「サッカー日本女子代表」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
14行目: | 14行目: | ||
2000年[[シドニーオリンピック]]では、前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回[[FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子世界選手権]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]大会で[[カナダ]]に 1-1 と引き分けたものの、[[ロシア]]に 0-5 、[[ノルウェー]]に 0-4で敗戦。惜しくもベスト8入りを逃し、五輪出場にはならなかった。
|
2000年[[シドニーオリンピック]]では、前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回[[FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子世界選手権]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]大会で[[カナダ]]に 1-1 と引き分けたものの、[[ロシア]]に 0-5 、[[ノルウェー]]に 0-4で敗戦。惜しくもベスト8入りを逃し、五輪出場にはならなかった。
|
||
2002年8月、[[マカオ]]男子代表の監督を務めていた[[上田栄治]](もと[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期して2004年[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]に向けたチーム再編を図った。2003年の第4回[[FIFA女子ワールドカップ]](﹁FIFA女子世界選手権﹂改め)・アメリカ大会には6月にアジア地区予選を兼ねて行われた﹁第14回アジア女子選手権﹂の結果により出場が危ぶまれたが、7月に行われた[[メキシコ]]との予選プレーオフ(ホームアンドアウェー方式)で勝利を収め、かろうじて出場権を獲得した。し |
2002年8月、[[マカオ]]男子代表の監督を務めていた[[上田栄治]](もと[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期して2004年[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]に向けたチーム再編を図った。2003年の第4回[[FIFA女子ワールドカップ]](﹁FIFA女子世界選手権﹂改め)・アメリカ大会には6月にアジア地区予選を兼ねて行われた﹁第14回アジア女子選手権﹂の結果により出場が危ぶまれたが、7月に行われた[[メキシコ]]との予選プレーオフ(ホームアンドアウェー方式)で勝利を収め、かろうじて出場権を獲得した。そして[[国立霞ヶ丘競技場]]でおこなわれた第2戦では当時最多となる観客12743人を集め、女子サッカーに注目が集まるきっかけとなった。9月に行われた本大会では[[アルゼンチン]]戦でFW[[大谷未央]]が途中出場で[[ハットトリック]]を決めるなど 6-0 で勝利したものの、[[ドイツ]]に 0-3 で敗戦。つづく[[カナダ]]戦は先制しながらも 1-3 で予選敗退となった。
|
||
これらの結果に基づき、上田栄治監督はDFラインを3バックから4バックに変更するなどのチーム再編を積極的に行った。アテネ五輪では出場チーム数が10に拡大したため、アジア地区は出場枠2カ国をめぐっての地区予選「AFC女子サッカー予選大会2004」を[[日本]]で実施。3グループに分かれての一次リーグでは[[ベトナム]]を 7-0、[[タイ王国|タイ]]を 6-0 で降し、つづく決勝トーナメントでは強豪国である[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]を 3-0 で降し、[[大韓民国|韓国]]を降した[[中国]]とともに2度目の五輪出場を果たした。 |
これらの結果に基づき、上田栄治監督はDFラインを3バックから4バックに変更するなどのチーム再編を積極的に行った。アテネ五輪では出場チーム数が10に拡大したため、アジア地区は出場枠2カ国をめぐっての地区予選﹁AFC女子サッカー予選大会2004﹂を[[日本]]で実施。3グループに分かれての一次リーグでは[[ベトナム]]を 7-0、[[タイ王国|タイ]]を 6-0 で降し、つづく決勝トーナメントでは強豪国である[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]を 3-0 で降し、[[大韓民国|韓国]]を降した[[中国]]とともに2度目の五輪出場を果たした。ちなみに北朝鮮戦では観客31324人を集め、女子サッカーでの記録を更新した。
|
||
アテネ五輪本大会では3グループに分かれての予選リーグにおいて優勝候補のひとつ、[[スウェーデン]]を 1-0 で破る活躍を見せた。つづく[[ナイジェリア]]戦では0-1で敗れたものの、他グループ3位との総得点差で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント初戦では、こちらも優勝候補の[[アメリカ合衆国|アメリカ代表]]と対戦し 1-2 で敗退し、ベスト8に終わったが、3試合を通して警告(イエローカード)・退場(レッドカード)が0ということにより「フェアプレー賞」を受賞した。 |
