「サッポー」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m Bot作業依頼#Cite bookの更新に伴う修正 |
|||
74行目: | 74行目: | ||
* [[9歌唱詩人]] |
* [[9歌唱詩人]] |
||
* [[マルーシャ・チュラーイ]] - 「ウクライナのサッフォー」と呼ばれる17世紀の女性詩人 |
* [[マルーシャ・チュラーイ]] - 「ウクライナのサッフォー」と呼ばれる17世紀の女性詩人 |
||
* {{仮リンク|ルネ・ヴィヴィアン|en|Renée Vivien}} - フランスの[[象徴主義]]の女性詩人。自らもレズビアンであることを公言し、1903年にサッポーの詩の翻訳を出版した。 |
|||
* [[エーゲ海の誘惑]] - 2008年のウクライナ映画。原題が「サッポー」({{lang-uk|''Сафо''}}) |
* [[エーゲ海の誘惑]] - 2008年のウクライナ映画。原題が「サッポー」({{lang-uk|''Сафо''}}) |
||
* [[パオーン]] |
* [[パオーン]] |
2022年6月27日 (月) 04:35時点における版
サッポー | |
---|---|
誕生 |
紀元前7世紀末 レスボス島 |
死没 | 紀元前6世紀初 |
職業 | 詩人 |
活動期間 | 古代ギリシア |
ジャンル | 抒情詩 |
ウィキポータル 文学 |
サッポー︵古代ギリシア語アッティカ方言 (en) : Σαπφώ / Sapphō、紀元前7世紀末 – 紀元前6世紀初︶は、古代ギリシアの女性詩人である。
出身地レスボス島で用いられたアイオリス方言 (en) ではプサッパ︵Ψάπφα / Psappha︶あるいはプサッポー︵Ψάπφω / Psappho︶と呼ばれる[1]:134。名はサッフォー︵英: Sappho︶とも表記される。
﹃サッポー﹄︵1877年︶シャルル・メンギン︵1853年-193 3年︶、ある伝統的な説では、サッポーはレウカディアンの崖から飛び降りて自殺したという[2]。
サッポーは生前から詩人として著名であり、シケリア島のシュラクサイに亡命の時期に彫像が立てられたという。またプラトーンの作と伝えられる詩の中では彼女を﹁十番目のムーサ﹂とも呼んでいる[1]:130-131。
歴史学上ではっきりしているのは、サッポーはレスボス島で生まれたが、家族が執政のピッタコスと対立したために10年間ほどシケリア島に亡命し、その後、レスボス島に戻ったということのみである[1]:143。サッポーに関する信頼できる文献は少なく、その生涯ははっきりしない。紀元前630年から紀元前612年の間のいずれかの年に生まれ、紀元前570年頃に亡くなったと考えられている。
出身地については通常島西部のエレソスとされるが、ミュティレーネーとされることもある。ラリュコス、カラクソス、エウリュギオスという3人の兄弟があったと伝えられ、うちカラクソスとラリュコスの2人は2014年に新たに発見されたサッポーの詩の断片 (Brothers Poem) で言及されている。ヘロドトス﹃歴史﹄2.135によれば、カラクソスはエジプトで大金を払って遊女ロドピスを身請けし、サッポーの詩の中で批判された[3]。ストラボン﹃地理誌﹄17巻によるとカラクソスはレスボス島のワインをエジプトのナウクラティスに運んで売る商人で、サッポーの詩の中でドーリカー(Δωρίχα)と呼ばれている遊女を愛したする。ドーリカーの名は現存のサッポーの詩︵5番︶にも見える[1]:141-142。
スーダ辞典には﹁富裕な商人であるアンドロス島のケルキューラースと結婚して、ひとりの娘を生んだ﹂と記されている[4]。しかし、ケルキューラースという名前は︵現存する︶サッポーの詩に全く登場しない上、19世紀半ばの歴史学者William Mureによれば、アンドロス島のケルキューラースが﹁男の陰嚢﹂を意味する古代ギリシア語とよく似た音になるため、この伝承は歴史的事実でなく、サッポーが同性愛と結びつけられることを踏まえた上での創作による民間伝説であると考えられている。
