Sun Yuan(孙原)とPeng Yu(彭禹)は中国の二人組現代美術家。この作品は2016年にグッゲンハイム美術館とのコミッションワークとして制作されたインスタレーションで、2019年にはヴェネツィアビエンナーレのメインパビリオンに出展された。 真ん中に据え付けられているのは車の製造などに使われる産業用ロボットアームを改造したもの。視覚認識センサーを搭載していて、赤黒い液体が一定の領域を超えて広がると、はみ出したところめがけて搔き寄せにいくようプログラムされている。アームが機械音を立てて回転しながらヘラを下ろすたび、作品と鑑賞者を隔てる透明な壁に血のような飛沫が散る。 鑑賞者に嫌悪感を催させるような意図を含んだ作品や、社会問題への直接的すぎるカウンターのような作品は、良し悪しは別として私はあまり好きなほうではない。この作品も正直苦手な部類に入るかもしれなかった。血糊を使うこと自体結構どぎ
おざわ @miyayuki777 今もう展示の名前が思い出せないんだけど、5年くらいまえにせんだいメディアテークでやっていた特別展の展示が衝撃的で、仙台の土着の昔話?を展示しているようでどんどんそれが嘘っぽくなっていくという見せ方の展覧会で(続) 2021-01-10 23:39:17 おざわ @miyayuki777 鑑賞者はいかにも博物館のそれっぽい部屋に入っていって、部屋が新しくなるごとに嘘が増えていって、だんだんその異様さに気がつき、最後にはものすごい恐怖体験が待っているというものだったんだけど、フェイクをデザインするという意味であんな恐ろしい展示に出会ったことがなくすごく怖かったです。 2021-01-10 23:39:18
排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザインオリンピックに向けて東京の各所で再開発が進行した10年代。街には公共的で開かれるように、多くのベンチやパブリック・アートと思わしき造形物が登場した。しかしながら、それらの存在は、特定の人々の排除のために作用する「過防備」の一旦を担っているとも言える。これらを「排除アート」としての視点から研究する建築史家の五十嵐太郎が、都市機能としての不寛容さを指摘する。 文=五十嵐太郎(東北大学大学院・教授) 京王井の頭線渋谷駅前のオブジェ 近年、排除アートが増えているというニュースが散見される。路上、あるいは公共空間において、特定の機能を持たない、作品らしきものが、その場所を占拠することによって、ホームレスが滞在できないようにするものだ。もっとも、こうした現象は最近始まったわけではない。16年前、すでに筆者は『過防備都市』(中公新書ラクレ、20
根室市の外れにある落石岬。 落石の漁村から岬へと向かうダートの途中に、 コンクリの遺構が残っています。 この遺構は、M41年の開局からS34年まで、 太平洋を航行する船舶の通信基地として役目を果たした通信局の跡です。 「落石無線電信局跡」という碑と、「落石無線送信所跡」という碑が並んで立っており、 どちらがこの遺構の正式名称なのか分かりません。 まぁ、どちらでもいいのですが。 建物をぐるりと周ってみましたが、鉄の扉が施錠され、 ガラス窓も一切無く、 中をうかがうことができませんでした。 玄関らしき鉄の扉には、アーティスティックな表札がかかっています。 住居にはとても思えないので、 アトリエやギャラリーとして流用されているのかもしれませんが、 人の気配は全くありません。 窓は、あとからコンクリで埋めたのか。 それとも、最初からこういう、窓の無いデザインなのか。 それも分かりません。 2~3ヶ
mission 箱根山中に着陸した地球外知性《ぬ》との交流事業は、進捗がはかばしくないまま20年が過ぎようとしている。長年の失政によって昨年ついに民営化した政府は、地球外生命交流事業の分野においても聖域なき改革が必要であるとし、宇宙人に向けた成人向けコンテンツ開発という窮余の一策に手を出すに至った。例によってコンテンツ開発の矛先は、《ぬ》研究で定評のある武蔵野美術大学基礎デザイン学科オートポイエーシス論に委ねられることになった。 巷に人間向けのポルノグラフィーがあふれるなか、人間という制約を外したときいったいなにがエロスでありなにがエロスでないのか、その基礎研究から始めなくてはならない。予算も時間的猶予もないなか、一週間で宇宙一のアダルトサイトを完成させなくてはならない。人間が対象ではないので、人類の裸体は禁止されている。ムサビキソデオートポの動向に、世間の注目が集まっている。 works
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