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飯盛挺造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯盛 挺造
いいもり ていぞう
生誕 (1851-09-19) 1851年9月19日
日本の旗 日本肥前国多久邑
死没 (1916-03-06) 1916年3月6日(64歳没)
居住 東京市本郷区弓町
国籍 日本の旗 日本
研究分野 物理学
研究機関 東京大学医学部
出身校 外務省洋語学所
博士課程
指導教員
エミール・ワールブルク
主な業績 真空式微量天秤の発明
主な受賞歴 正四位勲三等瑞宝章 (1909年12月)
プロジェクト:人物伝
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飯盛挺造

  ( 18519194824 - 1916536) 18841733[1]

[]

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18519194824 () [2]18692 187142018747 1875187710 5354 [1]

1878[3][4]18791880[5][6]

201920使[7] 18811418821884617[8]

[]

[9]

 18859[ 1] 118851120[10]1886191[11]22稿[12] 2[9] 18873Doktor der Philosophie  3[13]

[]


188767 ( ()) 1888218[ 2]189326 退 [6]2[14][15]

稿[16]

191043191653665[7]

190437[1]

[]

[]




(一)

(二)調調

(三)竿竿

[1]

詳細な説明[編集]

飯盛が考案した微量天秤
Annalen der Physik und Chemie, Neue Folge, BAND 27, Hefte 4, S. 481 - 507 (1886) より[11]

 (Fig. 1)  (Fig. 2) Fig.2  G 竿81 m竿

 m M2 T g s竿0.21 m2 e竿

 l t0.024272調 p0.60.1[ 3]300.8261.023.1

Fig.28 q A H0  BM  H1 C湿 H2 D F+5

Fig.1竿20.45

10

日東十客[編集]

栄典[編集]

著書[編集]

論文[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 現・フランス領ストラスブール、当時はドイツ領だった。
  2. ^ 1900年(明治33年)には東京薬学校と改称、現東京薬科大学
  3. ^ 原報[11]では0.1ミリグラムを"Decimilligramm"と表記している。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 岩田重雄「微量天びんの先駆者、飯盛挺造」日本計量史学会誌 Vol.2, No.1, pp.25 - 36 (1980)
  2. ^ 『飯盛里安博士97年の生涯』中津川市鉱物博物館編集発行 p.3 (2003)
  3. ^ 『東京薬学新誌』第4号、pp.4 - 8 (1879)
  4. ^ 『東京薬学新誌』第5号、pp.14 - 15 (1879)
  5. ^ 寺島柾史『日本科学史年表』霞カ関書房 p. 284 (1942)
  6. ^ a b 飯盛挺造纂譯、丹波敬三・柴田承桂校補『物理学』東京、島村利助、丸屋善七、1879 - 1880年、上編(444頁)、中編(563頁)、下編(468頁)
  7. ^ a b 畑晋 (はたすすむ) 「飯盛里安先生の業績とその解説」化学史研究 No.1, p.27 (1986)
  8. ^ 国立公文書館 公文録 明治17年 (1884年) 第197巻 No.30 官吏進退 (文部省) 東京大学助教授 飯盛挺造外一名欧州出張ノ件
  9. ^ a b T. Ihmori, "Über das Gewicht und die Ursache der Wasserhaut bei Glas und anderen Koerpern" Inaugural-Dissertation zur Erlangung der Philosophischen Doctorwürde, Universität Freiburg i B (1886)
  10. ^ 国立公文書館 公文録 明治18年 (1885年) 第182巻 No.28 官吏進退 (文部省) 東京大学助教授 丹下敬三外一名 欧州ヨリ帰朝延期ノ件
  11. ^ a b c E. Warburg, T. Ihmori, "Ueber das Gewicht und Ursache der Wasserhaut bei Glas und anderen Körpern", Annalen der Physik und Chemie, Neue Folge, Band 27, Hefte 4, S.481 - 507 (1886)
  12. ^ T. Ihmori, "Ueber die Aufnahme des Quecksilberdampfes durck Platinmohr", Annalen der Physik und Chemie, Neue Folge, Band 28, S.81 - 86 (1886)
  13. ^ T. Ihmori, "Ueber die Aufnahme des Wasserdampfes durch feste Körper" Annalen der Physik und Chemie, Neue Folge,Band 29, S.1006 - 1014 Taf.VII, (1887)
  14. ^ 飯盛挺造、『物理学講義』前期医学科講義録、明治講医会、上巻1016頁下巻46頁、(1894)
  15. ^ 飯盛挺造述、杉浦司馬記、『物理学講義録』岐阜県武儀郡 (むぎぐん) 役所、172頁+22頁 (1900)
  16. ^ 三木寿子「保井コノの生涯」『保井コノ資料目録』御茶ノ水大学ジェンダー研究センター編集・発行 2004年
  17. ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
  18. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
  19. ^ 『官報』第7954号「叙任及辞令」1909年12月27日。

参考資料[編集]

外部リンク[編集]