壬午軍乱

日本、閔氏政権に対する、19世紀朝鮮の軍人反乱
壬午事変から転送)

壬午軍乱(じんごぐんらん)または壬午事変(じんごじへん)は、1882年明治15年)、興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の首府漢城(現在のソウル)で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱。

壬午軍乱
朝鮮反乱軍に襲撃される花房義質公使一行(楊洲周延錦絵
各種表記
ハングル 임오군란
漢字 壬午軍亂
発音 イモグルラン
日本語読み: じんごぐんらん
ローマ字 Imo gullan
テンプレートを表示

概略

編集

使使[1][1]

433,000[1][1]使[1]3,000[1]退

[2]

背景

編集
 
特権階級である両班が寝転んでいるそばで農民たちが働いている(18世紀末葉の絵画)

[3][3]
 

[1][4][4][5][5]

[6]1881[6][6][6][2]

[4][4][4]


軍乱の発生

編集

俸給米不正支給から暴動へ

編集
 
国王の父、興宣大院君

518815西[5][7]80[5]

[5][7]52退[5]1[5][7][8]1882[9]

188271913[5][5][6][8][5][6][8][5][6][8][5][10]72369[5][7][8][10][5]

723使使[6][6]724[6][6]

23[5]

[3]


8[11]


[5]

軍乱による日本人犠牲者

編集
 
襲撃された日本公使館
 
漢城(現、ソウル)の日本公使館。1900年頃の撮影
 
公使館脱出を描いた豊原周延の木版画

使[4]







使



31使 15112



27使 15112



33 15112



22 15112



18 使 15112



27 15112



28 15112



 15112



22 2 15111



2815112 :



2115112



2315116

使

日本公使館員の脱出

編集
 
小舟で朝鮮を脱出した花房はじめ公使館員

使使[12]

使使使使[12]使使使使[12]使使28使[12]

使使使[12]退[9]

使使5[9][12]使[12]729[12]

閔妃の脱出

編集

[9][9][9][7][9][9]

大院君政権の復活

編集

92[5]35[5][6][5][6]

日清両国の対応

編集

日清両国はそれぞれ以下に詳述するように軍艦・兵士を派遣して軍乱に対応した。アメリカ合衆国もまた軍艦を派遣した[1]

日本側の対応

編集
 
在朝日本公使館弁理公使だった花房義質
 
外務卿、井上馨

使[7]調使[7]

[9][9][9]

使

1.

2.

3.

4.

5.使

6.

7.

[7][5]



8.

9.使

10.

[7]21300[7]

85使調[7][7][5]

813使[7]431[5][6][7]

816使2[5][7]7[7]350[5][7][5]

823[5][7]824

清国側の対応

編集
 
軍乱収拾のために酷暑のなかを精力的に活動した馬建忠

81使[5][7][5][7][5]調[5][6][7]
 

[5][7]87[7][7]

3810[5][7][6][7]8203,000340沿[5][6][7]

[5][7]824使825[5][7]調[5][7]

826[5][5]

軍乱の収束

編集

大院君拉致事件

編集

11882826713使[7]3[7][7][7][13]

[6]

日朝の再協議と済物浦条約

編集
 
済物浦条約(複写) 償金50万円について定めた第四款と軍員の駐留について定めた第五款

826使[6][4]828[4]2918828307176調[4]1876調[4]

[4][4]50使使姿[4][10][14][6][4][10][7]

[10][10]調[10]使調92

1030[4][8]

開国・開化方針の確認

編集

18829133,000[4][4][15][4]

91485西西[15][15]

中朝商民水陸貿易章程の締結

編集
 
1871年頃の李鴻章
 
1900年頃の袁世凱

1882104912貿[4][4][4][14][16][17]

貿貿[4][15][18]貿[7][15][18][4][15][17]

貿[4][15][15]貿貿[4]188424[17]

貿188210[4][4][19]2121227[4][9]

23[4]12,000[4]

[4]

