踞尾村
日本の大阪府泉北郡にあった村
踞尾村(つくのむら)は、かつて和泉国・大阪府にあった村である。現在の堺市西区の一部に相当する。
つくのむら 踞尾村 | |
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廃止日 | 1942年7月1日 |
廃止理由 |
編入 鳳町、浜寺町、踞尾村、八田荘村、深井村、東百舌鳥村 → 堺市 |
現在の自治体 | 堺市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 泉北郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 堺市、深井村、八田荘村、鳳町 |
踞尾村役場 | |
所在地 | 大阪府泉北郡踞尾村 |
座標 | 北緯34度32分13秒 東経135度28分21秒 / 北緯34.53683度 東経135.4725度座標: 北緯34度32分13秒 東経135度28分21秒 / 北緯34.53683度 東経135.4725度 |
ウィキプロジェクト |
歴史
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踞尾の地名は、神功皇后が三韓征伐の際にこの地に立ち寄り、人々がひれ伏した︵踞る<うずくまる>︶という逸話に由来する。
安土桃山時代から蔵入地と寺領があり、江戸時代も幕府領・旗本知行所・寺領に分かれていた。寺領は西本願寺領と堺16ヶ寺領に分かれ、江戸後期になると堺16ヶ寺領はさらに南宗寺・常楽寺・向泉寺の3ヶ寺領と他13ヶ寺領に分かれた。
1698年︵元禄11年︶に当村の北村六右衛門が摂津国西成郡の三軒家浦に新田を開発。﹁和泉国﹂﹁踞尾村﹂から一字を取って泉尾新田と名付けられた。また、1925年︵大正14年︶には北村姓を取った泉尾北村町という町名も誕生した︵現・大阪市大正区泉尾、同区北村︶。
1960年︵昭和35年︶に津久野駅が開業したが、﹁踞尾﹂の表記に難色を示した国鉄が﹁津久野﹂表記を採用した。これがきっかけとなり、1964年︵昭和39年︶には地名も﹁津久野﹂の表記に変更された。現在は氏神社の踞尾八幡神社などに﹁踞尾﹂の表記が残っている。
沿革
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●1889年︵明治22年︶4月1日 町村制施行により、大鳥郡上石津村、市村、踞尾村が合併して大鳥郡神石村となる。
●1891年︵明治24年︶2月25日 神石村から分立して、大鳥郡踞尾村︵町村制︶となる。
●1896年︵明治29年︶4月1日 郡の統廃合により、泉北郡に所属。
●1942年︵昭和17年︶7月1日 泉北郡浜寺町、鳳町、八田荘村、深井村、東百舌鳥村と共に堺市に編入される。
●1943年︵昭和18年︶ 一部が堺市上野芝町に編入され、同市上野芝向ケ丘町、神野町、踞尾本町、鶴田町、踞尾宮本町、宮下町、下田町の町名に改称。
経済
編集産業
編集- 金融機関
出身・ゆかりのある人物
編集- 似雲(僧、歌人) - 晩年は踞尾に隠棲。
脚注
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(一)^ ab﹃日本全国諸会社役員録 明治30年﹄大阪府178 - 179頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2023年1月26日閲覧。
(二)^ ab﹃銀行総覧 第1回﹄大阪府15頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2023年1月26日閲覧。
(三)^ ab﹃日本全国諸会社役員録 明治34年﹄大阪府274頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2023年1月26日閲覧。
参考文献
編集- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治30年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治34年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 大蔵省理財局編『銀行総覧 第1回』浜田活版所等、1896年。