「サッポー」の版間の差分
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出身地については通常島西部の{{仮リンク|エレソス|en|Eresos}}とされるが、[[ミュティレーネー]]とされることもある。ラリュコス、カラクソス、エウリュギオスという3人の兄弟があったと伝えられ、うちカラクソスとラリュコスの2人は2014年に新たに発見されたサッポーの詩の断片{{enlink|Brothers Poem}}で言及されている。[[ヘロドトス]]『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』2.135によれば、カラクソスは[[エジプト]]で大金を払って遊女[[ロドピス]]を身請けし、サッポーの詩の中で批判された<ref>{{citation|url=https://oxonianreview.com/articles/sapphos-brothers-poem-a-scholarly-retreat|title=Sappho’s Brothers Poem: A Scholarly Retreat|date=2020-03-07|publisher=The Oxonian Review}}</ref>。[[ストラボン]]『[[地理誌]]』17巻によるとカラクソスはレスボス島のワインをエジプトの[[ナウクラティス]]に運んで売る商人で、サッポーの詩の中でドーリカー({{lang|grc|Δωρίχα}})と呼ばれている遊女を愛したする。ドーリカーの名は現存のサッポーの詩(5番)にも見える{{r|yk18|page=141-142}}。 |
出身地については通常島西部の{{仮リンク|エレソス|en|Eresos}}とされるが、[[ミュティレーネー]]とされることもある。ラリュコス、カラクソス、エウリュギオスという3人の兄弟があったと伝えられ、うちカラクソスとラリュコスの2人は2014年に新たに発見されたサッポーの詩の断片{{enlink|Brothers Poem}}で言及されている。[[ヘロドトス]]『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』2.135によれば、カラクソスは[[エジプト]]で大金を払って遊女[[ロドピス]]を身請けし、サッポーの詩の中で批判された<ref>{{citation|url=https://oxonianreview.com/articles/sapphos-brothers-poem-a-scholarly-retreat|title=Sappho’s Brothers Poem: A Scholarly Retreat|date=2020-03-07|publisher=The Oxonian Review}}</ref>。[[ストラボン]]『[[地理誌]]』17巻によるとカラクソスはレスボス島のワインをエジプトの[[ナウクラティス]]に運んで売る商人で、サッポーの詩の中でドーリカー({{lang|grc|Δωρίχα}})と呼ばれている遊女を愛したする。ドーリカーの名は現存のサッポーの詩(5番)にも見える{{r|yk18|page=141-142}}。 |
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[[スーダ辞典]]には「富裕な商人であるアンドロス島のケルキューラースと結婚して、ひとりの娘を生んだ」と記されている<ref>{{citation|url=https://www.cs.uky.edu/~raphael/sol/sol-entries/sigma/107|chapter={{lang|grc|Σαπφώ}} / Sappho|publisher=Suda On Line Search}}</ref>。しかし、ケルキューラースという名前は(現存する)サッポーの詩に全く登場しない上、19世紀半ばの |
[[スーダ辞典]]には﹁富裕な商人であるアンドロス島のケルキューラースと結婚して、ひとりの娘を生んだ﹂と記されている<ref>{{citation|url=https://www.cs.uky.edu/~raphael/sol/sol-entries/sigma/107|chapter={{lang|grc|Σαπφώ}} / Sappho|publisher=Suda On Line Search}}</ref>。しかし、ケルキューラースという名前は︵現存する︶サッポーの詩に全く登場しない上、19世紀半ばの{{仮リンク|ウィリアム・ミュアー|en|William Mure (scholar)}}によれば、アンドロス島のケルキューラースが﹁男の陰嚢﹂を意味する古代ギリシア語とよく似た音になるため、この伝承は歴史的事実でなく、喜劇作家による創作と考えられている<ref>{{cite book|url=https://archive.org/details/criticalhistoryo03mureuoft/page/300/mode/2up|last=Mure|first=William|year=1850|location=London|title=A Critical History of the Language and Literature of Antient Greece|volume=3|page=301|quote=Among the more burlesque details of the popular history of the poetess, there is none which may with greater confidence be laid to the charge of the Attic comedy than that which gave her husband called Cercolas (Penifer), a citizen of the town of Andros (Virilia).}}</ref>。