アテネ五輪本大会では3グループに分かれての予選リーグにおいて優勝候補のひとつ、[[スウェーデン]]を 1-0 で破る活躍を見せた。つづく[[ナイジェリア]]戦では0-1で敗れたものの、他グループ3位との総得点差で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント初戦では、こちらも優勝候補の[[アメリカ合衆国|アメリカ代表]]と対戦し 1-2 で敗退し、ベスト8に終わったが、3試合を通して警告(イエローカード)・退場(レッドカード)が0ということにより「フェアプレー賞」を受賞した。 |
2004年12月28日 (火) 07:55時点における版
なでしこジャパンとはサッカー女子日本代表の愛称である。
日本サッカー協会が一般公募を行い、2004年7月7日に発表したもので約2,700通の応募の中から選ばれた。愛称制定後、最初の試合となった7月30日のキリンチャレンジカップ・カナダ戦(国立霞ヶ丘競技場)では3-0で勝利し、全国にその名を印象づけた。
この愛称は、アテネオリンピックのアジア予選として行われた﹁AFC女子サッカー予選大会2004﹂の際に﹁大和撫子﹂ということばがよく使われていたため、それをもとに﹁世界に羽ばたき、世界に通用するように﹂との願いを込めて﹁ジャパン﹂としたという。
ちなみに次点(優秀賞)には、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏︵やたがらす、やたのからす︶にちなんだ﹁ヤタガールズ﹂、ユニフォームの色(ブルー)とレディー(L)を組み合わせた﹁エルブルー﹂、レディーと夢(ドリーム)を組み合わせた﹁ドリームブルー﹂があった。
愛称制定というアイデアは﹁日本代表﹂では男子のイメージが定着しているのと、オーストラリア女子代表に﹁マチルダス﹂という名がついているのをヒントにしたといわれる。(ちなみにナイジェリアでは男子代表が﹁スーパーイーグルス﹂、女子代表には﹁スーパーファルコンズ﹂という愛称がある。)
2004年現在、日本女子代表はオリンピックに2回、FIFA女子ワールドカップには全4回とも出場している。とくにワールドカップについては﹁男子より先に出場した。﹂という選手もいるほどである。
女子サッカーがオリンピック種目となったのは1996年のアトランタ大会から。このときは前年に行われた第2回FIFA女子世界選手権・スウェーデン大会の上位8カ国に出場権が与えられたが、日本はグループリーグでドイツに 0-1 、ブラジルに 2-1 、スウェーデンに 0-2 の成績を収め、かろうじてベスト8入りし出場権を獲得。しかし本大会ではグループリーグでドイツに 2-3 、ブラジルに 0-2 、ノルウェーに 0-4 と3戦全敗に終わり決勝リーグ突破はできなかった。
2000年シドニーオリンピックでは、前回同様に五輪予選を兼ねて行われた第3回FIFA女子世界選手権・アメリカ大会でカナダに 1-1 と引き分けたものの、ロシアに 0-5 、ノルウェーに 0-4で敗戦。惜しくもベスト8入りを逃し、五輪出場にはならなかった。
2002年8月、マカオ男子代表の監督を務めていた上田栄治(もとベルマーレ平塚監督)を代表監督に起用。女子サッカーの再起を期して2004年アテネオリンピックに向けたチーム再編を図った。2003年の第4回FIFA女子ワールドカップ(﹁FIFA女子世界選手権﹂改め)・アメリカ大会には6月にアジア地区予選を兼ねて行われた﹁第14回アジア女子選手権﹂の結果により出場が危ぶまれたが、7月に行われたメキシコとの予選プレーオフ(ホームアンドアウェー方式)で勝利を収め、かろうじて出場権を獲得した。そして国立霞ヶ丘競技場でおこなわれた第2戦では当時最多となる観客12743人を集め、女子サッカーに注目が集まるきっかけとなった。9月に行われた本大会ではアルゼンチン戦でFW大谷未央が途中出場でハットトリックを決めるなど 6-0 で勝利したものの、ドイツに 0-3 で敗戦。つづくカナダ戦は先制しながらも 1-3 で予選敗退となった。
これらの結果に基づき、上田栄治監督はDFラインを3バックから4バックに変更するなどのチーム再編を積極的に行った。アテネ五輪では出場チーム数が10に拡大したため、アジア地区は出場枠2カ国をめぐっての地区予選﹁AFC女子サッカー予選大会2004﹂を日本で実施。3グループに分かれての一次リーグではベトナムを 7-0、タイを 6-0 で降し、つづく決勝トーナメントでは強豪国である北朝鮮を 3-0 で降し、韓国を降した中国とともに2度目の五輪出場を果たした。ちなみに北朝鮮戦では観客31324人を集め、女子サッカーでの記録を更新した。
アテネ五輪本大会では3グループに分かれての予選リーグにおいて優勝候補のひとつ、スウェーデンを 1-0 で破る活躍を見せた。つづくナイジェリア戦では0-1で敗れたものの、他グループ3位との総得点差で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント初戦では、こちらも優勝候補のアメリカ代表と対戦し 1-2 で敗退し、ベスト8に終わったが、3試合を通して警告(イエローカード)・退場(レッドカード)が0ということにより﹁フェアプレー賞﹂を受賞した。
これら一連の活躍により日本国内での女子サッカーに対する認知度が高まり、国内のトップリーグである日本女子サッカーリーグ(略称:L・リーグ)の人気も上昇し観客が飛躍的に増加。とくに五輪後には﹁なでしこリーグ﹂という愛称も採用され、ますます注目を浴びる存在になっている。
なお日本サッカー協会は、なでしこジャパンの名称を商標登録申請中である。
また2004年新語・流行語大賞の候補60語にもノミネートされた。
2004年10月、日本サッカー協会は前月に退任した上田栄治の後任に大橋浩司を新監督として任命した。11月から代表合宿を行い、12月18日に台湾(チャイニーズタイペイ)と対戦。11-0という大量得点に加え、被シュート0という内容で上々のスタートを切った。