「クレオメネス戦争」の版間の差分
(6人の利用者による、間の8版が非表示) | |||
15行目: | 15行目: | ||
|strength2= |
|strength2= |
||
}} |
}} |
||
[[ファイル:Map Cleomenean War-en.svg|300px|thumb|クレオメネス戦争時の[[ギリシャ]]南部概略図。{{legend|#ccffcc|[[スパルタ]]}}{{legend|#ff9999|[[アカイア同盟]]}}{{legend|#ee9c10|[[アンティゴノス朝]]︵マケドニア王国︶}}{{legend|#c0bbc3|[[アイトリア同盟]]}}]]
|
|||
'''クレオメネス戦争'''︵{{lang-en-short|Cleomenean War}}、[[紀元前229年|紀元前229]]/[[紀元前228年|228年]]–[[紀元前222年]]︶は、[[スパルタ]]と、[[アカイア同盟]]および[[アンティゴノス朝マケドニア]]の間で戦われた[[戦争]]である。
|
'''クレオメネス戦争'''︵{{lang-en-short|Cleomenean War}}、[[紀元前229年|紀元前229]]/[[紀元前228年|228年]]–[[紀元前222年]]︶は、[[スパルタ]]と、[[アカイア同盟]]および[[アンティゴノス朝マケドニア]]の間で戦われた[[戦争]]である。
|
||
24行目: | 24行目: | ||
== 背景 == |
== 背景 == |
||
[[紀元前235年]]、クレオメネス3世は父[[レオニダス2世]]の後を継ぎスパルタ王に即位した。クレオメネスは失敗に終わった[[アギス4世]]の改革路線を継承し、古のスパルタの制度や生活様式の復活のための改革を目論んだ。というのも、彼の見るところでは市民はだらけ切っており、個人的な快楽や欲望に耽り、公的な事柄に熱意を示さず、また王は名ばかりで実権は[[エフォロス]]の許にあった<ref>プルタルコス, 3</ref>。クレオメネスは側近の[[クセナレス]]を試したが、彼は味方にならないだろうと考え、クセナレスですらそうだから味方はいそうにはないと判断し、一人で改革を計画した。そして彼は平時よりも戦時の方が改革に向いていると考えアカイア同盟との戦いを決意した。
|
[[紀元前235年]]、クレオメネス3世は父[[レオニダス2世]]の後を継ぎスパルタ王に即位した。クレオメネスは失敗に終わった[[アギス4世]]の改革路線を継承し、古のスパルタの制度や生活様式の復活のための改革を目論んだ。というのも、彼の見るところでは市民はだらけ切っており、個人的な快楽や欲望に耽り、公的な事柄に熱意を示さず、また王は名ばかりで実権は[[エフォロイ|エフォロス]]の許にあった<ref>プルタルコス, 3</ref>。クレオメネスは側近の[[クセナレス]]を試したが、彼は味方にならないだろうと考え、クセナレスですらそうだから味方はいそうにはないと判断し、一人で改革を計画した。そして彼は平時よりも戦時の方が改革に向いていると考えアカイア同盟との戦いを決意した。
|
||
== 開戦 == |
== 開戦 == |
||
30行目: | 30行目: | ||
当時、アカイア同盟のアラトスはペロポネソスを一つの統一体にしようとしており、それに組せぬ[[アルカディア]]を略奪するなど狼藉を働いていた。こうしてアラトスはクレオメネスの出方を試し、歳も経験も足りぬ若造と彼を見くびってかかった。 |
当時、アカイア同盟のアラトスはペロポネソスを一つの統一体にしようとしており、それに組せぬ[[アルカディア]]を略奪するなど狼藉を働いていた。こうしてアラトスはクレオメネスの出方を試し、歳も経験も足りぬ若造と彼を見くびってかかった。 |
||
