京都市立室町小学校
京都府京都市にある小学校
(室町学区から転送)
京都市立室町小学校(きょうとしりつむろまちしょうがっこう)は、京都市上京区にある公立の小学校。京都御苑(御所)の北西側一帯が通学区域であり、元学区としての室町学区である。
京都市立室町小学校 | |
---|---|
![]() | |
過去の名称 |
上京第六番組小学校 上京第七番組小学校 上京第十三番組小学校 木下校 竹園校 常習校 玄武校 室町尋常小学校 京都市室町国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1893年(明治26年)4月1日 |
創立記念日 | 1869年(明治2年)[注釈 1] |
創立者 |
上京第六番組 上京第七番組 上京第十三番組 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B126210000180 |
所在地 | 〒602-0029 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
![]() ![]() |
概要
編集沿革
編集
●1869年︵明治2年︶- 京都で番組小学校設立。室町小学校は3つの番組︵上京六番組・上京七番組・上京十三番組︶によりそれぞれ設置された3つの小学校を起源に持つ[3]。
●上京六番組︵→上京第五区→上京第五組[注釈2]︶
●1869年︵明治2年︶12月6日 - 上京六番組小学校設立︵木ノ下突抜町︶[4]
●﹁学校の沿革﹂では﹁京都上京第5番組︹ママ︺木下尋常小学校﹂の創設を1869年︵明治2年︶6月と記している[1]。
●その後、木下尋常小学校に改名[1][3]
●上京七番組︵→上京第二区→上京第二組︶
●1869年︵明治2年︶10月1日 - 上京七番組小学校設立︵竹園町︶[4]
●その後、竹園尋常小学校に改名[1][3]
●上京十三番組︵→上京第十区→上京第十組︶
●1869年︵明治2年︶10月16日 - 上京十三番組小学校設立︵畠中町︶[4]
●その後、校名を常習に改名
●1881年︵明治14年︶ - 校名を玄武に改名[1][3]
●1893年︵明治26年︶4月1日 - 木下・竹園・玄武の3校を統合、室町尋常小学校を創設[1]。当時の児童数は520人[1]。
●3つの組の中央︵現在地︶に新たな敷地を定めたが、当分の間は旧木下校を本校とし、2校を分教場とした[1]。
●1896年︵明治29年︶11月3日 - 建築竣工式︵初代校舎︶。教育の場を統一[1]。
●1919年︵大正8年︶5月6日 - 室町実務女学校を創設[4]。
●1922年︵大正11年︶4月1日 - 高等科男子の部を併置。室町尋常高等小学校と改称[4]。
●1926年︵大正15年︶4月1日 - 高等科女子の部を併置[4]。
●1928年︵昭和3年︶4月1日 - 第二室町校創設︵現在の紫明小学校︶[4]。
●1929年︵昭和4年︶4月1日 - 第二十二商業青年学校創設[4]。
●1934年︵昭和9年︶9月21日 - 室戸台風襲来。木造校舎が倒壊に瀕する[1][5]
●1936年︵昭和11年︶9月1日 - 第三室町校創設︵現在の元町小学校︶[4]。
●1936年︵昭和11年︶11月19日 - 鉄筋コンクリートの新校舎︵2代目校舎︶竣工[1][4][6]。
●八角形の特別教室を有する当時としては斬新な校舎で[1]、当時最新のスチーム暖房を全教室に完備していた[5]。
●1947年︵昭和22年︶4月1日 -京都市立室町小学校と改称[4]。
●1948年︵昭和23年︶ - 小学校内に京都市立室町中学校を併設[7]。
●室町中学校は間もなく廃止され、烏丸中学校に統合される。烏丸中学校は1951年︵昭和26年︶に烏丸通を挟んだ現在地に移転[5]。
●1958年︵昭和33年︶ - 校歌制定[8]
●1992年︵平成4年︶3月31日 - 現校舎︵3代目校舎︶竣工[1][5]。
通学区域
編集室町学区
編集
室町学区︵むろまちがっく︶は、京都市の学区︵元学区︶のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である﹁番組﹂に起源を持ち、学区名の由来ともなる室町小学校の通学区域とほぼ合致し、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
室町学区の沿革
編集
明治2年︵1869年︶の第二次町組改正により成立した上京第6番組、上京第7番組、上京第13番組に由来し、同年には、それぞれの区域内に上京第6番組小学校、上京第7番組小学校、上京第13番組小学校が創立した。
上京第6番組は、明治5年︵1872年︶には上京第5区、明治12年︵1879年︶には区が組となり上京第5組となった。設置された上京第6番組小学校は、その後校名を木下に改称した。
上京第7番組は、明治5年︵1872年︶には上京第2区、明治12年︵1879年︶には区が組となり上京第2組となった。設置された上京第7番組小学校は、その後校名を竹園に改称した。
上京第13番組は、明治5年︵1872年︶には上京第10区、明治12年︵1879年︶には区が組となり上京第10組となった[11]。上京第13番組小学校は、その後、校名を常習に改名し、1881年︵明治14年︶には玄武に改名した。
