京急ストア
京急グループのスーパーマーケット事業
株式会社京急ストア(けいきゅうストア)は、東京都・神奈川県でスーパーマーケットチェーンを展開する企業である。京浜急行電鉄100%出資の関連会社である。
![]() 横浜市西区の本社(京急グループ本社) | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
![]() 〒220-0011 神奈川県横浜市西区高島1丁目2番8号(京急グループ本社) 北緯35度27分44.5秒 東経138度37分34.1秒 / 北緯35.462361度 東経138.626139度座標: 北緯35度27分44.5秒 東経138度37分34.1秒 / 北緯35.462361度 東経138.626139度 |
設立 | 1933年(昭和8年)6月21日 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 3010401009157 |
事業内容 | 食品・雑貨・衣料の小売販売および関連サービス事業 |
代表者 | 取締役社長 佐藤憲治 |
資本金 | 1億円(2020年3月31日現在)[1] |
純資産 |
170億4217万8000円 (2020年3月31日現在)[1] |
総資産 |
264億1824万4000円 (2020年3月31日現在)[1] |
従業員数 | 505名(2019年度末) |
主要株主 | 京浜急行電鉄 100%[2] |
外部リンク | https://www.keikyu-store.co.jp/ |
特記事項:出典は特記なければ公式サイト[3]より。 |
概要
編集京浜デパートの誕生
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1923年︵大正12年︶9月1日の関東大震災によって老舗百貨店である白木屋は東京・日本橋の本店が壊滅し、その復興が震災後の東京市の復興計画の遅れに伴う区割整理未決定の状態が長期化し、本建築での本格的な復興が遅れることになった[4]。
そのため、白木屋は十分な規模での営業を行うことが出来ず、不足分を補うために分店と称する店舗網を展開するようになった[5]。
この分店開設の一環として、京浜電気鉄道︵現在の京急線︶の品川乗入に伴て出来る高架下に品川分店を開設する計画を立てた[6]。
しかし、日本百貨店協会が支店などの開設を自粛する自制協定を発表したことに伴い、それに抵触するとしてこの構想は実現できなくなった[6]。
そこで、この計画を継承する形で京浜電気鉄道と白木屋の取引問屋が出資して1933年︵昭和8年︶に資本金10万円で株式会社京浜デパートを設立し、京浜電気鉄道品川駅の地階と地上1階の計約1,000坪の品川店を開設したのが始まりである[6]。
白木屋は先に述べた自制協定があったため出資こそしなかったものの支援は惜しまなかったとされており[6]、その運営方式の多くが白木屋のものを継承する形となっていた[7]。
1934年︵昭和9年︶9月に蒲田分店[6]、1935年︵昭和10年︶3月に鶴見分店[6][注1]︵現‥鶴見西店[8]︶、同年5月5日に川崎分店を開店するなど母体企業である京浜電気鉄道の沿線での多店化を推し進めた[6]。
ところが、川崎分店の開設の際に旧京浜電気鉄道本社跡という駅前の一等地に進出することは地元商店街にとって死活問題であるとして、地元商店主達が京浜デパート排撃期成同盟会を結成するなどして激しく反対運動を繰り広げた。
1935年︵昭和10年︶7月22日、20数名の暴漢が川崎店を襲撃して店内を破壊。川崎警察署が川崎小売商店連盟メンバーら80余人が検挙する出来事も発生[9]。結局、川崎分店を1936年︵昭和11年︶1月末日で閉店し、店舗跡を地場資本の百貨店小美屋に売却して撤退に追い込まれた[6]。
また、京浜デパートは母体企業の京浜電気鉄道沿線のみではなく、菊屋デパートの名称で他の鉄道会社のターミナル駅への出店を行っており[7][10]、池袋駅に木造2階建てで売り場面積2,347㎡の[11]池袋分店を1935年︵昭和10年︶2月に開設したほか[10]、同年12月に高田馬場分店を開設するなど開業当初から積極的な出店戦略を展開した[10]。
しかし、1940年︵昭和15年︶3月15日に菊屋デパート池袋分店を武蔵野鉄道︵現在の西武鉄道︶へ売却して武蔵野デパートとなり[11]、他の店舗も戦災で焼失するなど第2次世界大戦終了時までに、品川と鶴見の2店舗にまで事業規模が縮小する形となった[10]。
