本中小屋駅
かつて北海道石狩郡当別町にあった北海道旅客鉄道の駅
本中小屋駅(もとなかごやえき)は、かつて北海道石狩郡当別町字中小屋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130207[1]。
本中小屋駅 | |
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![]() 駅舎(2017年7月) | |
もとなかごや Moto-nakagoya | |
◄石狩金沢 (4.5 km) (3.2 km) 中小屋► | |
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所在地 |
北海道石狩郡当別町字中小屋 北緯43度16分48.62秒 東経141度35分30.89秒 / 北緯43.2801722度 東経141.5919139度 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 札沼線(学園都市線) |
キロ程 | 35.6 km(桑園起点) |
電報略号 | モナ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1935年(昭和10年)10月3日 |
廃止年月日 | 2020年(令和2年)5月7日[報道 1] |
備考 |
無人駅 路線廃止に伴う廃駅 |
歴史
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/MotoNakagoya_eki.jpg/220px-MotoNakagoya_eki.jpg)
駅名の由来
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地名より。札沼線開通時に中小屋地区には2駅が設置されることとなったが、このうち、地区北端に設置される駅を中小屋駅とし、当駅は﹁本﹂を冠した[10][11]。
地名の由来については、当地が月形と当別の中間点に当たることに由来するとされるが、諸説ある。
- 鉄道省札幌鉄道局による『駅名の起源』(1939年版)では、当地にはかつてただ1軒の民家茶屋があり、月形と当別の中間にあったことから「中茶屋」と呼ばれ、それが「中小屋」となった、としている[10]。
- 1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が上記『駅名の起源』の新版として発行した『北海道 駅名の起源』では、樺戸集治監の囚人によって月形 - 当別間の道路建設を行った際、月形と当別の中間である当地に囚人を収容する小屋が設けられたため、としている[11]。
駅構造
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単式ホーム1面1線を有していた地上駅。石狩当別駅が管理していた無人駅。ヨ3500形のヨ4473改造の駅舎であった。
2020年5月7日の北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標が撤去された[新聞4]。
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ホーム(2017年7月)
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駅名標(2017年7月)
利用状況
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●1950年︵昭和25年︶の1日平均乗車人員は57人[12]。
●1955年︵昭和30年︶の1日平均乗車人員は66人[12]。
●1960年︵昭和35年︶の1日平均乗車人員は122人[12]。
●1965年︵昭和40年︶の1日平均乗車人員は151人[12]。
●1969年︵昭和44年︶の1日平均乗車人員は114人[12]。
●2011 - 2015年︵平成23 - 27年︶の乗降人員調査︵11月の調査日︶平均は﹁10名以下﹂[報道5]。
●2012 - 2016年︵平成24 - 28年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は6.0人[報道6]。
●2013 - 2017年︵平成25 - 29年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は7.0人[報道7]。
●2014 - 2018年︵平成26 - 30年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は6.6人[報道8]、乗降人員調査︵11月の調査日︶平均は﹁10名以下﹂[報道9]。
●2015 - 2019年︵平成27 - 令和元年︶の乗車人員︵特定の平日の調査日︶平均は7.2人[報道10]。
駅周辺
編集民家が数軒あるのみ。東側には新篠津村との境界がある。
- 国道275号
- 中小屋温泉(徒歩10数分程度)
隣の駅
編集脚注
編集出典
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(一)^ 日本国有鉄道営業局総務課 編﹃停車場一覧 昭和41年3月現在﹄日本国有鉄道、1966年、220頁。doi:10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
(二)^ ﹃官報﹄ 1935年9月26日 鉄道省告示第405号︵国立国会図書館デジタルコレクション︶
(三)^ abc石野哲︵編︶﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ﹄JTB、1998年、832-833頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(四)^ ﹁運輸通信省告示第353号﹂﹃官報﹄1944年7月20日︵国立国会図書館デジタルコレクション︶
(五)^ ﹁運輸省告示第313号﹂﹃官報﹄1946年12月10日︵国立国会図書館デジタルコレクション︶
(六)^ “日本国有鉄道公示第210号”. 官報. (1980年1月31日)
(七)^ “﹁通報﹂●札沼線石狩金沢駅ほか5駅の駅員無配置について︵旅客局︶”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 3. (1980年1月31日)
(八)^ ab杉山茂﹁電化目前の学園都市線と専用気動車のこと﹂﹃鉄道ファン﹄第615号、交友社、2012年7月、27頁。
(九)^ ﹃JRガゼット﹄2009年10月号、交通新聞社
(十)^ ab札幌鉄道局編 編﹃駅名の起源﹄北彊民族研究会、1939年、31頁。NDLJP:1029473。
(11)^ ab﹃北海道 駅名の起源﹄︵第1版︶日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、52頁。ASIN B000J9RBUY。
(12)^ abcde当別町史 昭和47年5月発行 880頁。
(13)^ “月形当別線 とべ~る号時刻表”. 当別町. 2023年1月9日閲覧。
報道発表資料
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(一)^ ab﹃札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶の鉄道事業廃止届の提出について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2018年12月21日。オリジナルの2018年12月24日時点におけるアーカイブ。2018年12月24日閲覧。
(二)^ ab﹃札沼線︵学園都市線︶の電化について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2009年9月9日。2009年9月14日閲覧。
(三)^ ﹃札沼線︵学園都市線︶の電化開業時期について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2011年10月13日。2011年10月17日閲覧。
(四)^ ﹃札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶最終運行について﹄︵PDF︶︵プレスリリース︶北海道旅客鉄道、2020年4月16日。オリジナルの2020年4月16日時点におけるアーカイブ。2020年4月16日閲覧。
(五)^ “極端にご利用の少ない駅︵3月26日現在︶” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年12月10日閲覧。
(六)^ ﹁札沼線(北海道医療大学・新十津川間︶﹂︵PDF︶﹃線区データ︵当社単独では維持することが困難な線区︶﹄、北海道旅客鉄道株式会社、2017年12月8日。2017年12月10日閲覧。
(七)^ ﹁札沼線(北海道医療大学・新十津川間︶﹂︵PDF︶﹃線区データ︵当社単独では維持することが困難な線区︶︵地域交通を持続的に維持するために︶﹄、北海道旅客鉄道株式会社、2018年7月2日。オリジナルの2017年12月31日時点におけるアーカイブ。2018年7月4日閲覧。
(八)^ “札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶” (PDF). 線区データ︵当社単独では維持することが困難な線区︶(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
(九)^ “駅別乗車人員” (PDF). 全線区のご利用状況︵地域交通を持続的に維持するために︶. 北海道旅客鉄道. 2020年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月20日閲覧。
(十)^ “札沼線︵北海道医療大学・新十津川間︶” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人未満の線区︵﹁赤色﹂﹁茶色﹂5線区︶. 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
新聞記事
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(一)^ “札沼線・北海道医療大学―新十津川 20年5月7日に廃止”. 北海道新聞. (2018年12月8日). オリジナルの2018年12月17日時点におけるアーカイブ。 2018年12月8日閲覧。
(二)^ “札沼線廃止、21日にも届け出 JR、沿線4町と覚書調印”. 北海道新聞. (2018年12月21日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。
(三)^ “JR札沼線、北海道医療大学-新十津川間が廃止へ 2020年5月、地元と合意”. 毎日新聞. (2018年12月20日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。
(四)^ “札沼線静かに廃止 新十津川-道医療大 駅名標を撤去”. 北海道新聞. (2020年5月7日). オリジナルの2020年5月14日時点におけるアーカイブ。 2020年5月14日閲覧。