飛嶋繁
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飛嶋 繁︵とびしま しげし、1907年1月10日 - 1986年2月1日︶は、日本の政治家および実業家。衆議院議員、藤沢市長および飛島組社長を務めた。父親は、飛島組の実質創業者である貴族院議員の飛嶋文吉。
飛嶋 繁 とびしま しげし | |
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生年月日 | 1907年1月10日 |
出生地 | 神奈川県 |
没年月日 | 1986年2月1日 |
出身校 | 明治大学商学部卒業 |
前職 | 飛島組社長 |
所属政党 |
民主自由党(1949-1950) 自由党(1950-1952) |
称号 | 勲三等瑞宝章 |
親族 | 飛嶋文吉 |
選挙区 | 福井県全県区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1949年1月23日 - 1952年8月28日 |
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当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年6月14日 - 1948年2月23日 |
略歴
編集
●1931年︵昭和6年︶ - 明治大学商学部を卒業し、父親の飛島文吉が社長を務める飛島組へ入社し、後継者教育を受けつつ経営へ携わる。
●1932年︵昭和7年︶9月 - 父文吉が貴族院議員に当選したことを期に、飛島組社長となる。
●1938年︵昭和13年︶3月6日 - 静岡県浜名湖の弁天島に、浜名湖ホテルを開業。
●1942年︵昭和17年︶1月 - 藤沢市へ武道場︵後の藤沢公民館分館﹁済美館﹂︶を寄贈する。
●1945年︵昭和20年︶5月24日 - 空襲により、東京の自宅を失う。
●7月19日 - 爆撃により、福井市内の旧本宅と本社を失う。
●1946年︵昭和21年︶4月24日 - 神奈川県藤沢市臨時市議会で、市長候補者として推薦議決を受ける。
●6月14日 - 藤沢市長に就任する。
当時は、藤沢市辻堂5583番地に居を構えていた。
●1947年︵昭和22年︶4月5日 - 藤沢市で第1回市長公選が実施され、市長に無投票当選する。
●5月14日 - 病気を理由に市長職の辞表を提出する。
●5月19日 - 辞表を撤回する。
●1948年︵昭和23年︶2月23日 - 市長を辞職する。
●10月31日 - 飛島組を解散する。
●1949年︵昭和24年︶1月23日 - 第24回衆議院議員総選挙にて、福井県全県区から衆議院議員に当選。
●1950年︵昭和25年︶2月28日 - 神奈川県藤沢郵便局庁舎敷地を寄付する。
●1952年︵昭和27年︶8月28日 - 抜き打ち解散により、衆議院議員を退任。
●1982年︵昭和57年︶4月29日 - 勲三等瑞宝章に叙される。
●1986年︵昭和61年︶2月1日 - 心不全で死去する。
●2月7日 - 特旨を以て位記を追賜される。
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 金子小一郎 |
神奈川県藤沢市長 1946年 - 1948年 |
次代 伊沢十郎 |