なお、菊屋デパート池袋分店も武蔵野鉄道へ売却後の1945年︵昭和20年︶春に戦災で全焼し[11]、戦後の1949年4月27日に西武百貨店へ商号を変更して同年末に営業を再開している︵現在のそごう・西武 西武池袋本店︶[7]。
また、1943年︵昭和18年︶3月には商号を株式会社京浜デパートから株式会社京浜百貨店へ変更している[10]。この商号変更は第2次世界大戦中の外来語規制に伴うものとされている。
第2次世界大戦後の多店化
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第2次世界大戦後の東京急行電鉄の分割再編に伴って1948年︵昭和23年︶6月1日に京浜急行電鉄が発足し[12]、翌年1949年︵昭和24年︶6月に当社株はその再編の一環として同社に引き継がれ、1954年︵昭和29年︶8月には同社が株式の過半数を取得して子会社化された[10]。
1950年11月21日には、通商産業省がアメリカ合衆国から購入した古着の販売︵放出︶を品川店で実施。背広やコートなど15000点を原価で販売した[13]。
新橋駅高架下に戦後開業した東京デパートを[14]譲受して、1955年︵昭和30年︶11月3日に[15]第2次世界大戦後初の出店として新橋店を開店し[10]、品川店や鶴見店と共に駅構内にある恵まれた立地条件を武器に良好な業績を上げた[15]。そのため、1959年︵昭和34年︶11月に横須賀店[10]、1961年︵昭和36年︶6月に鶴見東店[10]、1963年︵昭和38年︶4月に上大岡店[10]、同年10月には富岡店を開店するなど多店化が進められた[10]。
このうち富岡店は京浜ストアとして開店しており[10]、事業展開をスーパーマーケット事業へシフトする先駆けとなった。また、1957年︵昭和32年︶10月に京浜川崎駅構内に食堂と理髮店を開業したほか、1968年︵昭和43年︶2月に株式会社鉄友会を合併して同月に麴町にレストランと喫茶店を開業するなど小売事業以外の店舗展開も行っている[10]。
1970年︵昭和45年︶以降は多店化を加速させた。中でも1978年︵昭和53年︶5月に開業した葉山店は最初の郊外型スーパーで[10]、京急沿線の駅前以外への出店の先駆けとなった。
1990年に会社名、店舗名とも﹁京急ストア﹂に改称した。
1994年︵平成6年︶6月に品川店を改装した際に当社で初めて生鮮3品の販売を直営に切り替えると共に、専門店を入居させている店舗でも販促企画などを統一するなど生鮮食料品の販売力の強化に乗り出している[16]。
この生鮮食料品の販売直営化にあたっては精肉については完全な直営化ではなく、関連会社の京急フーズが運営する形態で実質的な直営化を図っている[17]。
1997年︵平成9年︶4月に横須賀中央駅に隣接して﹁魚屋の新鮮ずし﹂を開店するなど総菜販売の強化も進めている[18]。
2006年︵平成18年︶8月1日には京急グループとして一体的に運営することで意思決定のスピードを上げて経営を効率化させることを目的に、株式交換方式によって京浜急行電鉄が全株式を取得して完全子会社されることになった[19][20](p109)。
2013年︵平成25年︶4月にユニオネックスを吸収合併した。︵この決定は2012年︵平成24年︶4月に行われた[2][21]︶。ユニオネックスが営業していた食品スーパーの旧﹁ヨコサン﹂は﹁京急ストア﹂に改名され、高級スーパーの﹁もとまちユニオン﹂はそのままのブランド名で存続した。詳細はユニオネックス参照。
なお、京急上大岡駅ビルに1996年︵平成8年︶10月1日に開業した京急百貨店は[22]、当社ではなく1989年︵平成元年︶12月設立の株式会社京急百貨店が運営している[23]。
2019年︵平成31年︶2月に京急フーズを吸収合併した。
沿革
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●1933年︵昭和8年︶
●6月 - 株式会社 京浜デパートを設立。︵資本金10万円[6]︶
●7月 - 1号店の品川店を開店。
●1942年︵昭和17年︶ - 東京急行電鉄の関連会社になる。
●1943年︵昭和18年︶3月 - 株式会社 京浜百貨店に商号変更[10]。
●1948年︵昭和23年︶6月1日 - 京浜急行電鉄が発足[12]。
●1949年︵昭和24年︶6月 - 京浜急行電鉄が当社株を引き継ぎ、同社の関連会社となる[10]。
●1954年︵昭和29年︶8月 - 京浜急行電鉄が株式の過半数を取得して同社の子会社化となる[10]。
●1955年︵昭和30年︶11月3日 - 新橋店を開店[15]。︵戦後初出店[10]︶
