8ビット御三家
概要
編集呼称に関して
編集機種
編集時代背景
編集家庭向け市場の開花
編集日本国外メーカーの動向
編集互換性
編集用途
編集プログラミング
編集市販ソフトウェア
編集商業ベースの市販ソフトウェアも多数のタイトルがあり、マイコン専門店においては豊富に取り揃えられていた。初期のソフトウェアの品質は玉石混淆であったが、ある程度ハードウェアの淘汰が進み、ソフトウェアの流通が整備されてくると、品質も次第に向上していった。
ジャンル構成は、OS、システムユーティリティ、アセンブラやコンパイラとエディタやデバッガ等を含めたプログラミング環境、表計算、ワードプロセッサ、データベース、帳票処理などの実務アプリケーション、CAI用の教育用ソフトウェア、住所録や家計簿などの家庭向けソフトウェア、ゲームなどであった。
同時代の特色として、当時の物価水準ではパソコン本体及び周辺機器が高価であったことに加え、ソフトウェアもまた(単価が現在と大差ないことを鑑みれば)高価なものであったことから、主要都市やターミナル駅の周辺にはこれらのソフトウェアの(違法な)レンタルショップやコピーショップ、コピーガード除去ツールを販売する店も存在していた。
ゲーム
編集CG
編集一般消費者がCPUとフレームバッファを手にした最初の製品群でもあるこれら8ビットパソコンは、一般消費者によってコンピュータグラフィックスの探求が始まった最初の世代とも言える。
当初はBASIC言語によるライン&ペイント処理によってグラフ処理を応用した多角形やリサージュ、マンデルブロ集合などの「コンピュータグラフィックス」がよく描かれ、その後雑誌や漫画・アニメなどのイラストや漫画の模写が行われるようになった。また、フロッピーディスクドライブが普及したことでビットマップ画像の保存と再生が容易になると、カーソルキーやポインティングデバイスによって移動したカーソルによってピクセルを直接操作する、現在のレタッチ系グラフィックツールのルーツとも言える環境が現れることになる。多くはデジタル8色、多くても256〜512色程度のアナログカラーパレットから限定的な色を選択することしかできず、解像度も低いなど、多くの制約のある環境ではあったが、当時は「ドット職人」と呼ばれる、限られた環境の中で技巧的な作品を描いてみせるユーザーもおり、雑誌などでその腕前を披露していた。また、低解像度のレンダリングに数十秒〜数日、中には数週間という時間を要したものの、ワイヤーフレームやポリゴン、レイトレーシング等の手法による3Dグラフィックスを模索するユーザーもあり、中にはさらにこれらの画像をコマ撮りして映像化するなど、貧弱な表示能力や演算性能を工夫と情熱でカバーすることで挑戦するユーザーたちも存在した。
DTM
編集教育とパソコン
編集ハードウェアの新陳代謝と人気の集中
編集この時代を通して、技術進歩は今日よりも遥かにゆっくりしており、概ね機種の世代交代は2〜3年に1バージョンが上がるという物で、旧機種の寿命も5〜8年程度あった。このようにゆっくりしたハードウェアの進歩の中で、よりソフトウェア(8ビットパソコン市場においては、その多くは実用ソフトではなくゲームソフトであった)が多く発売されている機種へと人気が集中した。
この状況で御三家とされたPC-8000シリーズやFM-7シリーズ、X1シリーズはソフトウェア資産も多く、またソフトウェア制作会社も採算の問題から人気機種に集中してソフトウェアを供給するようになり、遅れてパソコン市場に参入したメーカーが自社製品を市場に売り込むためには、まずソフトウェアメーカーに働き掛けて、自社製品向けにソフトウェアを開発・移植・販売してもらうようにしなければならない程だった。
他勢力の動向
編集コピープロテクト
編集性能比較
編集この節では、最終的に御三家とされるに至った3機種(PC-8800シリーズ、FM-7シリーズ、X1)の性能について記述する。
三機種の初期シリーズの共通点
編集三機種のモデルチェンジ後の共通点
編集- 本体とキーボードを分離したセパレートタイプ(PC-8800は初代以降すべて)
- キーボードの同時押しの判別が可能
- 漢字ROM搭載(ただし漢字テキストVRAMを搭載する機種はごく一部に留まる)
- DISK-BASIC・漢字BASICが付属
- FDDを標準モデルで2ドライブ搭載(後期のモデルでFDDを2HD(FM77AVは2DD)化)
- VRAMアクセスを高速化(サイクルスチールや複数プレーン同時アクセス、ALUの導入など)
- FM音源を標準またはオプションで用意
- RS-232Cを標準またはオプションで用意
初期シリーズ
編集モデルチェンジ後
編集- PC-8801mkIISR以降(1985年〜)
- 5.25インチFDD搭載のPC-8801mkIIの改良版
- グラフィックにアナログカラーパレット機能を搭載、512色中8色表示
- FM音源はOPN(FM3ch+SSG3ch)
- FH/MH以降でCPUを8MHzにクロックアップ