上京第2・5・10組は、学区制度により明治25年︵1892年︶には上京第2学区となった[12]。明治26年︵1893年︶4月1日、木下・竹園・玄武の3校を統合し、室町尋常小学校を設立した。
大正7年︵1918年︶4月1日に周辺町村が京都市に編入されるにあたり、愛宕郡上賀茂村の一部︵大字小山の全部と大字上賀茂の一部︶の区域は上京区の上京第2学区に組み入れられた[13]。その区域は概ね現在の紫明学区と元町学区に当たる。︵なお、紫明学区には、大正7年に京都市に編入された区域だけでなく、編入以前からの京都市域が、紫明学区南端の鞍馬口通沿いに含まれる。→﹁#紫明学区に含まれる町﹂参照。︶
昭和4年︵1929年︶に、学区名が小学校名により改称され、上京第2学区から室町学区となった[11]。学区内には、昭和3年︵1928年︶に第二室町校︵のちに校名を紫明に改称︶、昭和11年︵1936年︶に第三室町校︵のちに校名を元町に改称︶が創立された[注釈4]。
昭和16年︵1941年︶に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[14]︵京都市の学区そのものは昭和17年︵1942年︶に廃止[15]︶、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[14]。室町町内会連合会、紫明町内会連合会、元町町内会連合会が設置され[16]、戦後のポツダム政令[17]による解体ののち、室町町内会連合会の区域が住民自治の単位である室町学区となり、現在も地域自治の単位として用いられている。
昭和23年︵1948年︶4月10日に室町小学校の通学区域の一部︵今出川通以南で、新町通から烏丸通までの範囲︶が小川小学校の通学区域に変更された[4]。当該区域は、平成20年︵2008年︶4月1日に室町学区から小川学区に編入された[18]。
人口・世帯数
編集京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[19]、室町学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第10国勢統計区[20])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は7,510人、4,388世帯である。
地理
編集
上京区の北東部に位置する学区であり、南側[注釈5]と西側の南半は小川学区、西側の北半は西陣学区、成逸学区、北側は西から北区の紫野学区、紫明学区、出雲路学区、東側は京極学区と接し、南東部には京都御苑が位置する。区域は、機業地としての西陣の東端部にあたり[注釈6]、東は概ね寺町通よりも西、西は堀川通よりも東、北は鞍馬口通よりも南、南は概ね今出川通であり、面積は0.865平方キロメートル[21]。上京区では最も面積の大きな学区である。
室町学区内の通り
編集室町学区の町名
編集室町学区に含まれる町は以下のとおり。
- 今出川町
- 玄武町
- 新北小路町
- 御所八幡町
- 岡松町
- 築山南半町
- 築山北半町
- 畠山町
- 元新在家町
- 中御霊図子町
- 蒔鳥屋町
- 瓢箪図子町
- 裏築地町
- 上立売町
- 上立売東町
- 柳図子町
- 室町頭町
- 木下突抜町
- 裏風呂町
- 安楽小路町
- 挽木町
- 射場町
- 本法寺前町
- 納屋町
- 妙顕寺前町
- 宝鏡院東町
- 内藤町
- 道正町
- 古木町
- 下木下町
- 下柳原北半町
- 下柳原南半町
- 相国寺門前町
- 内構町
- 上柳原町
- 上木下町
- 畠中町
- 大心院町
- 禅昌院町
- 下清蔵口町(一部)
- 継孝院町
- 岩栖院町
- 玄蕃町
- 竹園町
- 森之木町
- 上御霊中町
- 上御霊竪町
- 上御霊前町
- 上御霊馬場町
- 新御霊口町[注釈 7]
- 高徳寺町
北区の出雲路立テ本町と、出雲路松ノ下町の一部[注釈3]は室町小学校の通学区域に含まれる[22]が、元学区としては出雲路学区に含まれる。
なお、もと上京第2・5・10組に属した町には、現在、室町学区ではなく、紫明学区、小川学区に含まれているものがある。以下の﹁#紫明学区に含まれる町﹂﹁#小川学区に移った町﹂を参照。
紫明学区に含まれる町
編集- 鞍馬口町
- 上善寺門前町
- 天寧寺門前町
- 新御霊口町[注釈 7]
- 上御霊上江町
- 小山町
- 長乗東町
- 長乗西町
- 上清蔵口町
小川学区に移った町
編集もと上京第13番組(上京第10組)に属し、平成20年(2008年)4月に(通学区域としては昭和23年(1948年)4月に)、室町学区から小川学区に移った町は以下のとおり。
- 堀出シ町
- 徳大寺殿町
- 今図子町
- 北小路室町
- 梅屋町
- 武者小路町
- 一条殿町
- 一松町
- 福長町
- 小島町
- 観三橘町
周辺
編集学校及びその周辺
編集正門は室町通に面した西側にある(現敷地への移転当時、室町通が主要な道であった[24])。敷地は北側は寺之内通、東側は烏丸通である。
室町学区内の主な施設
編集卒業生
編集脚注
編集注釈
編集
(一)^ 2009年に﹁創立140周年﹂を祝っている
(二)^ ﹁○番組﹂は1872年︵明治5年︶の市区改正により﹁○区﹂に、1879年︵明治12年︶の郡区町村編制法により﹁○組﹂と改められた。なお、区から組への改正に当たっては同じ番号が用いられている。
(三)^ ab出雲路松ノ下町の紫明通︵疏水跡道路︶以南