それに対してエフォロスたちはラコニアと[[メガロポリス]]の国境地帯であった[[ベルビナ]]にクレオメネスを派遣した。彼は同地を占領し、砦をめぐらせた<ref>ibid, 4</ref>。[[ポリュビオス]]によれば、紀元前229年にクレオメネスはアカイアを攻撃し、[[テゲア]]、[[マンティネア]]、[[カヒュアイ]]、アルカディアの[[オルコメノス]]といった諸市を占領し、[[アイトリア同盟]]と同盟を結んだ<ref>ポリュビオス, II. 46</ref>。一方アラトスは夜間にテゲアとオルコメノスを占領しようと向ったが、彼に内通していた人々はクレオメネスのベルビナ占領を聞いて何もしなかったため、アラトスは手ぶらで帰った。これらの事件によって、アカイア同盟はスパルタとの戦争を決議した。
|
それに対してエフォロスたちはラコニアと[[メガロポリス]]の国境地帯であった[[ベルビナ]]にクレオメネスを派遣した。彼は同地を占領し、砦をめぐらせた<ref>ibid, 4</ref>。[[ポリュビオス]]によれば、紀元前229年にクレオメネスはアカイアを攻撃し、[[テゲア]]、[[マンティネア]]、[[カヒュアイ]]、アルカディアの[[オルコメノス (アルカディア)|オルコメノス]]といった諸市を占領し、[[アイトリア同盟]]と同盟を結んだ<ref>ポリュビオス, II. 46</ref>。一方アラトスは夜間にテゲアとオルコメノスを占領しようと向ったが、彼に内通していた人々はクレオメネスのベルビナ占領を聞いて何もしなかったため、アラトスは手ぶらで帰った。これらの事件によって、アカイア同盟はスパルタとの戦争を決議した。
|
||
その後クレオメネスはアルカディア内部に進出したが、アカイア同盟との戦争を恐れたエフォロスは彼に撤退を命じ、彼はそれに従った。しかしその直後にアラトスがオルコメノスの北のカヒュアイを占領したため、再びクレオメネスを出撃させた。クレオメネスはアルカディア中央部の[[メテュドリオン]]を占領し、[[アルゴリス]]地方を荒らしまわった。それに対し、紀元前228年5月にアカイア人は[[ストラテゴス]]として[[アリストマコス]]を任じ、彼を[[歩兵]]20000と[[騎兵]]1000からなる軍と共に差し向けた。それに対してスパルタ軍は5000人を切る数であった。両軍は[[パランティオン]]近郊で遭遇した。戦う意思を持っていたクレオメネスをアリスマコスに同行していたアラトスは恐れ、アリストマコスに注意を呼びかけて自らは戦列から身を引いた。このことによってアラトスは味方からは非難され、敵からは嘲弄された。 |
その後クレオメネスはアルカディア内部に進出したが、アカイア同盟との戦争を恐れたエフォロスは彼に撤退を命じ、彼はそれに従った。しかしその直後にアラトスがオルコメノスの北のカヒュアイを占領したため、再びクレオメネスを出撃させた。クレオメネスはアルカディア中央部の[[メテュドリオン]]を占領し、[[アルゴリス]]地方を荒らしまわった。それに対し、紀元前228年5月にアカイア人は[[ストラテゴス]]として[[アリストマコス]]を任じ、彼を[[歩兵]]20000と[[騎兵]]1000からなる軍と共に差し向けた。それに対してスパルタ軍は5000人を切る数であった。両軍は[[パランティオン]]近郊で遭遇した。戦う意思を持っていたクレオメネスをアリスマコスに同行していたアラトスは恐れ、アリストマコスに注意を呼びかけて自らは戦列から身を引いた。このことによってアラトスは味方からは非難され、敵からは嘲弄された。 |
||
38行目: | 38行目: | ||
[[紀元前227年]]5月、アラトスはストラテゴスに選出されると[[エーリス|エリス]]を攻撃した。クレオメネスはエリスの援助の要請に応じて出撃した。彼は[[リュカイオン山]]近くで作戦を終えて引き上げているアカイア軍に[[奇襲]]を仕掛け、多数を殺傷した。この戦いでアラトスも戦死したという誤報が流れたが、アラトスはそれを逆手に取り、残余の兵と共にマンティネイアへ行き、敵襲を全く予想していなかったマンティネアを易々と占領した。 |
