六本木ヒルズ
日本の東京都港区にある複合商業施設、および周辺の街区
六本木ヒルズ(ろっぽんぎヒルズ、英称:Roppongi Hills)とは、森ビルが17年の歳月を掛けて行った六本木六丁目特別再開発計画の一環で建築された、超高層ビル「六本木ヒルズ森タワー」を中心とした複合施設である。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f3/Roppongihills_overview.jpg/250px-Roppongihills_overview.jpg)
概要
主な施設として、ゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザーズ、J-WAVE、Yahoo!Japan、楽天などの企業テナント、森美術館などの文化施設が入居する森ビルの六本木ヒルズ森タワー、テレビ朝日本社ビル、ホテル︵グランドハイアット東京︶、シネマコンプレックス︵TOHOシネマズ六本木ヒルズ︶、屋外型イベントスペース︵六本木ヒルズアリーナ︶、住居︵六本木ヒルズレジデンス、ゲートタワーレジデンスなど︶、TSUTAYAやルイ・ヴィトンなどを始めとする多数のショップやブティック、レストランなどがある。
また、アメリカ人向けナショナル・スクールの、アメリカンスクール・イン・ジャパンの幼稚園がある。
デザインは、コーン・ペダーセン・フォックス・アソシエイツが森タワーやグランドハイアット東京などを、ジャーディ・パートナーシップ︵ジョン・ジャーディ、en:Jon Jerde︶がけやき坂など低層部の商業エリアを担当。テレビ朝日は建築家槇文彦、イメージキャラクターの﹁ロクロク星人﹂は現代芸術家の村上隆によるものである。なお、六本木ヒルズ森タワーにはJ-WAVEの非常用送信設備が備わっており、東京タワーからの送信が不可能になっても最大1kWの放送が可能である。前社屋の西麻布三井ビルと比べて、同出力の電波飛距離は格段に伸びている。
前史
江戸時代に長府毛利家上屋敷だった場所で、赤穂浪士の武林唯七ら7人が切腹した場所であったことでも有名である。長府藩︵長門府中藩︶出身の乃木希典もここで生まれている︵東京都旧跡︶。他に4つの寺院があった。
明治時代には法律家・増島六一郎︵中央大学の前身である英吉利法律学校の創立者の1人で初代校長︶の邸宅になった。第二次世界大戦の戦災に遭った後、1952年にニッカウヰスキーの工場、後に日本教育テレビ︵NETテレビ。後のテレビ朝日︶の敷地となった。
かつては広大な毛利家の庭園が残っていた。園内の池は、ニッカ時代にニッカ池という通称が付き、テレビ朝日のテレビ番組﹁さんまのナンでもダービー﹂で一部に知られるようになる。現在、敷地内には面積約4,300平方メートルの毛利庭園が設けられ、﹁毛利池﹂があるが、これはニッカ池とは異なる。かつての庭園遺構は毛利池の下に埋土保存されている。
また、都立駒場高校も前身の旧制府立第三高女時代に、駒澤大学の前身で1882年に開校した曹洞宗大学林専門本校があった場所も、六本木ヒルズの一角に当たる。その他メトロハットになっている場所は、西武セゾングループの文化・音楽拠点の一つだった六本木WAVEの跡である。
経緯
六本木ヒルズ誕生前は、テレビ朝日周辺の六本木六丁目は道路が狭く、消防車が通行することも困難な状況であった。1990年にテレビ朝日本社移転も兼ねた再開発計画地域に指定された。愛称で﹁六六︵ろくろく︶﹂と呼ばれているのも、六本木六丁目が由来となっている。なお、この付近の再開発の先行事例として、同じく森ビルが行った赤坂アークヒルズがある。
完成まで
●1986年 アークヒルズ完成に伴い、テレビ朝日本社が一時移転。権利変換により森ビルが地権者となり、ここを中心にアークヒルズに続く大規模な都市再開発計画が森ビル内でスタート。
●1993年 森ビルの働き掛けをきっかけに東京都も加わって、﹁六本木六丁目地区第一種市街地再開発事業﹂を開始。住民による勉強会が行われる。
●1995年 東京都が都市計画決定を告示。この年の阪神・淡路大震災を教訓に、耐震構造が組まれる。
●1996年 ﹁6.6プラン﹂発表。
●1997年 港区が地区の区域の公告を実施。東京都、港区、公共施設管理者が同意に至り、最終計画案がまとまる。
●1998年 六本木六丁目地区再開発準備組合が設立。
●1999年 東京都権利変換計画が認可され、仮住居への入居を開始。
●2000年 着工。ピーク時には1万人近くの工事作業員が作業に携わる。︵総事業費約2700億円︶
●2003年4月25日 開業︵街開き︶。
完成後