(四)^ 第二次世界大戦前の京都市の学区については、学区内に新たに小学校が創立して通学区域が分割されても、学区の区域が分割されることはなかった。︵→﹁京都の元学区﹂の記事を参照。︶
(五)^ 今出川通以南の小川学区編入以前は南側で中立学区とも接していた。
(六)^ 応仁の乱でいえば東軍に由来する﹁東陣﹂にあたる。
(七)^ ab室町学区と紫明学区の新御霊口町は接しているが別の町として数えられる。
出典
編集
(一)^ abcdefghijklm学校の沿革 - 京都市立室町小学校︵旧サイト︶
(二)^ ab“我が学区の身近な歴史舞台再発見/文化人ゆかりの地”. 上京区役所. 2018年3月24日閲覧。
(三)^ abcd“京都市立小学校の変遷” (pdf). 京都市学校歴史博物館. 2018年3月24日閲覧。
(四)^ abcdefghijklm“室町小学校の沿革”. 京都市立室町小学校︵旧サイト︶. 2018年3月24日閲覧。
(五)^ abcd“学区案内/室町学区︵むろまち︶”. 上京区役所. 2018年3月24日閲覧。
(六)^ ﹁学区案内/室町学区︵むろまち︶﹂には、新校舎の完成は1937年︵昭和12年︶とある。
(七)^ “京都市立中学校・総合支援学校の変遷” (pdf). 京都市学校歴史博物館. 2018年3月24日閲覧。
(八)^ “校内のようす4 校歌の碑”. 京都市立室町小学校︵旧サイト︶. 2018年3月24日閲覧。
(九)^ “京都市通学区町名一覧︵北区︶”. 2023年11月3日閲覧。
(十)^ “京都市北区役所‥リレー学区紹介-出雲路学区”. 2023年9月2日閲覧。
(11)^ abc﹁室町学区﹂﹃史料京都の歴史 第7巻 (上京区)﹄平凡社、1980年、76-77頁。doi:10.11501/9574460。ISBN 9784582477078。
(12)^ 明治25年6月3日府令第42号︵京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件︶﹁明治25年6月3日府令第42号﹂﹃京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻﹄1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418。
(13)^ ﹁大正7年2月22日京都市告示第89号﹂﹃京都市 地名・町名の沿革﹄ (1994), pp. 47, 48︵大正7年2月22日京都府告示第89号︶
(14)^ ab京都府立総合資料館 編﹁昭16(1941)年﹂﹃京都府百年の年表1︵政治・行政編︶﹄京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070。
(15)^ 京都府立総合資料館 編﹁昭16(1941)年﹂﹃京都府百年の年表5︵教育編︶﹄京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074。
(16)^ 京都市戦時生活局振興課 編﹁各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額﹂﹃国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度﹄京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568。
(17)^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令︵昭和22年政令第15号︶
(18)^ “学区案内トップページ”. 2023年11月2日閲覧。
(19)^ “用語の解説︵京都市の人口 令和2年国勢調査結果︶”. 2023年8月17日閲覧。
(20)^ 令和2年国勢調査時点
(21)^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局﹁地図で見る統計︵jSTAT MAP︶﹂に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
(22)^ “京都市通学区町名一覧︵北区︶”. 2023年11月3日閲覧。
(23)^ ﹁鞍馬口村﹂﹃史料 京都の歴史 第6巻 北区﹄
(24)^ “校内のようす2 二宮金次郎の石像”. 京都市立室町小学校︵旧サイト︶. 2018年3月24日閲覧。
参考文献
編集
●﹁室町学区﹂﹃史料京都の歴史 第7巻 (上京区)﹄平凡社、1980年、76-77頁。doi:10.11501/9574460。ISBN 9784582477078。
●“学区案内/室町学区︵むろまち︶”. 2023年10月29日閲覧。
●京都市 編﹃京都市 地名・町名の沿革﹄1994年。
関連文献
編集
●﹃京都市の地名﹄平凡社︿日本歴史地名大系27﹀、1979年。ISBN 4-582-49027-1。
●碓井小三郎﹁上京第二学区之部﹂﹃京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之首-五﹄1915年、19-92頁。doi:10.11501/1210435。
●﹁上京区室町学区﹂﹃京都市学区大観﹄京都市学区調査会、1937年、29-31頁。doi:10.11501/1440637。