[[紀元前227年]]5月、アラトスはストラテゴスに選出されると[[エーリス|エリス]]を攻撃した。クレオメネスはエリスの援助の要請に応じて出撃した。彼は[[リュカイオン山]]近くで作戦を終えて引き上げているアカイア軍に[[奇襲]]を仕掛け、多数を殺傷した。この戦いでアラトスも戦死したという誤報が流れたが、アラトスはそれを逆手に取り、残余の兵と共にマンティネイアへ行き、敵襲を全く予想していなかったマンティネアを易々と占領した。 |
||
マンティネア陥落で気落ちしたスパルタ人を元気付けるためにクレオメネスは紀元前228年に[[エウダミダス3世]]が死んでいた(ただし[[パウサニアス]]はクレオメネスによる毒殺を主張)のでエウリュポン家の[[アルキダモス5世]](兄アギス4世の処刑時に[[メッセニア]]へ亡命)を呼び戻して共同統治者として王位につけた。ところが、[[プルタルコス]]によるとアギスを殺した者たちは報復を恐れてアルキダモスを暗殺した<ref>プルタルコス, 5</ref>。それに対し、ポリュビオスはクレオメネスによって殺されたとしている<ref>ポリュビオス, V. 37</ref>。 |
マンティネア陥落で気落ちしたスパルタ人を元気付けるためにクレオメネスは紀元前228年に[[エウダミダス3世]]が死んでいた(ただし[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]はクレオメネスによる毒殺を主張)のでエウリュポン家の[[アルキダモス5世]](兄アギス4世の処刑時に[[メッセニア]]へ亡命)を呼び戻して共同統治者として王位につけた。ところが、[[プルタルコス]]によるとアギスを殺した者たちは報復を恐れてアルキダモスを暗殺した<ref>プルタルコス, 5</ref>。それに対し、ポリュビオスはクレオメネスによって殺されたとしている<ref>ポリュビオス, V. 37</ref>。 |
||
== ラドケイアの戦いとクレオメネスの改革 == |
== ラドケイアの戦いとクレオメネスの改革 == |
||
44行目: | 44行目: | ||
それに怯まずクレオメネスはエフォロスに賄賂を渡して今一度の遠征の評決を下させた。そして彼はメガロポリス領に進撃し、[[レウクトラ]](スパルタが覇権を失った[[レウクトラの戦い]]のあった[[ボイオティア]]のレウクトラではない)を占領した。そして、すぐにアラトス率いるアカイアの援軍がやって来たため、両軍は激突した。当初アカイア軍はスパルタ軍を押し、追撃を行った。しかし、アラトスは深い峡谷のために追撃をやめたが、メガロポリスの将軍[[リュディアダス]]はこれを不服として自ら騎兵部隊を率いて敵に追い討ちをかけた。しかし彼は木々や掘割、塁壁などの障害物によって思うよう身動きが取れないところに入ってしまったため、それを見たクレオメネスは[[ターラント|タラス]]と[[クレタ]]の[[傭兵]]部隊を放って逆襲を仕掛け、リュディアダスを戦死させた。これにより勇気を得たスパルタ軍は反撃に転じ、アカイア軍の全軍を壊走させるに至った。その後クレオメネスはリュディアダスの亡骸を丁重に扱い、メガロポリスの城門の前まで送り届けた。 |
それに怯まずクレオメネスはエフォロスに賄賂を渡して今一度の遠征の評決を下させた。そして彼はメガロポリス領に進撃し、[[レウクトラ]](スパルタが覇権を失った[[レウクトラの戦い]]のあった[[ボイオティア]]のレウクトラではない)を占領した。そして、すぐにアラトス率いるアカイアの援軍がやって来たため、両軍は激突した。当初アカイア軍はスパルタ軍を押し、追撃を行った。しかし、アラトスは深い峡谷のために追撃をやめたが、メガロポリスの将軍[[リュディアダス]]はこれを不服として自ら騎兵部隊を率いて敵に追い討ちをかけた。しかし彼は木々や掘割、塁壁などの障害物によって思うよう身動きが取れないところに入ってしまったため、それを見たクレオメネスは[[ターラント|タラス]]と[[クレタ]]の[[傭兵]]部隊を放って逆襲を仕掛け、リュディアダスを戦死させた。これにより勇気を得たスパルタ軍は反撃に転じ、アカイア軍の全軍を壊走させるに至った。その後クレオメネスはリュディアダスの亡骸を丁重に扱い、メガロポリスの城門の前まで送り届けた。 |
