前田黙鳳
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前田 黙鳳︵まえだ もくほう、嘉永6年︵1853年︶3月 - 大正7年︵1918年︶11月19日︶は、播州龍野︵兵庫県たつの市︶生まれの書家。名は圓、字は士方、黙鳳は号で、別号に龍野人がある。
業績[編集]
明治から大正時代に活躍した書家で、書道会の発足や会報の発行に尽力し、展覧会の開催や法帖類などの古典資料の普及に努め、近代書道界の発展に大きく貢献した。作品には古銅器の銘文を臨書したものなど篆書体が多くあり、また六朝風の楷書体も得意とした。経歴[編集]
嘉永6年︵1853年︶播州龍野藩士、前田忠作の次男として生まれる。20歳で上京し、明治9年︵1876年︶書肆博文社の手代となった。明治15年︵1882年︶京橋南鍋町に自ら書肆鳳文館を開き、﹃資治通鑑﹄・﹃佩文韻府﹄などの翻刻刊行を行った。その間、清国に渡り金石学や書法を学んだ。しかし、明治21年︵1888年︶漢学の衰頽に伴い経営が悪化し、鳳文館を廃業した。その後、書学会を発足し、会報﹃書鑑﹄を発行して法帖類を掲載し、古典資料の普及に努めた。明治41年︵1908年︶には中村不折・土方秦山・杉溪六橋・野村素軒らと健筆会を起こし、六朝書専門研究に取り組み、展覧会も開催した。 大正3年︵1914年︶2月、中村不折・井土霊山共訳の﹃六朝書道論﹄が刊行されるが、その巻末付録に﹁六名家書談﹂が収録され、黙鳳はその名家の一人として、﹁書風の側面観﹂と題した1篇を執筆している。六名家の他の5人は、日下部鳴鶴・中林梧竹・中根半嶺・内藤湖南・犬養木堂であり、犬養木堂は黙鳳の書を見て﹁天下第一人者﹂と称賛したという。嘉永6年 | 1853年 | 播州龍野(兵庫県)に生まれる。 | |
明治6年 | 1873年 | 20歳 | 上京。 |
明治9年 | 1876年 | 23歳 | 博文社(書肆)に入社。 |
明治15年 | 1882年 | 29歳 | 京橋南鍋町に鳳文館(書肆)を設立。 『資治通鑑』・『佩文韻府』・『康熙字典』・『史記評林』などを刊行。 |
明治21年 | 1888年 | 35歳 | 鳳文館を廃業。 |
明治25年 | 1892年 | 39歳 | 『真行草大字典』(共益社)を刊行。 |
明治35年 | 1902年 | 49歳 | 『書鑑』(書学会)を刊行。 |
明治41年 | 1908年 | 55歳 | 健筆会を発足。 |
大正2年 | 1913年 | 60歳 | 『真行草字鑑』(二松堂書店)を刊行。 |
大正7年 | 1918年 | 65歳 | 永眠。 |
著書・編書[編集]
- 書海
- 五体字書
- 真行草大字典
- 真行草字鑑
など、多数。