「サッカー日本女子代表」の版間の差分
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'''なでしこジャパン'''とは[[サッカー]]女子日本代表の愛称である。 |
'''なでしこジャパン'''とは[[サッカー]]女子日本代表の愛称である。 |
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[[日本サッカー協会]]が一般公募を行い、2004年7月7日に発表したもので約2,700通の応募の中から選ばれた。愛称制定後、初の試合となった7月30日の[[キリンチャレンジカップ]]・カナダ戦([[国立霞ヶ丘競技場]])では3-0で勝利し、全国にその名を印象づけた。
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[[日本サッカー協会]]が一般公募を行い、2004年7月7日に発表したもので約2,700通の応募の中から選ばれた。愛称制定後、最初の試合となった7月30日の[[キリンチャレンジカップ]]・カナダ戦([[国立霞ヶ丘競技場]])では3-0で勝利し、全国にその名を印象づけた。
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この愛称は、[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]のアジア予選として行われた﹁[[アジアサッカー連盟|AFC]]女子サッカー予選大会2004﹂の際に﹁大和撫子﹂ということばがよく使われていたため、それをもとに﹁世界に羽ばたき、世界に通用するように﹂との願いを込めて﹁ジャパン﹂としたという |
この愛称は、[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]のアジア予選として行われた﹁[[アジアサッカー連盟|AFC]]女子サッカー予選大会2004﹂の際に﹁大和撫子﹂ということばがよく使われていたため、それをもとに﹁世界に羽ばたき、世界に通用するように﹂との願いを込めて﹁ジャパン﹂としたという。
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ちなみに次点(優秀賞)には、[[JFA]]のシンボルである[[八咫烏]](やたがらす、やたのからす)にちなんだ「ヤタガールズ」、ユニフォームの色(ブルー)とレディー(L)を組み合わせた「エルブルー」、レディーと夢(ドリーム)を組み合わせた「エルブルー」があった。 |
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愛称制定というアイデアは「日本代表」では男子のイメージが定着しているのと、[[オーストラリア]]女子代表に「マチルダス」という名がついているのをヒントにしたといわれる。(ちなみに[[ナイジェリア]]では男子代表が「スーパーイーグルス」、女子代表には「スーパーファルコンズ」という愛称がある。) |
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2004年現在、日本女子代表は[[オリンピック]]に2回、[[FIFA女子ワールドカップ]]には全4回とも出場している。とくにワールドカップについては﹁男子より先に出場した。﹂という選手もいるほどである。
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2004年現在、日本女子代表は[[オリンピック]]に2回、[[FIFA女子ワールドカップ]]には全4回とも出場している。とくにワールドカップについては﹁男子より先に出場した。﹂という選手もいるほどである。
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2000年[[シドニーオリンピック]]では、前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回[[FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子世界選手権]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]大会で[[カナダ]]に 1-1 と引き分けたものの、[[ロシア]]に 0-5 、[[ノルウェー]]に 0-4で敗戦。惜しくもベスト8入りを逃し、五輪出場にはならなかった。
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2000年[[シドニーオリンピック]]では、前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回[[FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子世界選手権]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]大会で[[カナダ]]に 1-1 と引き分けたものの、[[ロシア]]に 0-5 、[[ノルウェー]]に 0-4で敗戦。惜しくもベスト8入りを逃し、五輪出場にはならなかった。
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2002年8月、[[マカオ]]男子代表の監督を務めていた[[上田栄治]](もと[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期して2004年[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]に向けたチーム再編を図り、2003年の第4回[[FIFA女子ワールドカップ]](﹁FIFA女子世界選手権﹂改め)・アメリカ大会での内容に基づきDFラインを3バックから4バックに変更するなどのチーム再編を積極的に行った。アテネ五輪では出場チーム数が10に拡大したため、アジア地区は出場枠2カ国をめぐっての地区予選﹁AFC女子サッカー予選大会2004﹂を[[日本]]で実施。3グループに分かれての一次リーグでは[[ベトナム]]を 7-0、[[タイ王国|タイ]]を 6-0 で降し、つづく決勝トーナメントでは強豪国である[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]を 3-0 で降し、[[大韓民国|韓国]]を降した[[中国]]とともに2度目の五輪出場を果たした。本大会では3グループに分かれての予選リーグ |
2002年8月、[[マカオ]]男子代表の監督を務めていた[[上田栄治]](もと[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期して2004年[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]に向けたチーム再編を図り、2003年の第4回[[FIFA女子ワールドカップ]](﹁FIFA女子世界選手権﹂改め)・アメリカ大会には、それまでの内容に基づきDFラインを3バックから4バックに変更するなどのチーム再編を積極的に行った。アテネ五輪では出場チーム数が10に拡大したため、アジア地区は出場枠2カ国をめぐっての地区予選﹁AFC女子サッカー予選大会2004﹂を[[日本]]で実施。3グループに分かれての一次リーグでは[[ベトナム]]を 7-0、[[タイ王国|タイ]]を 6-0 で降し、つづく決勝トーナメントでは強豪国である[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]を 3-0 で降し、[[大韓民国|韓国]]を降した[[中国]]とともに2度目の五輪出場を果たした。
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アテネ五輪本大会では3グループに分かれての予選リーグにおいて優勝候補のひとつ、[[スウェーデン]]を 1-0 で破る活躍を見せた。つづく[[ナイジェリア]]戦では0-1で敗れたものの、他グループ3位との総得点差で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント初戦では、こちらも優勝候補の[[アメリカ合衆国|アメリカ代表]]と対戦し 1-2 で敗退し、ベスト8に終わったが、3試合を通して警告(イエローカード)・退場(レッドカード)が0ということにより﹁フェアプレー賞﹂を受賞した。
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これら一連の活躍により日本国内での女子サッカーに対する認知度が高まり、国内のトップリーグである'''[[日本女子サッカーリーグ]](略称:L・リーグ)'''の人気も上昇し観客が |
これら一連の活躍により日本国内での女子サッカーに対する認知度が高まり、国内のトップリーグである'''[[日本女子サッカーリーグ]](略称:L・リーグ)'''の人気も上昇し観客が飛躍的に増加。とくに五輪後には「'''なでしこリーグ'''」という愛称も採用され、ますます注目を浴びる存在になっている。 |
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なお[[日本サッカー協会]]は、なでしこジャパンの名称を[[商標登録]]申請中である。 |
なお[[日本サッカー協会]]は、なでしこジャパンの名称を[[商標登録]]申請中である。 |
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また2004年[[新語・流行語大賞]]の候補60語にもノミネートされた。 |
また2004年[[新語・流行語大賞]]の候補60語にもノミネートされた。 |
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2004年10月、[[日本サッカー協会]]は前月に退任した[[上田栄治]]の後任に[[大橋浩司]]を新監督として任命した。11月から代表合宿を行い、12月に |
2004年10月、[[日本サッカー協会]]は前月に退任した[[上田栄治]]の後任に[[大橋浩司]]を新監督として任命した。11月から代表合宿を行い、12月18日に[[台湾]]([[チャイニーズタイペイ]])と対戦。11-0という大量得点に加え、被シュート0という内容で上々のスタートを切った。
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