三五教
設立 | 1949年(昭和24年) |
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設立者 | 中野與之助 |
種類 | 宗教法人 |
法人番号 | 9080405004720 |
本部 |
![]() 静岡県掛川市横須賀字万神堂725-8[1] |
ウェブサイト | 宗教法人三五教公式サイト |
概要
編集天文台
編集天文学者・山本一清の勧めもあり、日本各地に天文台を設立した[3][15]。
月光天文台
編集国治天文台
編集1960年(昭和35年)頃(1958年(昭和33年)とする資料もあり[16])、愛知県岡崎市洞町字新池の標高120メートルの土地に「国治(くにはる)天文台」を建てた。本舎の160ミリ屈折赤道儀式望遠鏡のドームは和風の屋根になっていて、星にあわせてドームを動かすと屋根ごと回った。宿泊施設も併設されていた。またテント場や飯盒炊さんの施設もあった。都市化が進み、夜空が明るくなったことから、2005年(平成17年)頃に閉鎖された。2009年(平成21年)12月初め、建物跡地(約1,500平方メートル)が市に寄付された[17][18][19][20][16]。
その他
編集福岡県筑後市の「西部天文台」(1957年(昭和32年)11月設立。1958年(昭和33年)1月に「九州天文台」に改称。1992年(平成4年)撤去)、徳島県徳島市の「眉山天文台」(1958年(昭和33年)3月設立。1968年(昭和43年)撤去)、福島県二本松市の「奥州天文台」(1958年(昭和33年)4月設立。1991年(平成3年)撤去)、岐阜県多治見市の「濃尾天文台」(1958年(昭和33年)11月設立。1972年(昭和47年)撤去)、岩手県北上市の「東北天文台」(1959年(昭和34年)2月設立。1996年(平成8年)撤去)、熊本県山鹿市の「肥之国天文台」(1960年(昭和35年)設立。1983年(昭和58年)撤去)、長野県岡谷市の「信濃天文台」(1963年(昭和38年)設立。2015年(平成17年)時点で現存するが非公開[21])などを設立した[21][15]。
佐藤愛子は二本松での天文台建設を題材として、それをめぐる騒動をコミカルに描いた小説「あなない盛衰記」を著している[15]。
祭神
編集以下の八柱[22]を宇宙大御祖であるとする。
教勢
編集文化庁『宗教年鑑』令和元年版(63頁)によると信者は7,148人。
文書
編集- 『玉泉』中野與之助 三五教総本部 1953年
- 『霊界で観た宇宙一巻(鎮魂帰神)』 三五教総本部 1965年
- 『霊界で観た宇宙二巻(幽界)』 三五教総本部 1965年
脚注
編集参考文献
編集- 新宗教研究会『改訂最新版 新宗教ガイドブック』ベストブック、1999年。
- 林雅行『天皇を愛する子どもたち―日の丸教育の現場で』青木書店、1987年3月。ISBN 978-4250870002。
関連項目
編集外部リンク
編集- 宗教法人三五教公式サイト
- 三五教 - 宗教情報リサーチセンター