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ただし結婚したことは確かで、クレイスという娘があったことはサッポーの詩(123番)の中に見えている{{r|yk18|page=138}}。 |
ただし結婚したことは確かで、クレイスという娘があったことはサッポーの詩(123番)の中に見えている{{r|yk18|page=138}}。 |
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サッポーの詩は大部分が滅び、他の作品の中に引用されるなどして断片が残るのみである。19世紀末以降に彼女の詩の断片を記した[[パピルス]]が発見され、現在でも新たに発見されることがある。2004年にはケルン・パピルスから老いに関するサッポーの詩の新たな断片{{enlink|Tithonus poem}}が発見され<ref>{{citation|url=https://papyri.uni-koeln.de/features/sappho|title=Ein Gedicht der Sappho: P. Köln inv. 21351+21376|publisher=Kölner Papyri}}</ref>、2014年にも兄弟について記した新しい詩の断片が発見された<ref>{{cite news|url=https://www.theguardian.com/world/2014/jan/29/sappho-ancient-greek-poet-unknown-works-discovered|title=Sappho: two previously unknown poems indubitably hers, says scholar|date=2014-01-29|author=Charlotte Higgins|work=[[ガーディアン|The Guardian]]}}</ref>。 |
サッポーの詩は大部分が滅び、他の作品の中に引用されるなどして断片が残るのみである。19世紀末以降に彼女の詩の断片を記した[[パピルス]]が発見され、現在でも新たに発見されることがある。2004年にはケルン・パピルスから老いに関するサッポーの詩の新たな断片{{enlink|Tithonus poem}}が発見され<ref>{{citation|url=https://papyri.uni-koeln.de/features/sappho|title=Ein Gedicht der Sappho: P. Köln inv. 21351+21376|publisher=Kölner Papyri}}</ref>、2014年にも兄弟について記した新しい詩の断片が発見された<ref>{{cite news|url=https://www.theguardian.com/world/2014/jan/29/sappho-ancient-greek-poet-unknown-works-discovered|title=Sappho: two previously unknown poems indubitably hers, says scholar|date=2014-01-29|author=Charlotte Higgins|work=[[ガーディアン|The Guardian]]}}</ref>。 |
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彼女の詩の中でほぼ完全な形で残っているのは﹁アプロディーテー讃歌﹂{{enlink|Ode to Aphrodite}}で、[[ハリカルナッソスのディオニュシオス]]による引用によって生き残った。サッポー詩体による7つのスタンザから構成される。﹃レスボス詩人断片集﹄ |
彼女の詩の中でほぼ完全な形で残っているのは「アプロディーテー讃歌」{{enlink|Ode to Aphrodite}}で、[[ハリカルナッソスのディオニュシオス]]による引用によって生き残った。サッポー詩体による7つのスタンザから構成される。もう1つ、やはり引用によってほぼ完全な形で生き残ったのが『レスボス詩人断片集』のサッポー31番{{enlink|Sappho 31}}(沓掛訳では「恋の衝撃」という題になっている)で、伝ロンギヌス「崇高について」{{enlink|On the Sublime}}に引用されている。 |
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『レスボス詩人断片集』(PLF)<ref>{{cite book|editor=Edgar Lobel; Denys Page|title=Poetarum Lesbiorum Fragmenta|year=1955|location=Oxford|publisher=Clarendon Press}}</ref>ではサッポーの詩に1番(アプロディーテー讃歌)から213番までの番号を付しているが、その大部分は非常に小さな断片である。 |