ただし結婚したことは確かで、クレイスという娘があったことはサッポーの詩︵123番︶の中に見えている[1]:138。
サッポーは、自分の身のまわりにいた少女たちに対する愛の詩を多く残した[1]:147。そのため、サッポーと同性愛を結びつける指摘は紀元前7世紀ごろから存在した。
彼女によって選ばれた若い娘しか入れないある種の学校をサッポーがレスボス島に作ったといわれていたが、20世紀なかばのデニス・ペイジ (Denys Page) はこの説を否定した[1]:148。また美少年パオーンとの悲恋の相手とする伝説も伝えられた[5]。
﹁サッポー﹂エドゥアール=アンリ・アヴリル︵1843 - 192 8︶、サッポーはこのように性愛画の題材となった
同じレスボス島出身の詩人アルカイオスとは詩の交換などで交遊があった。サッポー自身はアルカイオスと異なり、詩作において政治と関わることはせず、主観の方向は内的情熱に傾倒し、亡命の際以外、政治への関与は避けた[6]。
サッポー
︵ロマン主義的なイメージで描かれたもの︶︵1883年の作品︶
恋愛詩人としてのサッポーは古代ローマ時代にもよく知られ、オウィディウスは抒情詩﹁愛について﹂の中で﹁いまやサッポーの名はあらゆる国々に知られている﹂︵Ars Amatoria, 第28行︶と述べている。カトゥルスはサッポーを崇拝し、その51番の詩 (Catullus 51) はサッポーの有名な31番の詩 (Sappho 31) の翻案と考えられている。
その一方で後世にはサッポーの作品は頽廃的であるとみなされ、さまざまな非難を浴びた。古代ローマ時代にもサッポーは非難の的となっていたが、その後、キリスト教が興隆し、キリスト教学が独善的な性格を強めてゆくに従い、サッポーの詩は﹁反聖書的である﹂とされた。そして、キリスト教の力がエジプトにまで及ぶに至って、サッポーの作品の多くが失われた。
﹁サッポーの時間﹂ジョン・エドワード・ゴットワード
当時、サッポーの詩はエジプトのアレクサンドリア図書館に所蔵されていた。これは、アレクサンドリアが学問の都市であっただけでなく、キリスト教信徒や東ローマ帝国皇帝が、無神論を含むギリシア哲学や観察に基づく科学を﹁聖書を冒涜するもの﹂として非常に迫害するようになると、ギリシアの学者たちはキリスト教の力の及びにくいエジプト属州へ逃げて学問を続けていたためである︵390年には、東ローマ帝国皇帝テオドシウス1世によって、“同性愛の罪を犯した”とするゴート人のギリシア学者を捕らえるという名目の下、テッサロニカの虐殺が起こる︶。
しかし、そのエジプトにもキリスト教の力が及ぶようになり、415年には、アレクサンドリアで、ギリシア学問の学校の女性校長であり著名な数学者・哲学者・無神論者でもあったヒュパティアがキリスト教徒によって裸にされて吊され全身の肉を牡蠣の貝殻でそぎ落とされて惨殺されるという虐殺事件が起こった。さらに、エジプトを統括する司祭の指揮のもと、キリスト教徒はアレクサンドリア図書館をも破壊し蔵書を焼き払った。所蔵されていた大量の貴重なギリシア学問やヘレニズム学術の成果がすべて消失し、サッポーの詩もまた失われた。サッポーの一部の詩は、キリスト教徒の迫害を逃れてサーサーン朝ペルシアへ亡命した学者たちにより現在まで残っている。
ルネサンス以後のヨーロッパではサッポーの詩そのものが知られないまま、想像力を膨らませて膨大な量のサッポーに関する伝説が生まれることになった[1]:132-133。とくにボードレールは﹃悪の華﹄初版で削除を命じられた﹁レスボス﹂においてレスボスを同性愛にふける島として描き、レズビアニズムの代表としてのサッポーのイメージを決定的にした[1]:133。
現代では、Sapphic︵サッポー風の︶は女性同性愛者を、Sapphismは女性同性愛を示すのに用いられる。また、女性同性愛者を呼ぶ一般的な呼称である﹁レスビアン﹂もサッポーがレスボス島出身であることに由来する。ちなみに、英語で﹁レスボス人﹂は"lesbian"と表記されるが、これは﹁レズビアン﹂の"lesbian"と同じつづりである。そのことから、同島の現代の一般名称はミティリーニ島の名称に好んで替えられて呼ばれている。
