戦争と本に関するh_nakのブックマーク (7)
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テロ、紛争、無差別殺人。世界は悲劇的なニュースで溢れている。人類は自らの手でその未来を閉ざしてしまうのではないか、と不安になる。ところが、著者スティーブン・ピンカーは大胆にもこう主張する。 長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれない にわかに信じがたいこの説を検証し、読者に確信させるためにピンカーは、人類の暴力の歴史を大量の統計データとともに振り返る。本書が上下で1,300ページ超という並外れたボリュームで膨大な文献を引用しているのは、並外れた説の主張にはそれに見合った証拠を提出する必要があるからだ。しかし、ピンカーが﹁統計のない物語が盲目であるとするならば、物語のない統計は空疎である﹂と語るように、本書はデータばかりが延々と続く退屈なものではない。持続的な暴力減少を示す圧倒的な事実の積み重ねとそのメカニズムに対す
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2012年08月19日10:42 カテゴリ本 文明と戦争 韓国の主張する﹁歴史問題﹂のほとんどはでっち上げだが、アメリカ議会やEU議会まで慰安婦決議をしている。このように国際的な情報戦で日本が韓国に負け続けてきた一つの原因は、その平和主義にある。日本人は平和を最優先するのが当たり前だと思っているかもしれないが、英語でpacifismというのは、自国が侵略されても抵抗しない敗北主義のことである。 人間はもともと平和に暮らしていたが、文明によって戦争を起こすようになり、科学が発達して大量殺戮が行なわれるようになった。原子力は人間がテクノロジーを制御できなくなった時代の象徴だ――という通俗的な話は当節流行の原発文明論でよく語られるが、それは逆である。 旧石器時代の人類は平均15%ぐらい殺されていたが、その原因は人間が類人猿より凶暴だったためではなく、道具を使うようになったためだ。石器によって相手
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﹁イスラム国﹂による残虐行為は、世界の現実を平和ボケの日本人にあらためて思い知らせた。人類の200万年の歴史の中では彼らが普通で、現代の日本人はきわめて例外的な時代に生きているのだ。40年前に人類学者が発見し、20年前に考古学者が提唱した﹁人類は石器時代から殺し合いを続けてきた﹂という仮説が、いま社会科学を大きく変えようとしている。 本書はこの仮説を心理学者が実証データで詳細に実証したものだ。図︵クリックで拡大︶の最上段が先史時代の戦争による死亡率で、人口の最大60%にのぼる。最下段が現代で、第2次大戦の死者でも世界の人口の2%程度だ。このように時代や文化圏によっても大きく違うが、近代以前の人類は平均して15~20%ぐらいが戦争で殺されていたと推定される。 この比率は成年男子ではもっと高く、半数近くが戦死した社会も珍しくない。つまり数百年前まで、人間の最大の死因は殺人であり、われわれは史上
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2014年03月06日20:30 カテゴリ本 財政=軍事国家の衝撃 資本主義の本質は、新古典派経済学のような均衡理論ではわからない。それを進化論的にとらえるオーストリア学派も、資本主義の最大の強みである巨大な資本蓄積を理解するには不十分だ。私は、資本主義の本質は戦争だと思う。それは競争の比喩ではなく、文字どおりの戦争である。 本書はこれを主題にし、強い君主が不在で﹁ヨーロッパでもっとも国家らしくない国家﹂と考えられていたイギリスが、なぜ強力な財政=軍事国家になり、18世紀以降の激しい戦争を勝ち抜いたのか、という謎を解明している。それは一般には﹁産業革命﹂で豊かになったためと考えられているが、イギリスの18世紀の成長率は年率1%弱で、フランスより低かった。では何がイギリスの強さの原因だったのか。 その一つの原因は、オブライエンも指摘する国債などの金融市場の発達である。イギリスが﹁産業資本主義
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2012年03月12日23:05 カテゴリ本 戦争が人類の歴史を決めた ホッブズは自然状態を﹁万人の万人に対する戦い﹂と考えたが、ルソーは原始時代には平等で平和に暮らしていた人間が私有財産や国家によって戦争を始めたと考えた。マルクスからレヴィ=ストロースに至る社会科学の主流はルソー的な人間観にもとづいているが、本書はこれを否定し、人類は200万年前から戦いを続けてきたという。 最近の考古学的なデータによると、世界のどこでも旧石器時代の死者の15%︵男性の25%︶前後が殺人によって死亡している。これは人類の顕著な特徴で、食糧や雌をめぐる争いはどの動物にもあるが、このように激しい戦いはみられない。しかし戦争を人間の﹁暴力本能﹂の結果と考えるのは妥当ではない。それは人間が道具を使うようになったことによる合理的行動である。 動物の武器は身体そのものなので、攻撃する側とされる側はほぼ対等だが、人間が
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資本主義を憎む人々は、昔は﹁社会主義﹂をとなえていたが、最近は﹁反グローバリズム﹂を唱えるようになった。こういう人々は、グローバリゼーションとはアメリカ政府と金融資本のたくらむ陰謀だと思っているのかもしれないが、本書はそういう通俗的な話を一笑に付し、資本主義は生まれたときからグローバルだったと指摘する。 かつて貿易の中心はアジアやアラビアだったが、新大陸を﹁発見﹂したヨーロッパ人は、大量の奴隷を送り込んで富を収奪した。新大陸の侵略は容易だったが、それは﹁インディアン﹂が少なかったからではない。南北アメリカ大陸には1億人近い原住民が住んでいたが、ヨーロッパ人の持ち込んだ伝染病に免疫のなかった彼らが、病気でほとんど絶滅してしまったからだ。 そしてヨーロッパ人は新大陸を支配し、アフリカら1200万人もの奴隷を連れてきた。建国当時のアメリカは、ピューリタンの国ではなかった。1800年の時点で、アメ
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人類200万年の﹁戦争の謎﹂のほとんどに答えを出そうとする野心的な本書は、上下巻合わせて996ページ、総重量1.2kg、翻訳者13名、そして7,560円という規格外のボリュームである。全17章から成る本書は3部構成となっており、それぞれが﹁戦争は人の本能か、それとも文明による発明か?﹂、﹁戦争と文明の発展はどのように相互作用したのか?﹂、そして﹁近代化は戦争をどのように変質させたのか?﹂を主題として、戦争にまつわる多くの謎に光を当てていく。 そのボリュームに比例して、本書の考察対象は途方も無く広いものとなっている。時間軸で見れば、武器すら持たない狩猟採集民時代から核・生物兵器によるテロの恐怖に怯える現代まで、地理的に見れば、先史時代の手がかりを残すオセアニアや南北アメリカから世界の覇権争いを主導したユーラシア大陸まで、学問領域を見れば、人類の本能を辿る人類学から制度と現象の因果関係を考察す
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