完成後は、東京の人気スポットとなった︵オープン後半年で、来街者数は2600万人︶[1]。IT関連などの企業が多く入居し、﹁ヒルズ族﹂という言葉が使われるようになった。急成長を遂げた企業は、六本木ヒルズに入居していなくともヒルズ族と呼ばれることもある︵例‥サイバーエージェント、USEN︶。
その後、2004年3月26日には2階正面口の自動回転ドアに6歳児が挟まれて死亡する事故が発生した(→六本木ヒルズ森タワー・回転ドア事故)。
当初は注目を集めた六本木ヒルズだが、入居企業の相次ぐ不祥事により、ブランド力の低下が起こっているという。最初に起きたのは、2006年のライブドア事件である[1]。その後、早くから六本木ヒルズに本社を置いていたヤフーの井上雅博社長が﹁同じビルに間借りしているだけで、括られるのはいかがなものか﹂と発言しているが、その後も、村上ファンド︵2006年︶、グッドウィル・グループ︵2008年︶、リーマン・ブラザーズ︵2008年︶押尾学逮捕(2009年)などテナント・入居者などの不祥事が相次いだ[1]。こうした状況は、都市伝説的に﹁ヒルズの呪い﹂などと一部で言われた[1]。
こうしたブランド力の低下と賃料の高さ、目新しさの薄れから、2008年には東京ミッドタウン︵2007年3月オープン。六本木ヒルズから徒歩10分程度の場所にある赤坂の防衛庁跡地に建設された、オフィス・ホテル・住居・商業施設などが入った複合施設︶や丸の内ビルと比べ、入居率が低い状況にある[1]。
電波障害
建設中から、東京都杉並区や立川市、昭島市、府中市など多摩地区の住民から、東京タワーから受信しているテレビ放送︵地上アナログ放送︶の映像が乱れる、全く視聴できないといった問い合わせがテレビ局やメーカーに相次いだ。 森ビル側は当初、六本木ヒルズによる電波障害は杉並区周辺までしか認められないとして、多摩地区住民の補償については否定的だったが、最終的には殆どの受信世帯にUHFアンテナを多摩中継局など他の送信タワーへ向け設置・切り替える措置を取った。 しかし切り替えた中継局は都域放送である東京メトロポリタンテレビジョン︵TOKYO MX︶を除きデジタル化される予定がなく運用を終了する予定であるため、その他の地上デジタル放送各局が視聴できない︵再度UHFアンテナの向きを東京タワー方向へ変えると同時にデジタル化しなければならない︶、あるいはCATVを契約し敷設する必要があるといった問題が起きており、各自治体も2011年のアナログ放送終了を控え対応に苦慮している。
交通
再開発以前は六本木交差点の地下にある地下鉄日比谷線六本木駅と青山通りを走る都バス路線しかなかったために交通の利便性は良いとはいえなかった。
しかし六本木ヒルズを中核とした地域再開発に伴い、東京地下鉄南北線、都営地下鉄大江戸線の開業と新駅設置、青山一丁目交差点や青山葬儀所と鳥居坂下交差点を結ぶ麻布トンネル・六本木トンネルの完成、ビル開業に合わせた各種バス路線の整備により、格段に向上した。
鉄道
東京地下鉄日比谷線、都営地下鉄大江戸線の六本木駅が最寄り駅︵日比谷線専用の出口1C直結、日比谷線・大江戸線共用の出口3から徒歩約4分︶。また、都営地下鉄大江戸線、東京地下鉄南北線麻布十番駅も利用可能︵出口3,4徒歩約4~7分︶。東京メトロ千代田線﹁乃木坂駅︵出口5︶﹂徒歩11分。
バス
- 一般路線バス
都営バスの路線は渋谷駅とを結ぶ都01折返と急行版のRH01系統、並びに五反田駅・品川駅とを結ぶ反96の各系統が運行されている。六本木ヒルズ内には、六本木ヒルズ︵森タワー1階︶、六本木けやき坂の停留所があり、都01折返とRH01は六本木ヒルズ→けやき坂→渋谷方面、反96系統は麻布十番駅→けやき坂→六本木ヒルズ→六本木駅の経路で運行される。
また、六本木通りを走る都01︵渋谷駅~東京ミッドタウン・赤坂アークヒルズ・新橋駅︶および渋88︵渋谷駅~新橋駅、青山学院大学・神谷町駅経由︶の六本木六丁目停留所も利用可能である。
コミュニティバス
2004年秋からは港区のコミュニティバス﹁ちぃばす﹂の2路線が田町駅及び赤坂方面から運行されている。都営バス反96系統同様に六本木ヒルズ、六本木けやき坂停留所に停まる。
その他
東京空港交通が運行する成田空港発着の空港リムジンバスがグランドハイアット東京に停車する。
-
都営バスのRH01系統専用車(2003年)
-
ちぃばす
車
六本木ヒルズ内に数箇所の駐車場があるものの、違法駐車をしている観光客の車や客待ちのタクシーなどで周囲は恒常的に渋滞している。
その他
脚注
関連項目
関連作品
- ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS
- 恋におちたら〜僕の成功の秘密〜
- ワンワンセレプー それゆけ!徹之進
- 日本沈没 - 地震によって崩壊する様子が描かれた。