- 多色表示(65536色)はFH/MHの時代にオプションとして発売された
- FA/MA以降でサウンドをOPNA(FMステレオ6ch+リズム6ch+SSG3ch+ADPCM1ch)に強化(同時期に発売されたサウンドボードIIを増設することで、従来機種も同等の音源が使える)
- 上位機に16ビット機のPC-88VAがある
- 16ビット機PC-9800とのハイブリッド機PC-98DO/DO+がある
- X1turbo(1984年〜)
- 5.25インチFDD搭載
- 漢字テキストVRAM搭載、PCGパターン定義の高速化
- 400ライン表示可能
- Z80CTC(タイマ割り込み)、Z80DMAの追加
- デジタルパレットのみ(turboZ以降はパレット機能つき4096色同時表示)
- FM音源(初期型ではオプション)はOPM(FMステレオ8ch、PSG3chとは別)
- FM77AV(1985年〜)
関連するゲームソフトウェア
編集PC-8800シリーズ、FM-7シリーズ、X1に関係の深いコンピュータゲームのソフトウェア(パッケージソフト)に関して列記する。
上記3機種の全てで発売(移植)された主なゲーム
編集- ハドソン:デゼニランド、サラダの国のトマト姫
- 日本ファルコム:イース、イースII、ザナドゥ、ドラゴンスレイヤー
- T&E SOFT:惑星メフィウス、ハイドライド及び、ハイドライドII、ディーヴァ、サイオブレード
- エニックス(現:スクウェア・エニックス):ドアドア、地球戦士ライーザ
- ボーステック:レリクス
- ゲームアーツ:テグザー(X1版はスクウェア)、ぎゅわんぶらあ自己中心派
- 電波新聞社(ナムコ、セガ):パックマン、マッピー、ラリーX、ディグダグ、ゼビウス(PC-8801版はエニックス)、スペースハリアー
- スクウェア(現:スクウェア・エニックス):Will、アルファ
- 日本テレネット:ファイナルゾーン、夢幻戦士ヴァリス、ルクソール
- ウルフ・チーム:アークス
- アスキー:ボコスカウォーズ、ウィザードリィ
- テクノソフト:サンダーフォース、プラズマライン、九玉伝
- システムソフト:大戦略
- 光栄:信長の野望(PC-8801版以外は戦国群雄伝まで)、三国志(IIまで)、蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン、水滸伝、維新の嵐
上記3機種のうち2機種で発売(移植)された主なゲーム
編集関連項目
編集同世代の8ビットパソコン
編集同時代の家庭用ゲーム機
編集後継機となった16/32ビットパソコン
編集日本国外の御三家
編集- Apple II(Apple Computer)
- PET 2001(コモドール)
- TRS-80(タンディ・ラジオシャック)
- またはAtari 800(アタリ)[要出典]
日本の場合と同様に、機種名あるいはメーカーそのものを指す[4][5][6][15][16]。16ビット時代になってからは、IBM、コンパック、アップルがパソコン御三家と言われた[17]。
出典
編集- ^ 小林紀興『松下電器の果たし状 IBM・日本電気のパソコン独占を突きくずせ』光文社、1989年、p.71。
- ^ 「江戸一 父なる人達」『BCN This Week』 1984年7月23日 vol.80。
- ^ 視覚障害者のパソコン・インターネット・携帯電話利用状況調査2007 国立特別支援教育総合研究所公式サイト内
- ^ a b 藤広哲也『そこからパソコンがはじまった! 栄光と激動のコンピュータ1980年代史』すばる舎、2004年、pp.26-30。
- ^ a b 関口和一『パソコン革命の旗手たち』日本経済新聞社、2000年、p.204。
- ^ a b 片貝孝夫、平川敬子『パソコン驚異の10年史 その誕生から近未来まで』講談社ブルーバックス、1988年、p.124。
- ^ プロンプト編集部『PC-98コンパチ戦争』日刊興行新聞社、1987年、pp.26 - 27。
- ^ SE編集部編著『僕らのパソコン10年史』翔泳社、1989年、p.65。
- ^ 富田倫生『パソコン創世記』TBSブリタニカ、1994年、p.350。
- ^ 『僕らのパソコン10年史』p.71
- ^ 小林紀興『西和彦の閃き 孫正義のバネ 日本の起業家の光と影』光文社、1998年、pp.72,85 - 92。
- ^ 『パソコン驚異の10年史』pp.193 - 194。
- ^ 『僕らのパソコン10年史』p.92。
- ^ 『僕らのパソコン10年史』p.93。
- ^ 「パソコン各社の追撃作戦を探る 連載1 巻き返しに拍車・富士通」 『BCN This Week』 1985年8月12日 vol.128。
- ^ 奥田喜久男「産業の流れ変える 勇気ある"撤退"か脱落か」 『BCN This Week』 1985年2月25日 vol.106。
- ^ 米国・PCフォーカス38 調整期迎えた業界 市場の安定と体質改善へ」 『BCN This Week』 1989年2月13日 vol.294。