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== 評価 == |
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== テクストの伝承と評価 == |
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[[ファイル:Sappho-drawing.jpg|180px|thumb|サッポー<br />(ロマン主義的なイメージで描かれたもの)(1883年の作品)]] |
[[ファイル:Sappho-drawing.jpg|180px|thumb|サッポー<br />(ロマン主義的なイメージで描かれたもの)(1883年の作品)]] |
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サッポーの詩はその在世中から人気があったが、古典期のアッティカにはすでに何らかの作品集が存在していたことが知られている{{r|yk88|page=358-359}}。[[ヘレニズム時代]]、紀元前3世紀の[[アレクサンドリア]]においてサッポーの作品は正典化され、[[ビュザンティオン]]のアリストパネースとその弟子のアリスタルコスの2人によってそれぞれサッポー作品集が作られた。いずれも9巻で、アリストパネースのものは題材によって分類され、アリスタルコスのものは詩形によって分類されていた{{r|yk88|page=358-359}}{{r|yk18|page=153}}。アレクサンドリアの詩集は少しずつ散逸したが、2-3世紀ごろにはまだ大部分が残っていたらしい{{r|yk18|page=153}}。 |
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⚫ | 古代ギリシアにおいてサッポーは十番目のムーサとまで呼ばれて評価が高かったが、その一方で[[メナンドロス (作家)|メナンドロス]]の喜劇の題材にもされた。[[古代ローマ]]時代にもよく知られ、[[オウィディウス]]は抒情詩「愛について」の中で「いまやサッポーの名はあらゆる国々に知られている」(Ars Amatoria, 第28行)と述べている(オウィディウスは「サッポーからパオーンへの手紙」によって伝説のイメージを広めた人物でもあった)。[[ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥルス]]はサッポーを崇拝し、その51番の詩{{enlink|Catullus 51}}はサッポーの有名な31番の詩{{enlink|Sappho 31}}の翻案と考えられている。 |
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その一方で後世にはサッポーの作品は頽廃的であるとみなされ、さまざまな非難を浴びた。[[古代ローマ時代]]にもサッポーは非難の的となっていたが、その後、[[キリスト教]]が興隆し、[[神学|キリスト教学]]が独善的な性格を強めてゆくに従い、サッポーの詩は「反聖書的である」とされた。そして、[[キリスト教]]の力がエジプトにまで及ぶに至って、サッポーの作品の多くが失われた。 |
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[[キリスト教]]が興隆すると、2世紀のタティアヌス{{enlink|Tatian}}によってサッポーは「淫売で色気違い」であると非難されるようになった{{r|yk18|page=128,151}}。ローマでキリスト教が公認されると、4世紀の[[コンスタンティノープル総主教庁|コンスタンティノポリス大主教]][[ナジアンゾスのグレゴリオス|グレゴリオス]]によって[[焚書]]され、さらに11世紀に[[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|教皇グレゴリウス7世]]の命令で再び焚書された{{r|yk88|page=360-361}}{{r|yk18|page=153}}。これによって、19世紀末にパピルスが発見されるまでの間、サッポーの詩は引用によって残るもの以外ほとんどが消滅することになったとされる。しかしながらレイノルズによると、サッポーの詩が消滅した主要な原因は焚書のような弾圧によるものではなく、古典ギリシア語の[[アッティカ方言]]が真性のギリシア語とされるとアイオリス方言で書かれたサッポー作品は尊重されなくなり、その後パピルスの時代から[[羊皮紙]]の時代に移り変わったときに、新たに写本を作る手間をかける価値がないと見なされたために筆写されずに滅んでいったのだという<ref>{{cite book|editor=Reynolds, Margaret|title=The Sappho Companion|year=2001|publisher=Random House|isbn=1446413764 |pages=19-20}}</ref>。 |