●1987年︵昭和62年︶8月 - 株式会社 八社会を設立。
●1990年︵平成2年︶10月 - 株式会社 京急ストアに商号変更。
●1991年︵平成3年︶ - 生鮮部門の直営化を青果・惣菜・鮮魚・精肉の順に着手[24]。
●1994年︵平成6年︶11月 - KEIKYU SHOPの1号店、金沢文庫店を金沢文庫駅構内に開店。
●2006年︵平成18年︶8月1日 - 京浜急行電鉄の完全子会社となる[25]。
●2012年︵平成24年︶4月 - 本社事務所を東京都大田区大森北六丁目12番17号︵京急ストア平和島店向かい︶から港区高輪へ移転。[8]
●2013年︵平成25年︶4月1日 - ユニオネックスを吸収合併し、京急ストアが存続会社となる[2]。
●2018年︵平成30年︶10月1日 - 京急ハウツを吸収合併。
●2019年︵平成31年→令和元年︶
●2月1日 - 京急フーズを吸収合併。
●4月1日 - 京急ステーションコマースを吸収合併。
●9月30日 - 本社を港区高輪から横浜市に移転。他の京急グループ各社の、横浜への移転の一環である。[26][27]
店舗
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2017年7月15日現在、東京都・神奈川県の京急線沿線を中心に3業態52店舗を展開する。
京急ストア
主力業態となるスーパーマーケット︵食品スーパー︶。40店舗。うち4店舗は京急百貨店・京急サニーマートおよび京急ショッピングセンター﹁WING﹂の地下食品売り場の役割を担っており、いわゆるデパ地下が別法人による運営という形態となっている。
2004年12月に開店した﹁FHaB 湘南池上店﹂(ファーブ湘南池上店)[20](p108)は、他の京急ストアとは異なり、高級スーパーである[28]。近隣を回る無料の送迎ワゴンが運営されている[20](p51)。
もとまちユニオン
1958年創業の高級スーパーマーケット。元々は横須賀産業→ユニオネックスが運営していたが、2008年の京急グループ入りから2013年の合併に際して順次京急ストアに運営が移管された。8店舗[要出典]。
﹁もとまちユニオン﹂名のスーパーマーケットはコレット︵福岡県北九州市︶内にもあるが、これはユニオネックス元オーナーの谷尾凱夫が代表取締役会長を務めるニューヨーク・エボリューション︵旧・とみやま︶が運営する店舗であり、京急ストアとは関係がない[要出典]。
専門店
京急線駅構内の飲食店などの統括を行う2店舗と、京急百貨店・ルミネウィングの青果部門を担う2店舗。
他
かつては﹁Keikyu Shop﹂という名前のコンビニを運営していた事が2011年度の会社要覧に記載[29]されているが、2012年度以降の要覧[20](p92)では言及がない。2008年頃には8店舗、[30]2004年には12店舗が存在した。[31]入口の扉付近は、理由は不明だが、コミュニティストアのシールが挙げられていた。
出店していた場所は次の通り。
●西大井店︵大森海岸駅、移転前の店舗は現駅舎、移転後の店舗はニッポンレンタカー︶
●大鳥居店︵現マツモトキヨシ︶
●川崎駅前店︵解体、現駅舎︶
●鶴見東店︵京急鶴見駅、現京急ストア︶
●神奈川新町店︵解体︶
●能見台店︵現マツモトキヨシ?︶
●金沢文庫店︵現セブンイレブン京急ST︶
●横須賀店︵横須賀中央駅、現100円ショップ︶
●北久里浜店︵現セブンイレブン京急ST︶
●YRP店︵横須賀リサーチパーク、2016年ごろ解体︶
●京急長沢店︵現ローソンストア100︶
●三崎口店︵現セブンイレブン京急ST︶
出店店舗の詳細については、公式サイト﹁店舗案内﹂を参照。
関連会社
編集- 京急エルベフーズ: 飲食業・喫茶業・ファーストフードを経営
- 京急マリーンフーズ: 鮮魚・惣菜を加工販売。いくつかの京急ストア内に出店をしている。[32]2021年2月1日吸収合併。
関連項目
編集脚注
編集注釈
編集出典
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(一)^ abc“第127期決算公告” (PDF). 株式会社京急ストア. 2021年5月15日閲覧。
(二)^ abc連結子会社の合併に関するお知らせ, 京浜急行電鉄, (2012年4月18日), オリジナルの2013年4月6日時点におけるアーカイブ。
(三)^ 会社案内, 京急ストア, (2012年4月18日) 2015年6月12日閲覧。
(四)^ ﹃白木屋三百年史﹄ 白木屋、1957年3月18日。
(五)^ 谷内正往. “戦前京阪デパートの創立”. 梅信 2012年6月号 (近畿大学 通信教育部) (2012年6月1日)
