凡例

村上 武吉
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文5年(1536年[注 1]
死没 慶長9年8月22日[1]1604年9月15日
別名 村上武慶、能島武吉
戒名 大仙寺覚甫元正居士[1]
墓所 元正寺墓地(山口県大島郡周防大島町内入)
官位 掃部頭[1]、大和守[1]
主君 毛利元就隆元輝元小早川隆景
→毛利輝元
氏族 能島村上氏
父母 父:村上義忠[1]
村上通康の娘(華岳正春禅定尼
元吉[1]景親[1]
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出自

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51508

生涯

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家督相続まで

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51536[1]

[2]

厳島の戦い以降

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海賊停止令

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31598[3]

西沿沿22使

616019160482269[4][1]

121607

逸話

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 後に作成された村上氏の系図類では武吉が慶長9年(1604年)に72歳で死去したと記載されており、逆算すると天文2年(1533年)生まれとなるが、元亀2年(1571年)8月に武吉が光林寺灯篭を寄進した際に記した祈願状(『光林寺文書』)では自らの生年の干支を「丙申」と記しているため、これに従うと天文5年(1536年)の生まれとなり、慶長9年(1604年)に死去した際の年齢は69歳となる。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 今井尭ほか編 1984, p. 351.
  2. ^ 西尾和美「織田政権の西国侵攻と瀬戸内海賊衆」(『松山東雲女子大学人文学部紀要』12巻、2004年)
  3. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』(近代文芸社、2000年)42頁
  4. ^ 山内護「少年武吉と御家騒動」(歴史読本編集部編『戦国最強の水軍 村上一族のすべて』KADOKAWA、2014年)

参考文献

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  2005 ISBN 4-404-03317-6

32西19843ASIN B000J78OVQISBN 4404012403 NCID BN00172373OCLC 11260668:84023599 

2007ISBN 4404035020

 2005 ISBN 4-06-258322-4

 2012 ISBN 9784121021465

関連作品

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