![『いま世界の哲学者が考えていること』21世紀の哲学は、現実社会の問題に対してどう向き合って行くのか? - HONZ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f79f0f990ad03d809e14acc37f8a4d952c1a7df3/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51CN%252BubHCsL.jpg)
現代アートの作品を見たときの、あれやこれの疑問と混乱。どこか納得しないまま展覧会を後にした経験が一度はあるだろう。現代アートとどう接すればよいのか、社会の中における芸術の現在位置はどこか。著作『美学への招待』(中公新書)で平易な文章で美学を紹介する、佐々木健一・日本大学文理学部教授まで話を伺った。(鴨) ささき・けんいち 1971年、東京大学大学院人文科学研究科美学藝術学博士課程を修了。76年から埼玉大学助教授。その後東京大学文学部助教授をへて、89年に同大学教授。2004年に定年退職し、現在は日本大学文理学哲学科教授。東京大学名誉教授。著書に『美学辞典』(95年、東京大学出版会)、『フランスを中心とする18世紀美学史の研究―ウァトーからモーツァルトへ』(99年、岩波書店)、『美学への招待』(04年、中央公論新社)ほか多数。 芸術に対する素朴な疑問 ―現代アートが分かりません。 それは現代
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン いっさいを押し流していく空虚な河 何が流れているのだろう、ここに大きな流れがある。 水もなく、音もなく、何もない。 けれども、とどめようのない勢いで、ぼくの世界のいっさいを押し流していく、この空虚な河のようなもの。 ぼくは、流れから抜け出せない。 抵抗のそぶりさえ見せられず、ただ流されていく。 このまま、おしまいまで流されていくのだろうか。 どうすれば、いいのだろう。 流されるのをやめ、自力で泳ぐことはできないだろうか。 何とかして、ほんの少しでも。 一生懸命に考えていた。 それは、高校時代のこと。 きっと多くの人が同じ経験をしているだろう。 自分を動かす言葉だけが「思想」だと考えた ぼくは「思想する」ことに決めた。 「思想」とは何か。 それ
カント哲学の内容そのものには一歩も足を踏み入れることなく、話は人物像や逸話に終始した。兄が語るその口調は、まるでカントが今現在、海の向こうで大ブレイク中のロックスターであるかのように熱かった。 哲学者といえば、やっぱりカント。カントで決まりでしょ。自然科学の研究もしていたというし、天才だよね。性格も実に哲学者らしい哲学者で、やることなすこと厳格このうえない。毎日必ず決まった時刻に同じ道を散歩するものだから、近所の人々はカントの歩く姿を見て、時計の針を調整していたんだって。オマエ、信じられるか? とにかく、それぐらい偉いヤツなんだ。哲学の歴史はすべてカントに流れ込み、その後はすべてカントから流れ出たと言われるほどさ。カント哲学はあまりにも画期的で、それまでの哲学を根本からひっくり返したものだから、その衝撃を「コペルニクス的転回」と呼ぶんだぜ。 兄の話に耳を傾けているうちに彼のカント熱がたちま
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