反乱軍の処罰

編集

1882年10月、「大逆不道罪」によって、鄭顕徳・趙妥夏・許焜・張順吉らの官吏、また、白楽寛・金長孫・鄭義吉・姜命俊・洪千石・柳朴葛・許民同・尹尚龍・鄭双吉らの儒学者凌遅刑により処刑され、遺体は3日間晒された。また、その一族等も斬首刑に処せられた。

軍乱の影響

編集

朝鮮

編集
 
独立党のリーダーとして活躍した金玉均

姿[14][14]貿退[19][19]188210使使[10]12[10]

[19]3,000200[19]

[19][19]2[19][19]

清国

編集

[20]姿[14]3[10]

日本

編集
 
日本公使館が襲撃された場面を描いた錦絵

[21][22][23]18821124[22]1883[14][23][24][11][14][23]

1882127[20][20][12]

東アジア国際情勢

編集

日朝間で結ばれた済物浦条約は、朝鮮をあくまでも属国として支配しようとする清国を牽制する意味合いもあり、朝鮮半島で対峙する日清両軍の軍事衝突をひとまず避けることはできたが、一方では朝鮮への影響力を確保したい日本と属国支配を強めたい清国との対立は、以後さまざまなかたちで継続し、やがて、甲申事変日清戦争へとつながっていった。

脚注

編集

注釈

編集


(一)^ 2011p.44

(二)^ 退2000p.231

(三)^ 221886

(四)^   "使" JACARRef. A01100233700. 使

(五)^ 1995p.53

(六)^ 812620435010×55×1018841040

(七)^ 2021884402000p.232

(八)^ 18821031使使1995p.57

(九)^ 1995p.58

(十)^ 





^ 1882-18831884-18851992p.303

^ 2008p.288

出典

編集
  1. ^ a b c d e f g 呉(2000)p.227
  2. ^ 林『近世朝鮮史』(1900)
  3. ^ a b 大濱(1989)p.135
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 海野(1995)pp.56-61
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 呉(2000)pp.56-66
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 糟谷(2000)pp.231-232
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 海野(1995)pp.50-56
  8. ^ a b c d e 『韓国の歴史-国定韓国高等学校歴史教科書(新版)』(2000)
  9. ^ a b c d e f g h i j k F・A・マッケンジー(1972)pp.15-26
  10. ^ a b c d e f g h i 佐々木(1992)pp.221-224
  11. ^ ダデシュカリアニ「朝鮮の現況」ゲ・デ・チャガイ編『朝鮮旅行記』p.110
  12. ^ a b c d e f g h 国立公文書館アジア歴史資料センター「水野大尉筆記朝鮮事変ノ概況」レファレンスコード(A03023634400)
  13. ^ 黄文雄『もしもの近現代史』扶桑社、2013年8月31日、71頁。ISBN 978-4594068738 
  14. ^ a b c d e f g 牧原(2008)pp.278-286
  15. ^ a b c d e f g h 糟谷(2000)pp.232-235
  16. ^ 三谷(2016)p.48
  17. ^ a b c 並木・井上(1997)p.221
  18. ^ a b 原田(2005)p.87
  19. ^ a b c d e f g h i 呉(2000)pp.66-78
  20. ^ a b c 海野(1992)pp.22-24
  21. ^ 牧原(2008)pp.286-289
  22. ^ a b 海野(1992)pp.44-46
  23. ^ a b c 佐々木(1992)pp.227-229
  24. ^ 佐々木(1992)pp.302-305

参考文献

編集

書籍

編集

 2 ︿ 285 

寿︿18199211ISBN 4-08-195018-0 

寿︿19955ISBN 4-00-430388-5 

: 1019894ISBN 4-02-380007-4 

︿20001ISBN 4-16-660086-9 

-20118ISBN 978-4750511153 

  ︿220008ISBN 4-634-41320-5 

︿17199211ISBN 4-08-195017-2 

  -︿20004ISBN 978-4750312736 

   ︿19923ISBN 4-582-80547-7 

寿191997ISBN 978-4124034196 

︿13200812ISBN 978-4-09-622113-6 

  ︿197212ISBN 4-582-80222-2 

1900 


論文

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集