桂春雨
桂 春雨︵かつら はるさめ︶は、落語家・色物の名跡。当代は2代目か3代目であると推測される。過去に何人いたか不明。
●先代桂春雨︵大正末生 - 1960年︶ - 二代目桂春団治の桂福団治時代の門人で春団治の一番弟子。桂一福から1934年11月、桂春雨と改名。同時に師匠は桂春團治となる。上方落語衰退期の1939年に落語家を廃業し、漫才に転身。新興演芸部でミスワカ子とコンビを組む。戦後は春団治の一座に納まった。落語家時代には﹁たらちね﹂が印象的だったと吉田留三郎が著書の﹃かみがた芸能 漫才太平記﹄の中で評した。なお同著書では﹁1960年に死去した﹂と書かれている。
当代 | |
桂春團治一門の定紋「花菱」 | |
本名 | 中田 雅也 |
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生年月日 | 1964年1月28日(60歳) |
出身地 | 日本・東京都文京区 |
師匠 | 三代目桂春團治 |
出囃子 | 春雨 |
活動期間 | 1983年 - |
活動内容 | 上方落語 |
配偶者 | 中田まなみ |
所属 | フリー |
公式サイト | 桂 春雨 |
備考 | |
上方落語協会会員 | |
経歴
編集東京都立小石川高等学校卒業後、1983年4月に三代目桂春団治に入門。
活動
編集人物・来歴
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●1964年、東京都文京区、三業地のあった白山一丁目︵旧、小石川指ヶ谷町︶で生まれる。妻はカルビー創業者松尾孝の孫娘。
●歌舞伎・文楽を愛好し、お茶を嗜み長唄を口ずさむ﹁優男︵やさおとこ︶﹂。和物だけでなく、近年は宝塚歌劇にも目覚め、健康のためにクラシックバレエのレッスンも始めた。
エピソード
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●毎年訪れるイタリアについてかなり詳しく、自転車プロロードレース選手マリオ・チポリーニのファン。
●虚弱体質であり、花粉症。肺に水が溜まって入院したこともある。
●第3回公演より﹁花詩歌タカラヅカ﹂に参加。芸名は﹁小石川 みや美﹂。
●夫人はお囃子の中田まなみ。花詩歌タカラヅカの芸名は﹁喜多浜 こすも﹂。
●2007年より、大阪市立大学において公開授業﹁大阪落語への招待﹂に講師として参加し桂春之輔と共に教鞭をとる。2014年より客員准教授。2017年より客員教授。
●生誕五十年を記念して、大阪の寄席天満天神繁昌亭に於いて、一年間の間に五十席の落語を口演する﹃春雨五十席﹄と題する独演会シリーズ︵全18回︶を開催した。
●五十歳になったのをきっかけに、アンチエイジングのためクラシックバレエを始める。
●3代目桂春団治の華麗な羽織の脱ぎ方を継承しているのは、門弟では桂春雨だけである[1]。