(六)^ abcdefghi﹃日本小売業運動史 第1巻 戦前編﹄ 公開経営指導協会、1983年3月。
(七)^ abc由井常彦 ﹃セゾンの歴史 変革のダイナミズム 上巻﹄ リブロポート、1991年6月1日。ISBN 978-4845706259
(八)^ ab沿革, 京急ストア 2016年6月12日閲覧。
(九)^ 川崎の小売商が結束、デパートを襲撃﹃東京朝日新聞﹄昭和10年7月23日︵﹃昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年﹄本編p99 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年︶
(十)^ abcdefghijklmnopqr京浜急行電鉄社史編集班 ﹃京浜急行八十年史﹄ 京浜急行電鉄、1980年3月15日。
(11)^ abc菊池久 ﹃堤義明西武 vs. 五島昇東急﹄ 山手書房、1984年6月。
(12)^ ab﹃小田急電鉄 第88期有価証券報告書﹄ 小田急電鉄、2009年6月26日。
(13)^ ﹁放出衣料を原価で売り出し﹂﹃日本経済新聞﹄昭和25年11月19日2面
(14)^ ﹃東京 生きる姿・新しい步み﹄ 朝日新聞社出版局、1954年。
(15)^ abc﹃最近の十年﹄ 京浜急行電鉄、1958年。
(16)^ “京急ストア、生鮮部門を直営化 テナント育成にも力”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月18日)
(17)^ “京急ストア、生鮮直営化で売場に活気 仕入れ改善も進む”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年11月6日)
(18)^ “京急ストア、ミールソリューションチーム発足 生鮮・惣菜の満足追求”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年9月19日)
(19)^ “京急ストア、京急電鉄の完全子会社に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年3月24日)
(20)^ abcdKEIKYU HANDBOOK 2012-2013, 京急グループ, (2013) 2015年6月12日閲覧。
(21)^ “京浜急行電鉄、系列のSMユニオネックスを京急ストアに統合”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2012年4月25日)
(22)^ “京急百貨店、1日開店の上大岡店 米飯・惣菜は“できたて”提供を強調”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年10月7日)
(23)^ “京急電鉄グループ、百貨店事業に進出 第1号店を上大岡駅に8年10月開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年4月28日)
(24)^ 京急ストア、生鮮直営化で売場に活気 仕入れ改善も進む 日本食糧新聞
(25)^ 京急ストア、京急電鉄の完全子会社に 食の情報源
(26)^ “9月17日︵火︶から京急グループ11社が順次移転します!”. 京浜急行電鉄 (2019年5月20日). 2019年10月4日閲覧。
(27)^ “本社移転のご案内”. 京急ストア (2019年9月19日). 2019年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月6日閲覧。
(28)^ R・B・K EYE Vol41, 株式会社R・B・K, (2005年1月), p. 1 2015年6月12日閲覧。
(29)^ 京急グループ会社要覧 2011-2012, (2012), pp. 66, 92 2015年6月13日閲覧。
(30)^ 店舗案内・今週のチラシ, オリジナルの2008年12月5日時点におけるアーカイブ。
(31)^ “店舗案内︵アーカイブ使用︶”. web.archive.org (2004年4月20日). 2024年2月9日閲覧。
(32)^ 横須賀商工会議所 (2010年9月22日). “地魚週間 協力店一覧 ︵9月27日から10月10日まで︶”. 横須賀地産地消. p. 3. 2014年6月8日閲覧。
外部リンク
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