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[[File:Godward-In the Days of Sappho-1904.jpg|thumb|left|300px|「サッポーの時間」ジョン・エドワード・ゴットワード]] |
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当時、サッポーの詩はエジプトの[[アレクサンドリア図書館]]に所蔵されていた。これは、アレクサンドリアが学問の都市であっただけでなく、キリスト教信徒や[[東ローマ帝国]]皇帝が、無神論を含むギリシア哲学や観察に基づく科学を「聖書を冒涜するもの」として非常に迫害するようになると、ギリシアの学者たちはキリスト教の力の及びにくいエジプト属州へ逃げて学問を続けていたためである(390年には、[[東ローマ帝国]]皇帝[[テオドシウス1世]]によって、“同性愛の罪を犯した”とするゴート人のギリシア学者を捕らえるという名目の下、[[テッサロニカの虐殺]]が起こる)。 |
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しかし、そのエジプトにも[[キリスト教]]の力が及ぶようになり、415年には、アレクサンドリアで、ギリシア学問の学校の女性校長であり著名な数学者・哲学者・無神論者でもあった[[ヒュパティア]]がキリスト教徒によって裸にされて吊され全身の肉を牡蠣の貝殻でそぎ落とされて惨殺されるという虐殺事件が起こった。さらに、エジプトを統括する司祭の指揮のもと、キリスト教徒は[[アレクサンドリア図書館]]をも破壊し蔵書を焼き払った。所蔵されていた大量の貴重なギリシア学問やヘレニズム学術の成果がすべて消失し、サッポーの詩もまた失われた。サッポーの一部の詩は、キリスト教徒の迫害を逃れて[[サーサーン朝]]ペルシアへ亡命した学者たちにより現在まで残っている。 |
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ルネサンス以後のヨーロッパではサッポーの詩そのものが知られないまま、想像力を膨らませて膨大な量のサッポーに関する伝説が生まれることになった{{r|yk18|page=132-133}}。とくに[[シャルル・ボードレール|ボードレール]]は『[[悪の華]]』初版で削除を命じられた「レスボス」においてレスボスを同性愛にふける島として描き、[[レズビアン|レズビアニズム]]の代表としてのサッポーのイメージを決定的にした{{r|yk18|page=133}}。 |
ルネサンス以後のヨーロッパではサッポーの詩そのものが知られないまま、想像力を膨らませて膨大な量のサッポーに関する伝説が生まれることになった{{r|yk18|page=132-133}}。とくに[[シャルル・ボードレール|ボードレール]]は『[[悪の華]]』初版で削除を命じられた「レスボス」においてレスボスを同性愛にふける島として描き、[[レズビアン|レズビアニズム]]の代表としてのサッポーのイメージを決定的にした{{r|yk18|page=133}}。 |
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== 日本語文献 == |
== 日本語文献 == |
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[[File:Ostrakon PSI XIII 1300, II sec. ac, frammento di un'ode di saffo sul culto di afrodite.JPG|thumb|200px|陶片に残された讃歌(2番)]] |
[[File:Ostrakon PSI XIII 1300, II sec. ac, frammento di un'ode di saffo sul culto di afrodite.JPG|thumb|200px|陶片に残された讃歌(2番)]] |
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日本では[[上田敏]]が1896年に「サッフオの詩集」を書いて、はじめてサッポーを日本に紹介し、3篇の詩を英語から日本語に翻訳した{{r|yk88|page=415}}。 |
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* {{Cite book|和書|author=八木橋正雄|authorlink=八木橋正雄|title=サッフォー詩集|series=原文のギリシア語と対訳の全詩集|publisher=八木橋正雄刊|date=1980年:日本語初出}} |
* {{Cite book|和書|author=八木橋正雄|authorlink=八木橋正雄|title=サッフォー詩集|series=原文のギリシア語と対訳の全詩集|publisher=八木橋正雄刊|date=1980年:日本語初出}} |
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* {{Cite book|和書|author=沓掛良彦|authorlink=沓掛良彦|title=サッフォー 詩と生涯|series=|publisher=[[平凡社]]|date=1988年(2006年[[水声社]]再刊)}} |
