マリインスキー劇場
マリインスキー劇場 | |
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マリインスキー劇場 | |
情報 | |
種別 | 劇場 |
開館 | 1860年 |
所在地 | ロシア サンクトペテルブルク |
位置 | 北緯59度55分32秒 東経30度17分46秒 / 北緯59.92556度 東経30.29611度座標: 北緯59度55分32秒 東経30度17分46秒 / 北緯59.92556度 東経30.29611度 |
外部リンク | 公式HP |
マリインスキー劇場 ︵ロシア語: Мариинский театр︶ は、ロシアのサンクトペテルブルクにあるオペラと
バレエ専用の劇場。ソビエト連邦時代︵1924年 - 1991年︶は、﹁キーロフ劇場﹂と呼ばれていた。
マリインスキー劇場のメインホール
マリインスキー劇場︵俯瞰︶
マリインスキー劇場
マリインスキー劇場
劇場名称の変遷・沿革[編集]
都市の名称も歴史の中で何度も変わったことから、劇場の名称は何度も変わっている。 ●1860~1920年: 帝室マリインスキー劇場、帝室劇場︵ロシア語: Императорский Мариинский театр︶ ●1920~1924年: ︵ロシア語: Государственный академический театр оперы и балета︶ ●1924~1935年: レニングラード劇場︵ロシア語: Ленинградский государственный академический театр оперы и балета︶ ●1935~1992年: キーロフ劇場︵ロシア語: Государственный академический театр оперы и балета имени С.М. Кирова︶ ●1992年~現在: マリインスキー劇場︵ロシア語: Государственный академический Мариинский театр︶劇場の歴史[編集]
マリインスキー劇場の起源は、1783年に女帝エカチェリーナ2世の勅令により、オペラとバレエの専用劇場としてサンクトペテルブルクに開設された﹁帝室劇場﹂である。石造りであったことから﹁石の大劇場﹂︵ボリショイ・カーメンヌイ劇場︶の名前で親しまれていた[1][2]。ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに建てられた皇室の劇場で、帝国を代表するオペラ、バレエの中心施設であった。 1859年、アルベルト・カヴォスの設計によりネオ・ビザンチン様式の現在の劇場が竣工した。翌1860年、皇帝アレクサンドル2世の皇后マリア・アレクサンドロヴナの名に因み、﹁マリアの﹂という意味の﹁マリインスキー帝室劇場﹂と名付けられた[3]。1886年、併存していたカーメンヌイ劇場の閉鎖により、オペラとバレエは全面的にマリインスキー劇場に移管され、黄金時代を迎えることになった。 スターリン時代の1935年に、前年に暗殺された共産党の指導者セルゲイ・キーロフを悼み﹁キーロフ劇場﹂と改名された。1991年のソ連解体後、1992年に﹁マリインスキー劇場﹂の名称に戻った。 2003年に、ポストモダン派の建築家D・ペローが、新築部分の設計コンクールに優勝した。 2013年、隣接地に建設されていた劇場新館が竣工し、5月2日にウラジーミル・プーチン︵ロシア連邦大統領︶が出席して杮落とし記念式典が開催されると共に新劇場での公演が開始されている[4]。 クラシック・バレエの名作﹁眠れる森の美女﹂﹁くるみ割り人形﹂﹁白鳥の湖﹂[5]は、ここで初演された。マリインスキー・バレエ、マリインスキー・オペラ、マリインスキー劇場管弦楽団が、ここを活動の本拠地としている。建造物は、サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。バレエ[編集]
「マリインスキー・バレエ」を参照
オペラ[編集]
ロシア帝国期からソビエト連邦時代にかけて、著名な指揮者や音楽家が数多く公演し、この劇場でロシアの古典オペラの多くが世界初演された。
著名な初演[編集]
●ミハイル・グリンカの﹃皇帝に捧げし命﹄﹃ルスランとリュドミラ﹄ ●モデスト・ムソルグスキーの﹃ボリス・ゴドゥノフ﹄﹃ホヴァーンシチナ﹄ ●アレクサンドル・ボロディンの﹃イーゴリ公﹄ ●ニコライ・リムスキー=コルサコフの﹃見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語﹄ ●ピョートル・チャイコフスキーの﹃スペードの女王﹄日本公演[編集]