||
この勝利で勢いを得たクレオメネスは自らの計画を実行に移そうとした。彼はエフォロス制の廃止、財産の共有、そしてギリシアの覇権国としての再浮上という計画を話し、それに賛同した[[メギストヌウス]](再婚した母の夫)他数名を仲間に引き入れた。そしてクレオメネスはその前段階として彼の計画に反対しそうな者たちを引き連れてアルカディアへ遠征し、彼らをわざと疲れさせて彼らの方から同地への残留を希望するよう仕向け、邪魔者を排除した。帰国するや否やクレオメネスは志を同じくする者たちを差し向け、一人を除いて会食中の5人のエフォロスを皆殺しにした。ただし、エフォロスの一人[[アギュライオス]]は命からがら神殿に逃げ込んだため、クレオメネスは彼を見逃してやった。その直後、クレオメネスは本格的な改革を始めた。彼は全ての土地の共有化、債務の帳消しを行った。さらに、外国人や[[ペリオイコイ]]のスパルタ市民への門戸を開いて市民即ち兵数を増やし、4000人のペリオイコイを[[重装歩兵]]として訓練し、マケドニアの[[サリッサ]]を取り入れるなどした。そしてクレオメネスは自ら範となりつつ、[[リュクルゴス]]の立法に遡るスパルタのかつての実質剛健を旨とする伝統を蘇らせた。また、弟の[[エウクレイダス]]を共同統治者として王位につけ、単独支配のイメージを和らげた。 |
この勝利で勢いを得たクレオメネスは自らの計画を実行に移そうとした。彼はエフォロス制の廃止、財産の共有、そしてギリシアの覇権国としての再浮上という計画を話し、それに賛同した[[メギストヌウス]]︵再婚した母の夫︶他数名を仲間に引き入れた。そしてクレオメネスはその前段階として彼の計画に反対しそうな者たちを引き連れてアルカディアへ遠征し、彼らをわざと疲れさせて彼らの方から同地への残留を希望するよう仕向け、邪魔者を排除した。帰国するや否やクレオメネスは志を同じくする者たちを差し向け、一人を除いて会食中の5人のエフォロスを皆殺しにした。ただし、エフォロスの一人[[アギュライオス]]は命からがら神殿に逃げ込んだため、クレオメネスは彼を見逃してやった。その直後、クレオメネスは本格的な改革を始めた。彼は全ての土地の共有化、債務の帳消しを行った。さらに、外国人や[[ペリオイコイ]]のスパルタ市民への門戸を開いて市民即ち兵数を増やし、4000人のペリオイコイを[[重装歩兵]]として訓練し、マケドニアの[[サリッサ]]を取り入れるなどした。そしてクレオメネスは自ら範となりつつ、[[リュクルゴス (立法者)|リュクルゴス]]の立法に遡るスパルタのかつての実質剛健を旨とする伝統を蘇らせた。また、弟の[[エウクレイダス]]を共同統治者として王位につけ、単独支配のイメージを和らげた。
|
||
== アカイアのアンティゴノスへの接近 == |
== アカイアのアンティゴノスへの接近 == |
||
54行目: | 54行目: | ||
== アルゴス占領 == |
== アルゴス占領 == |
||
しかし、その時アカイア同盟は内部分裂の危機にあった。同盟離脱の意向を持った都市がいくつも現れ、マケドニア人を呼びこんだアラトスに憤りを感じる者もいたのである。この機に乗じてクレオメネスはアカイアに侵攻し、まずアカイア東部の[[ペレネ]]を強襲して占領し、続いてアルカディア北辺の[[ |
しかし、その時アカイア同盟は内部分裂の危機にあった。同盟離脱の意向を持った都市がいくつも現れ、マケドニア人を呼びこんだアラトスに憤りを感じる者もいたのである。この機に乗じてクレオメネスはアカイアに侵攻し、まずアカイア東部の[[ペレネ]]を強襲して占領し、続いてアルカディア北辺の[[ペネオス]]と[[ペンテレイオン]]を味方につけた。一方アカイア人はその時[[コリントス]]と[[シキュオン]]で裏切りの気配があったのでアルゴスからそちらへ軍を送っていた。 |