生涯
作品・作風
サッポーは何十もの異なる韻律によって詩を書いたが、スタンザ形式になっているものが多く、とくに1つのスタンザが4行からなる四行詩が多い。11音節の詩行が3行と5音節の1行からなる形式はサッポー詩体として知られる。 サッポーの詩は大部分が滅び、他の作品の中に引用されるなどして断片が残るのみである。19世紀末以降に彼女の詩の断片を記したパピルスが発見され、現在でも新たに発見されることがある。2004年にはケルン・パピルスから老いに関するサッポーの詩の新たな断片 (Tithonus poem) が発見され[7]、2014年にも兄弟について記した新しい詩の断片が発見された[8]。 彼女の詩の中でほぼ完全な形で残っているのは﹁アプロディーテー讃歌﹂ (Ode to Aphrodite) で、ハリカルナッソスのディオニュシオスによる引用によって生き残った。サッポー詩体による7つのスタンザから構成される。﹃レスボス詩人断片集﹄(PLF)[9]ではサッポーの詩に1番︵アプロディーテー讃歌︶から213番までの番号を付しているが、その大部分は非常に小さな断片である。評価
日本語文献
脚注
(一)^ abcdefghi沓掛良彦﹃ギリシアの抒情詩人たち‥竪琴の音にあわせ﹄京都大学出版社、2018年。ISBN 9784814001309。
(二)^ Lidov 2002, pp. 205–6, n.7.
(三)^ Sappho’s Brothers Poem: A Scholarly Retreat, The Oxonian Review, (2020-03-07)
(四)^ “Σαπφώ / Sappho”, Suda On Line Search
(五)^ 高津春繁﹃ギリシアの詩﹄岩波新書、1956年、114頁。
(六)^ 注 - サッポーの最後については、遡ればメナンドロス︵紀元前342-292)あたりから、渡し守のパオーンに恋をしてルーカディアの崖から飛び降りたのだろう、などと語られてきたが、これは現代の学者からは、歴史的な事実ではないと見なされており、おそらく喜劇詩人が作り出した話か、あるいはサッポーの非自伝的な詩を彼女自身の話として誤読してしまったことが原因で作り出された話だろうと推測されている(Joel Lidov, "Sappho, Herodotus and the Hetaira", in Classical Philology, July 2002, pp.203–237. pp.205-206)。
(七)^ Ein Gedicht der Sappho: P. Köln inv. 21351+21376, Kölner Papyri
(八)^ Charlotte Higgins (2014年1月29日). “Sappho: two previously unknown poems indubitably hers, says scholar”. The Guardian
(九)^ Edgar Lobel; Denys Page, ed (1955). Poetarum Lesbiorum Fragmenta. Oxford: Clarendon Press
参考文献
- Lidov, Joel (2002). “Sappho, Herodotus and the Hetaira”. Classical Philology 97 (3).
関連項目
- 9歌唱詩人
- マルーシャ・チュラーイ - 「ウクライナのサッフォー」と呼ばれる17世紀の女性詩人
- ルネ・ヴィヴィアン - フランスの象徴主義の女性詩人。自らもレズビアンであることを公言し、1903年にサッポーの詩の翻訳を出版した。
- エーゲ海の誘惑 - 2008年のウクライナ映画。原題が「サッポー」(ウクライナ語: Сафо)
- パオーン
外部リンク
- サッフォ:作家別作品リスト - 青空文庫
- サッポー日本語訳詩番号逆引き対照表 - ウェイバックマシン(2002年2月20日アーカイブ分)
- ギリシアの壺絵におけるサッポーの描写