マリインスキー・オペラは、1993年に初来日し、1997年、2000年、2003年、2008年、2012年、2014年からは毎年来日し[6]、日本公演を行っている。オーケストラ[編集]
「マリインスキー劇場管弦楽団」を参照
マリインスキー劇場沿海州別館[編集]
2016年1月1日、ウラジオストクに マリインスキー劇場沿海州別館︵ロシア語: Приморская сцена Мариинского театра, 英語: Primorsky Stage of The Mariinsky Theatre)が開場した。サンクトペテルブルクの劇場でも活躍する歌手、バレエダンサーなどが公演している。
マリインスキー劇場アカデミー[編集]
マリンスキー劇場を中心に世界中の劇場で指導するコレペティートルであり、同劇場の総裁・指揮者ヴァレリー・ゲルギエフの姉でもあるラリッサ・ゲルギエワにより設立された、若手歌手を育成する劇場専属の研修所である。アカデミーでは、ロシア人を中心に、オーディションによって選抜された世界中の若手歌手が研鑽を積む。オペラを中心に、歌曲、舞踊、フェンシング、演技など、舞台全般を学び、プロフェッショナルな音楽家として活躍している。世界的なソプラノ歌手アンナ・ネトレプコや、テノールのダニエル・シュトーダやソプラノのオルガ・プードヴァなども同劇場の研修所で学んだ。日本人では、ソプラノ歌手中村初恵も同劇場の研修所で学んだ声楽家である。歴代芸術監督[編集]
●コンスタンティン・リャードフ︵1860年 - 1869年︶ ●エドゥアルド・ナープラヴニーク︵1869年 - 1916年︶ ●エミール・クーパー︵1919年 - 1924年︶ ●ウラジミール・ドラニシニコフ︵1925年 - 1936年︶ ●アリー・パゾフスキー︵1936年 - 1943年︶ ●ボリス・ハイキン︵1944年 - 1953年︶ ●セルゲイ・エリツィン︵1953年 - 1956年︶ ●エドゥアルド・グリクーロフ︵1956年 - 1960年︶ ●ニヤジ・ハジベヨフ︵1960年 - 1961年︶ ●アレクサンドル・クリモフ︵1961年 - 1967年︶ ●コンスタンチン・シメオーノフ︵1967年 - 1975年︶ ●ヴィクトル・フェドートフ︵1975年 - 1976年︶ ●ユーリ・テミルカーノフ︵1976年 - 1988年︶ ●ヴァレリー・ゲルギエフ︵1988年 - ︶脚注[編集]
(一)^ 平野恵美子﹁﹃帝室劇場年鑑﹄と1900年代のペテルブルクにおけるバレエのレパートリー﹂﹃Slavistika : 東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報﹄第24号、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、2008年8月、79-113頁、doi:10.15083/00038192、NAID 120001954540。 (二)^ “﹁ボリショイ﹂という言葉の真の意味を教えるモスクワの橋”. CREA︵クレア ウェブ︶. 文藝春秋 (2014年8月26日). 2018年10月15日閲覧。 (三)^ 中野京子﹃名画で読み解く ロマノフ家12の物語﹄光文社、2014年、166頁。ISBN 978-4-334-03811-3。 (四)^ マリインスキー劇場に新館﹁景観損なう﹂批判も 産経新聞 2013年5月4日閲覧 (五)^ プティパによる再振付版の初演。﹁白鳥の湖﹂の初演は1877年にモスクワのボリショイ劇場でおこなわれた。 (六)^ “マリインスキー劇場 現地取材レポート”. JAPAN ARTS. 2020年3月11日閲覧。関連項目[編集]
●マリインスキー劇場沿海州別館 ●キーテジ ●中村初恵 - マリインスキー劇場アカデミーで研鑽を積んだ日本のソプラノ歌手。2年に一回同劇場で開催されるリムスキー=コルサコフ国際声楽コンクールで受賞。外部リンク[編集]
- マリインスキー劇場公式ウェブサイト (ロシア語)(英語)
- 沿海州劇場 公式ウェブサイト (ロシア語)(英語)
- Mariinsky Theatre (mariinsky.theatre) - Facebook(ロシア語)(英語)
- Mariinsky Theatre (@mariinskyen) - X(旧Twitter)(英語)
- Mariinsky Theatre (@mariinsky) - Instagram(英語)
- MariinskyEn - YouTubeチャンネル(英語)
- Mariinsky.Today (英語)