「エンリコ・マイナルディ」の版間の差分
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Eugene Ormandy (会話 | 投稿記録) 参考文献を追加。それに基づき全般的に加筆。 |
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==経歴== |
==経歴== |
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[[1897年]]5月19日に[[ミラノ]]で生まれる<ref name=":0">ベッキ (1982)、189頁。</ref>。4歳ごろから、アマチュアのチェリストだった父親からチェロの手ほどきを受け、さらに母親から読譜を教わった<ref name=":0" />。その後[[ミラノ音楽院]]に進学し、[[ミラノ・スカラ座]]管弦楽団の首席チェロ奏者であった[[ジュゼッペ・マグリーニ]]に師事した<ref name=":0" />。 |
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[[ミラノ]]に生まれ、4歳からチェロ奏者だった父から手ほどきを受けた。 |
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地元の音楽院に進学し、[[ジュゼッペ・マグリーニ]]に師事。[[1910年]]には音楽院を卒業し、ヨーロッパ中を演奏して回った。一方で、[[ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院]]で作曲を習得し、[[ベルリン音楽院]]の[[フーゴー・ベッカー]]のもとで研鑽を積んだ。
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⚫ | その後、[[ベルリン国立歌劇場]]のチェロ奏者になる傍ら、[[ゲオルク・クーレンカンプ]] |
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[[1910年]]には12歳で音楽院を卒業し、すぐにミラノ、[[ジュネーヴ]]、[[ベルリン]]、[[パリ]]、[[ロンドン]]、[[ウィーン]]などヨーロッパ各地で演奏会を開いた<ref name=":0" />。一方で、[[ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院]]のG. オレフィスのもとで作曲を習得し、[[1917年]]に卒業した<ref name=":0" />。さらにベルリン音楽院の[[フーゴー・ベッカー]]のマスタークラスで、チェロの研鑽を積んだ<ref name=":0" />。
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作曲家としては、「2つのチェロのための協奏曲」などの管弦楽作品や室内楽曲、無伴奏チェロソナタ "Sonata breve"などを作曲している。 |
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⚫ | [[1933年]]からベッカーの後を継いでベルリン音楽院のチェロ科教授になったが、翌年には[[サンタ・チェチーリア国立アカデミア]]の教授に転出し、[[1936年|1969年]]まで務めた<ref name=":1" />。 |
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⚫ | *[http://www.enrico-mainardi.com Appreciation website (in German)] |
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[[1957年]]以来、グランチーノのチェロを愛用した<ref name=":1" />。 |
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[[1976年]]に[[ミュンヘン]]で死去<ref name=":2">ベッキ (1982)、191頁。</ref>。 |
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== 人物 == |
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「私は音楽に奉仕するという信念に、全人生を捧げてきたのであり、自分自身に人々の注目を集めるために、音楽を手段として使ったのではない」という言葉を残している<ref name=":2" />。 |
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== レパートリー == |
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マイナルディはソリストおよび室内楽奏者として、作曲家[[イルデブランド・ピツェッティ]]と[[ジャン・フランチェスコ・マリピエロ]]の、チェロとオーケストラのための作品を全曲初演している<ref name=":1" />。また、[[クロード・ドビュッシー]] の『[[チェロソナタ (ドビュッシー)|チェロ・ソナタ]]』のイタリア初演を行った<ref name=":1" />。さらには、[[エルネスト・ブロッホ]]作曲の『シェレモ』をヨーロッパ各地で演奏して紹介した<ref name=":1" />。 |
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== 教育活動 == |
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ベルリン音楽院、サンタ・チェチーリア国立アカデミアで教職についた他、ザルツブルク、ルツェルン、エディンバラ、ハンブルク、ストックホルム、ヘルシンキ の音楽学校で、チェロと室内楽のマスタークラスを開設した<ref name=":1" />。 |
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弟子には[[ジークフリート・パルム]]、[[クラウス・シュトルク]]、[[ジャン・ディックソン]]、[[エルッキ・ラウティオ]]、[[グスタフ・グロアンダール]]、[[アマデオ・バルドヴィーノ]]、[[ジャチント・カラミア]]らがいる<ref name=":1" /><ref name=":2" />。また、[[ミクローシュ・ペレーニ]]も指導した。 |
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== 作曲家として == |
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マイナルディは作曲家として、多方面にわたる作品を残した<ref name=":2" />。3曲のチェロ協奏曲、2台のチェロのための協奏曲、いくつかの弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタ、チェロ・ソナタ、歌曲などが挙げられる<ref name=":2" />。
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また、マイナルディが作曲したチェロのための練習曲は、﹁チェロ技術の発展に大いに貢献している﹂と評されている<ref name=":2" />。他にも、無伴奏チェロソナタ "Sonata breve"などを作曲している。
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さらには、[[ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル]]作曲の2曲のチェロ協奏曲を編纂した<ref name=":2" />。 |
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== 参考文献 == |
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* ユリウス・ベッキ『世界の名チェリストたち』三木敬之、芹沢ユリア訳、音楽之友社、1982年。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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<references /> |
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⚫ | *[http://www.enrico-mainardi.com Appreciation website (in German)] |
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2020年11月24日 (火) 13:48時点における版
エンリコ・マイナルディ | |
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生誕 | 1897年5月19日 |
出身地 | イタリアミラノ |
死没 | 1976年4月10日(78歳没) |
学歴 | ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | チェリスト |
担当楽器 | チェロ |