* {{Cite book|和書|author=沓掛良彦|authorlink=沓掛良彦|title=サッフォー 詩と生涯|series=|publisher=[[平凡社]]|date=1988年(2006年[[水声社]]再刊)}} |
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<ref name="yk18">{{Cite book|和書|author=沓掛良彦|authorlink=沓掛良彦|title=ギリシアの抒情詩人たち:竪琴の音にあわせ|year=2018|publisher=京都大学出版社|isbn=9784814001309}}</ref> |
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* [[ベアトリッツ・デ・ディア]] - 中世のサッポーとも呼ばれる女性[[トルバドゥール]]詩人。 |
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* [[ルイーズ・ラベ]] - 16世紀のサッポーとも呼ばれる女性詩人。 |
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* [[マルーシャ・チュラーイ]] - 「ウクライナのサッフォー」と呼ばれる17世紀の女性詩人 |
* [[マルーシャ・チュラーイ]] - 「ウクライナのサッフォー」と呼ばれる17世紀の女性詩人 |
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* {{仮リンク|ルネ・ヴィヴィアン|en|Renée Vivien}} - フランスの[[象徴主義]]の女性詩人。自らもレズビアンであることを公言し、1903年にサッポーの詩の翻訳を出版した。 |
* {{仮リンク|ルネ・ヴィヴィアン|en|Renée Vivien}} - フランスの[[象徴主義]]の女性詩人。自らもレズビアンであることを公言し、1903年にサッポーの詩の翻訳を出版した。 |
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[[Category:ギリシア詞華集のエピグラム詩人]] |
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2024年2月15日 (木) 22:47時点における最新版
サッポー | |
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誕生 |
紀元前7世紀末 レスボス島 |
死没 | 紀元前6世紀初 |
職業 | 詩人 |
活動期間 | 古代ギリシア |
ジャンル | 抒情詩 |
ウィキポータル 文学 |
生涯[編集]
作品・作風[編集]
サッポーは何十もの異なる韻律によって詩を書いたが、スタンザ形式になっているものが多く、とくに1つのスタンザが4行からなる四行詩が多い。11音節の詩行が3行と5音節の1行からなる形式はサッポー詩体として知られる。 サッポーの詩は大部分が滅び、他の作品の中に引用されるなどして断片が残るのみである。19世紀末以降に彼女の詩の断片を記したパピルスが発見され、現在でも新たに発見されることがある。2004年にはケルン・パピルスから老いに関するサッポーの詩の新たな断片 (Tithonus poem) が発見され[8]、2014年にも兄弟について記した新しい詩の断片が発見された[9]。 彼女の詩の中でほぼ完全な形で残っているのは﹁アプロディーテー讃歌﹂ (Ode to Aphrodite) で、ハリカルナッソスのディオニュシオスによる引用によって生き残った。サッポー詩体による7つのスタンザから構成される。もう1つ、やはり引用によってほぼ完全な形で生き残ったのが﹃レスボス詩人断片集﹄のサッポー31番 (Sappho 31) ︵沓掛訳では﹁恋の衝撃﹂という題になっている︶で、伝ロンギヌス﹁崇高について﹂ (On the Sublime) に引用されている。 ﹃レスボス詩人断片集﹄(PLF)[10]ではサッポーの詩に1番︵アプロディーテー讃歌︶から213番までの番号を付しているが、その大部分は非常に小さな断片である。テクストの伝承と評価[編集]
日本語文献[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- Lidov, Joel (2002). “Sappho, Herodotus and the Hetaira”. Classical Philology 97 (3).
関連項目[編集]
- 9歌唱詩人
- ベアトリッツ・デ・ディア - 中世のサッポーとも呼ばれる女性トルバドゥール詩人。
- ルイーズ・ラベ - 16世紀のサッポーとも呼ばれる女性詩人。
- マルーシャ・チュラーイ - 「ウクライナのサッフォー」と呼ばれる17世紀の女性詩人
- ルネ・ヴィヴィアン - フランスの象徴主義の女性詩人。自らもレズビアンであることを公言し、1903年にサッポーの詩の翻訳を出版した。
- エーゲ海の誘惑 - 2008年のウクライナ映画。原題が「サッポー」(ウクライナ語: Сафо)
- パオーン
外部リンク[編集]
- サッフォ:作家別作品リスト - 青空文庫
- サッポー日本語訳詩番号逆引き対照表 - ウェイバックマシン(2002年2月20日アーカイブ分)
- ギリシアの壺絵におけるサッポーの描写