||
その時アルゴスではネメア祭が開催されており、クレオメネスは祭りで大勢の人がいる時にそこを襲えば容易にアルゴスを占領できると考えた。彼は夜中に劇場を見下ろすアスピス地域に軍を向わせてそこを占領し、誰一人立ち向かう者もなく易々とアルゴスを占領した。アルゴスはスパルタの駐屯軍を受け入れ、20人の市民を[[人質]]として差し出し、スパルタの同盟国になった。これまでアルゴスを味方に引き入れたスパルタの王はおらず、名将として名高い[[エピロス王]][[ピュロス]]でさえアルゴスを占領できず、同地での戦いで敗死したことから、アルゴス占領によってクレオメネスの名声と評価は一気に高まった<ref>プルタルコス, 18</ref>。そして、アルゴス陥落のすぐ後には[[クレオナイ]]と[[フレイウス]]がクレオメネスになびいた。 |
その時アルゴスではネメア祭が開催されており、クレオメネスは祭りで大勢の人がいる時にそこを襲えば容易にアルゴスを占領できると考えた。彼は夜中に劇場を見下ろすアスピス地域に軍を向わせてそこを占領し、誰一人立ち向かう者もなく易々とアルゴスを占領した。アルゴスはスパルタの駐屯軍を受け入れ、20人の市民を[[人質]]として差し出し、スパルタの同盟国になった。これまでアルゴスを味方に引き入れたスパルタの王はおらず、名将として名高い[[エピロス王]][[ピュロス]]でさえアルゴスを占領できず、同地での戦いで敗死したことから、アルゴス占領によってクレオメネスの名声と評価は一気に高まった<ref>プルタルコス, 18</ref>。そして、アルゴス陥落のすぐ後には[[クレオナイ]]と[[フレイウス]]がクレオメネスになびいた。 |
||
74行目: | 74行目: | ||
== セラシアの戦いとスパルタ占領 == |
== セラシアの戦いとスパルタ占領 == |
||
一方、アンティゴノスはアカイア人と共にテゲアを包囲戦の末占領し、オルコメノスおよびマンティネアを荒らし回り、[[ヘライア]]と[[テル |
一方、アンティゴノスはアカイア人と共にテゲアを包囲戦の末占領し、オルコメノスおよびマンティネアを荒らし回り、[[ヘライア]]と[[テルプサ]]を降伏させ、アカイア同盟の会議に出席するために[[アイギオン]]へと向った。このため、クレオメネスの支配領域はラコニアだけになってしまった。そこで彼は戦力増強と金策のために[[ヘイロータイ]]のうち5アッティカ・ムナを納入した者を自由民として認め、500タラントンの金と2000人の兵士を得た。彼は彼らをマケドニア式に武装させ、アンティゴノスの[[白楯隊]]への対抗部隊とした。その後、彼はメガロポリスを占領しようと考え、兵士には五日分の食料を持たせて[[セッラシア]]へと向かい、あたかもアルゴリス地方へと向わんとしているように見せかけた。そしてメガロポリス領へ転進し、部下の[[パンテウス]]に2タグマの部隊を授けてそこが手薄になっているとの情報が入っている二つの塔の間の城壁の占領を命じ、本隊はゆっくりと進めた。パンテウスは首尾よく任務を果たし、多くの住民を逃がしたもののメガロポリスを占領した︵[[紀元前223年]]秋︶。クレオメネスは最初はアカイア同盟からの脱退を条件にメガロポリス市には手をつけず、そのままにしておいたが、メガロポリス人の[[メガロポリスのフィロポイメン|フィロポイメン]]がアカイア人に味方することを主張してクレオメネスを弾劾し、クレオメネスから降伏する代わりに市には手をつけないという条件を引き出したメガロポリス市民の[[リュサンドリダス]]と[[テアリダス]]を追い出したため、怒ったクレオメネスは市を徹底的に略奪し、破壊し、帰国した。
|
||
