ポール・ヴェルレーヌ

フランスの詩人

Paul Marie Verlaine, 1844330 - 189618540
ポール・ヴェルレーヌ
Paul Verlaine
誕生 (1844-03-30) 1844年3月30日
フランスの旗 フランス王国 メス
死没 (1896-01-08) 1896年1月8日(51歳没)
フランスの旗 フランス共和国 パリ
職業 詩人
国籍 フランスの旗 フランス
文学活動 象徴主義
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生涯と作品

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彼の一生には、酒・女・神・祈り・反逆・背徳・悔恨が混在する。晩年には文名を高めデカダンスの教祖と仰がれたが、初期の作品の方が評価が高い。以下、箇条書きの部分は文学的事項である。

生い立ち

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1844-1864

退 (9) 7宿 (Lycée Bonaparte9[1])1820

1858(14)

1863(19)稿

青年期

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1865-1871

2118Mathilde Mauté251870719 - 187151018715/20 - 2827

1866(22)稿1Le Parnasse contemporain7稿

1867(23Poèmes saturniensLes Amies

1868(24)

1869(25)Fêtes galantes

1871(27)25稿

ランボー

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前列左よりヴェルレーヌ、ランボー、L・ヴァラード、E・デルヴィリィ、C・ペロタン、後列左よりP・エルゼアル・ボニエ、E・ブレモン、J・エカール。アンリ・ファンタン=ラトゥール

1871-1875

12821[2]2[2]2016434500[2]131
  • 1872年(28歳):婚約時代のマチルドを歌った優しき歌(La Bonne chanson)、戦乱に遅れて発行。
  • 1874年(30歳):獄中で書いた無言の恋歌(「言葉なき恋歌」とも/Romances sans paroles)が友人の手で刊行され、獄中の著者に届けられる。
  • 1875年(31歳):第3次「現代高踏詩集」への投稿を断られる(このとき、マラルメも同じ扱いを受ける)。

教職と美少年

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1875-1885

31333536-37西3839-4041

1881(37)Sagesse

1882(38)Art poétique

1884(40)Les Poètes maudits

栄誉と窮乏

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1885-1896

414242-4849250500[3](fr:François Coppée)17(Cimetière des Batignolles)51

1896

1885(41)Jadis et naguère

1886(42)Parsifal

1888(44)Amour

1889(45)Parallèlement

1890(46)Dédicaces

1891(47)Les Une et les AutresBonheurChansons pour elle

1892(48)Mes hôpitauxLiturgies intimes

1893(49)(La Plume8ÉlégiesOdes en son honneurMes prisons15Quinze jours en Hollande

1894(50)Dans les limbesPrince de PoéteÉpigrammes

1895(51)ConfessionsDésappointement

日本語文献

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歌曲

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以下の作曲家がヴェルレーヌの詩をもとにした歌曲を残している。

  • エルネスト・ショーソン - 『4つの歌曲』から1篇、『ヴェルレーヌの2つの詩』から2篇
    • 「安らぎ」op.13 (1885年)
    • 「いと優しき歌」op.34 (1889年)
    • 「不運な騎士」op.34 (1889年)
  • ガブリエル・フォーレ - 『艶なる宴』から4篇、『言葉なき恋歌』から2篇、『優しき歌』から9編、他
    • 「月の光」Op.46-2(1887年)
    • 「憂鬱」op.51-3(1889年)
    • 歌曲集『5つのヴェネツィアの歌』Op.58(1891年、5曲)
      • 「マンドリン」「ひめやかに」「グリーン」「クリメーヌへ」「やるせない夢心地」
    • 歌曲集『優しき歌』op.61(1891年 - 1892年、9曲)
      • 「後光を背負った聖女」「暁の光は広がり」「白い月影は森に照り」「私はつれない道を歩む」「私は本当に恐ろしいほど」「暁の星よ、お前が消える前に」「それはある夏の明るい日」「そうでしょう?」「冬が終わって」
    • 「牢獄」Op.83-1(1895年)
  • クロード・ドビュッシー - 『艶なる宴』から9篇、『言葉なき恋歌』から6篇、『叡智』から3篇
    • 「操り人形」(1882年)
    • 「ひめやかに」(1882年)
    • 「マンドリン」(1882年)
    • 「パントマイム」(1882年)
    • 「月の光」(1882年)
    • 歌曲集『忘れられたアリエッタ』(1886年 - 1889年、6曲)
      • 「やるせない夢心地」「巷に雨の降るごとく」「木陰にて」「木馬」「緑」「憂鬱」
    • 歌曲集『艶なる宴』第1集(1891年、3曲)
      • 「ひめやかに」「操り人形」「月の光」
    • 歌曲集『3つの歌曲』(1891年、3曲)
      • 「海はさらに美しく」「角笛の音は悲しく」「垣根のつらなり」
    • 歌曲集『艶なる宴』第2集(1894年、3曲)
      • 「無邪気な人たち」「牧神」「感傷的な対話」
  • モーリス・ラヴェル - 『艶なる宴』から1編、『叡智』から1篇
    • 「暗く果てしない眠り」(1895年)
    • 「草の上で」(1907年)

肖像画

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脚注

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  1. ^ (Lycée Condorcet )
  2. ^ a b c ランボー殺害未遂で使用の銃、5260万円で落札 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
  3. ^ 「パリの胃袋」として名高いムフタール通り (Rue Mouffetard) と繋がり、名門高校(リセ)のアンリ4世校の裏手にあるデカルト通り (Rue Descartes) 39番地にある。この建物は現在『ヴェルレーヌの家』と呼ばれるレストランになっているが、内装はヴェルレーヌ関係のものは一切なく映画俳優らの写真を並べたもので、価格も同じ通りのほかのレストランに倣い旅行者向けの手ごろな値段である。またこの建物の左隣には辻邦生が在住したと記した、ヴェルレーヌのものより一回り小さい記念プレートが掲げられている。

関連項目

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外部リンク

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