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「ウラジーミル・フェドセーエフ」の版間の差分

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''''''{{|ru|Владимир Иванович Федосеев|Vladimir Ivanovich Fedoseyev}}, [[1932]][[85]] - [[|]][[]][[]][[]][[]]


[[ファイル:Vladimir Fedoseev M2017-05.jpg|thumb|275px|ウラジーミル・フェドセーエフ(2017年)]]

== 経歴 ==

[[1932年]]レニングラード(現[[サンクトペテルブルク]])生まれ。[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]学校、[[モスクワ]]の[[グネーシン音楽大学]]、[[モスクワ音楽院]]に学ぶ。




''''''{{|ru|Влади́мир Ива́нович Федосе́ев|Vladimir Ivanovich Fedoseyev}}, [[1932]][[85]] - [[|]][[]][[]][[]][[]]

[[1971年]]に[[エフゲニー・ムラヴィンスキー]]の推挙により、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現[[サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団]])の客演指揮者としてデビューする。[[ロシア放送民族楽器オーケストラ]]の芸術監督を経て、[[1974年]]から[[モスクワ放送交響楽団]]の音楽監督および首席指揮者に就任し、以来同楽団を今日までロシア有数のオーケストラに育て上げ、今なお良好な関係を保っている。



== 人物・来歴 ==

国外では、[[バイエルン放送交響楽団]]、[[シュトゥットガルト放送交響楽団]]、[[ハンブルク歌劇場]]管弦楽団、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]、[[フランス国立管弦楽団]]などの[[オーケストラ]]との共演のほか、イタリア、スイス、イギリス、スカンディナヴィア、アメリカなどに幅広く客演する。その間、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]首席客演指揮者([[1995年]] - )、[[ウィーン交響楽団]]首席指揮者([[1997年]] - [[2005年]])を歴任している。

[[1932年]]レニングラード(現在の[[サンクトペテルブルク]])生まれ。[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]学校、[[モスクワ]]の[[グネーシン音楽大学]]、[[モスクワ音楽院]]に学ぶ。



[[1971年]]に[[エフゲニー・ムラヴィンスキー]]の推挙により、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現[[サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団]])の客演指揮者としてデビューする。[[ロシア放送民族楽器オーケストラ]]の芸術監督を経て、[[1974年]]から[[モスクワ放送交響楽団]]の音楽監督および首席指揮者に就任し、以来同楽団を今日までロシア有数のオーケストラに育て上げ、今なお良好な関係を保っている。

また[[オペラ]]指揮者として、[[マリインスキー劇場|キーロフ劇場]]の他、[[ウィーン国立歌劇場]]、[[ミラノ]]・[[スカラ座]]、[[フィレンツェ5月音楽祭]]、[[ローマ歌劇場]]、[[ボリショイ劇場|モスクワ・ボリショイ劇場]]などのオペラハウスや音楽祭において、自らの演出のもとに指揮を行なっている。


国外では、[[バイエルン放送交響楽団]]、[[シュトゥットガルト放送交響楽団]]、[[ハンブルク州立歌劇場|ハンブルク歌劇場管弦楽団]]、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]、[[NHK交響楽団]]、[[フランス国立管弦楽団]]などの[[オーケストラ]]との共演のほか、イタリア、スイス、イギリス、スカンディナヴィア、アメリカなどに幅広く客演する。その間、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]首席客演指揮者([[1995年]] - )、[[ウィーン交響楽団]]首席指揮者([[1997年]] - [[2005年]])を歴任している。


[[オペラ]]指揮者として、[[マリインスキー劇場|キーロフ劇場]]の他、[[ウィーン国立歌劇場]]、[[ミラノ]]・[[スカラ座]]、[[フィレンツェ5月音楽祭]]、[[ローマ歌劇場]]、[[ボリショイ劇場|モスクワ・ボリショイ劇場]]などのオペラハウスや音楽祭において、自らの演出のもとに指揮を行なっている。









== 音楽活動とその特色 ==

== 音楽活動とその特色 ==


調[[|]][[|]][[|]][[|]][[|]][[|]][[]]

調[[|]][[|]][[|]][[|]][[|]][[]][[]]


演奏活動における独自のメッセージ性は常に注目されており、[[リトアニア]]で独立運動が高まりをみせていた[[1989年]]12月にリトアニアの作曲家の[[ミカロユス・チュルリョーニス|チュルリョーニス]]の作品を[[モスクワ]]で録音したり、[[ソ連崩壊]]・[[ソ連8月クーデター|クーデター]]直前に団員を説得し、ショスタコーヴィチの『[[森の歌]]』を録音するなど、話題には事欠かない。クーデター当日にはショスタコーヴィチの[[交響曲第5番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第5番]]の第4楽章を、戦車が包囲する放送局の中で録音していた。

演奏活動における独自のメッセージ性は常に注目されており、[[リトアニア]]で独立運動が高まりをみせていた[[1989年]]12月にリトアニアの作曲家の[[ミカロユス・チュルリョーニス|チュルリョーニス]]の作品を[[モスクワ]]で録音したり、[[ソビエト邦の崩壊]]・[[ソ連8月クーデター|クーデター]]直前に団員を説得し、ショスタコーヴィチの『[[森の歌]]』を録音するなど、話題には事欠かない。クーデター当日にはショスタコーヴィチの[[交響曲第5番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第5番]]の第4楽章を、戦車が包囲する放送局の中で録音していた。



チャイコフスキーの[[交響曲第6番 (チャイコフスキー)|交響曲第6番『悲愴』]]で第4楽章を「アンダンテ」にする等、自筆譜に基づき数度にわたって演奏・録音を行なう。同じくチャイコフスキーの[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]を初版に基づいて録音した。チュルリョーニスの[[交響詩]]『海』も、その後も何度か録音・演奏を繰り返している。

チャイコフスキーの[[交響曲第6番 (チャイコフスキー)|交響曲第6番『悲愴』]]で第4楽章を「アンダンテ」にする等、自筆譜に基づき数度にわたって演奏・録音を行なう。同じくチャイコフスキーの[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]を初版に基づいて録音した。チュルリョーニスの[[交響詩]]『海』も、その後も何度か録音・演奏を繰り返している。



モスクワ放送交響楽団を率いての来日公演では、正規のプログラムのみならず、[[アンコール]]も評判が高いことで知られる。

モスクワ放送交響楽団を率いての来日公演では、正規のプログラムのみならず、[[アンコール]]も評判が高いことで知られる。


== 脚注 ==

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=== 注釈・出典 ===

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== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

*[http://www.fedoseyev.com/ http://www.fedoseyev.com/]

* [http://www.fedoseyev.com/ http://www.fedoseyev.com/]



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[[Category:存命人物]]

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== 脚注 ==


2023年10月21日 (土) 22:28時点における最新版

ウラジーミル・フェドセーエフ
Владимир Федосеев
ウラジーミル・フェドセーエフ
基本情報
生誕 (1932-08-05) 1932年8月5日(91歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国の旗 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国レニングラード
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
ウラジーミル・フェドセーエフ(2017年)

: Влади́мир Ива́нович Федосе́ев, : Vladimir Ivanovich Fedoseyev, 193285 - 

[]


1932

19711974

NHK1995 - 1997 - 2005

5


[]


調

19891254

641


脚注[編集]

注釈・出典[編集]

外部リンク[編集]

先代
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
モスクワ放送交響楽団音楽監督
1974年 -
次代
-