クレオメネスがメガロポリスを占領した頃、アイギオンでアカイア同盟の会議が催されており、アンティゴノスもそれに参加していた︵紀元前224年9月︶。彼はそこで自分の処置について説明し、これからの戦争をどう戦うかについて話し合い、そして全同盟軍の総司令官に任命された<ref>ポリュビオス, II. 54</ref>。ここで彼は[[ピリッポス2世]]が設立した[[ヘレネス同盟]]を﹁諸同盟の同盟﹂の名で復活させ、ギリシアの大部分の都市はそれに加入した。しかし、メガロポリスの占領とそれに続く破壊がアカイア人の耳に入ると、それはアカイア人たちに大きな衝撃を与えた。アンティゴノスはメガロポリス救援に取り掛かろうとしたが、彼の軍は既に越冬のため各ポリスに分散していて迅速には動けないため、ひとまず自身は越冬のために少数の手勢と共にアルゴスへと向った。
|
クレオメネスがメガロポリスを占領した頃、アイギオンでアカイア同盟の会議が催されており、アンティゴノスもそれに参加していた︵紀元前224年9月︶。彼はそこで自分の処置について説明し、これからの戦争をどう戦うかについて話し合い、そして全同盟軍の総司令官に任命された<ref>ポリュビオス, II. 54</ref>。ここで彼は[[ピリッポス2世 (マケドニア王)|ピリッポス2世]]が設立した[[ヘレネス同盟]]を﹁諸同盟の同盟﹂の名で復活させ、ギリシアの大部分の都市はそれに加入した。しかし、メガロポリスの占領とそれに続く破壊がアカイア人の耳に入ると、それはアカイア人たちに大きな衝撃を与えた。アンティゴノスはメガロポリス救援に取り掛かろうとしたが、彼の軍は既に越冬のため各ポリスに分散していて迅速には動けないため、ひとまず自身は越冬のために少数の手勢と共にアルゴスへと向った。
|
||
クレオメネスは次の手を打った。すなわち、彼はすぐには動けない敵の状況を見越してアルゴスへと向った。もしアンティゴノスが手向かってくれば一戦交える腹積もりであり、もしそうでないならアルゴスを助けられなかったという事実によってアンティゴノスへの信用を失わせ、彼とアルゴスの仲を裂けると考えた。事はクレオメネスの予想通りに進んだ。国土が荒されるのを見たアルゴス人たちはアンティゴノスの許に押しかけて戦いを要求したが、アンティゴノスは遂にクレオメネスの挑発には乗らなかった。クレオメネスは城壁の前でアンティゴノスを散々愚弄嘲笑した後、帰国した。
|
クレオメネスは次の手を打った。すなわち、彼はすぐには動けない敵の状況を見越してアルゴスへと向った。もしアンティゴノスが手向かってくれば一戦交える腹積もりであり、もしそうでないならアルゴスを助けられなかったという事実によってアンティゴノスへの信用を失わせ、彼とアルゴスの仲を裂けると考えた。事はクレオメネスの予想通りに進んだ。国土が荒されるのを見たアルゴス人たちはアンティゴノスの許に押しかけて戦いを要求したが、アンティゴノスは遂にクレオメネスの挑発には乗らなかった。クレオメネスは城壁の前でアンティゴノスを散々愚弄嘲笑した後、帰国した。
|
||
106行目: | 106行目: | ||
[[Category:紀元前の戦争]] |
[[Category:紀元前の戦争]] |
||
[[Category:古代ギリシアの戦争]] |
[[Category:古代ギリシアの戦争]] |
||
[[Category:アンティゴノス朝マケドニアの戦争]] |
2022年11月26日 (土) 17:38時点における最新版
クレオメネス戦争 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| |||||||||
衝突した勢力 | |||||||||
アカイア同盟 アンティゴノス朝マケドニア その他同盟国 | スパルタ | ||||||||
指揮官 | |||||||||
アラトス アンティゴノス3世 | クレオメネス3世 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Map_Cleomenean_War-en.svg/300px-Map_Cleomenean_War-en.svg.png)