参入し、物資輸送のための森林鉄道・軌道を各所に敷設した。かつて深川市と名寄市を結んだ深名線はその一つでもある。 一方で、建設に着手したばかりの1939年︵昭和14年︶、戦時体制強化の一環として電力国家統制策が取られ、電力管理法が施行されたことにより雨竜電力は北海水力電気とともに半官半民のトラスト︵事実上国営︶である日本発送電に強制的に吸収され、解散を余儀無くされた。雨竜発電所と雨竜第一・第二ダムは1944年︵昭和19年︶に完成したものの、何れも日本発送電に接収されている。これにより王子製紙は雨竜川の電源開発から手を引き、終戦後も携わることは無かった︵事業は1951年︵昭和26年︶の日本発送電分割により北海道電力が承継している︶。ただし、千歳川の水力発電所群に関しては王子製紙が日本発送電に対し必死の折衝を行ったことで、例外的に接収を免れている。日本発送電の強制接収を免れたのは日本軽金属の水力発電所と王子製紙の千歳発電所のみであったと﹃王子製紙社史﹄には記されている。 戦後、王子製紙が分割され苫小牧製紙として再発足した後も、千歳発電所は基幹施設である苫小牧工場に電力を供給した。千歳発電所群は老朽化の進行に対処するため改築や修繕が行われ現在に至る。 現在では千歳川系統と呼ばれる千歳発電所群︵千歳川に5か所、漁川に1か所︶が苫小牧工場を支えている。民間企業がダムを含む水力発電施設を有している例は東日本旅客鉄道︵JR東日本︶や日本軽金属などごく少数に限られているが、王子製紙はその中でも古くから水力発電を自前で行う企業であり、特定規模電気事業者の指定を受けている数少ない民間企業でもある。千歳第一発電所の見学は可能であるが、重要な発電施設であり貴重な土木遺産でもあるその他のダム・発電所群は金網で厳重に管理されており、立入ることはできない。企業スポーツ
春日井工場には社会人野球の王子硬式野球部がある。アジアリーグアイスホッケー所属のレッドイーグルス北海道は、苫小牧工場のアイスホッケー部を前身とする。2004年︵平成16年︶に硬式野球部は都市対抗野球で初優勝した。なお、かつては苫小牧硬式野球部と米子硬式野球部も存在したが、春日井に統合されている。苫小牧工場にはかつてスピードスケート部があり、下記の17人の冬季オリンピック代表選手を輩出した。1935年︵昭和10年︶に創部され2002年︵平成14年︶4月に廃部となった[8]。- 青木正則(1952年代表)
- 佐藤恒夫(1952年代表)
- 菅原和彦(1952年代表)
- 鈴木正樹(1968年、1972年、1976年代表)
- 大山三喜雄(1976年代表)
- 山本雅彦(1976年、1980年代表)
- 八重樫裕子(1980年代表)
- 篠原雅人(1984年代表)
- 宮部保範(1992年、1994年代表、銅メダル獲得)
- 帰山由美(1992年代表)
- 山本宏美(1994年代表、銅メダル獲得)
- 山本真弓(1994年代表)
- 小笠原みき(1994年代表)
- 山影博明(1998年代表)
- 堀井学(1998年代表)
- 野崎貴裕(1998年代表)
- 妹尾栄利子(2002年代表)
脚注
参考文献
- 王子製紙(編)『王子製紙社史』本編・合併各社編・資料編、王子製紙、2001年(平成13年)
- 財団法人日本ダム協会 『ダム年鑑 1991』、1991年(平成3年)
- 紙業タイムス社 『紙パルプ 企業・工場データブック』2010、テックタイムス、2009年(平成21年)
- 『会社年鑑』2006上巻、日本経済新聞社、2005年(平成17年)
- 民衆史ブックレットNo.1 『朱鞠内と強制連行・強制労働』、空知民衆史講座、1996年(平成8年)