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| 名前 = サビオ・ベガ |
| 名前 = サビオ・ベガ |
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| 画像説明 = 2013年 |
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⚫ | | リングネーム = '''サビオ・ベガ'''<br />'''TNT'''<br />クワン<br />ザ・ボス<br />エル・コルサリオ |
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| 本名 = フアン・リベラ |
| 本名 = フアン・リベラ |
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| スポーツ歴 = [[テコンドー]]<ref name="njpw">『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P62(2002年、[[日本スポーツ出版社]])</ref> |
| スポーツ歴 = [[テコンドー]]<ref name="njpw">『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P62(2002年、[[日本スポーツ出版社]])</ref> |
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'''サビオ・ベガ'''('''Savio Vega'''、本名:'''Juan Rivera'''、[[1964年]][[8月10日]] - )は、[[プエルトリコ]]の[[プロレスラー]]。 |
'''サビオ・ベガ'''('''Savio Vega'''、本名:'''Juan Rivera'''、[[1964年]][[8月10日]] - )は、[[プエルトリコ]]の[[プロレスラー]]。ベガ・アルタ出身<ref name="oww"/>。 |
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[[1990年代]]は[[アメリカ合衆国本土]]の[[WWE|WWF]]でも活躍した。 |
[[1990年代]]は[[アメリカ合衆国本土]]の[[WWE|WWF]]でも活躍した<ref name="oww"/>。地元のプエルトリコを本拠地に、[[プロレス#ブック|ブッカー]]業務も担当している<ref name="oww"/>。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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[[1985年]]8月、[[ビル・ワット]]が主宰していたアメリカ中南部の[[ビル・ワット#MSWA|MSWA]](後の[[ビル・ワット#UWF|UWF]])において、'''エル・コルサリオ'''('''El Corsario''')なる[[ヒール (プロレス)|ヒール]]の[[覆面レスラー]]としてデビュー<ref name="cage-matches-85">{{cite web|url=https://www.cagematch.net/?id=2&nr=224&page=4&s=1300|title=Savio Vega: Matches 1985-1988|accessdate=2024-01-28|publisher=Cagematch.net}}</ref>。[[スカンドル・アクバ]]を[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]に迎え、[[テコンドー]]の下地を活かした[[マーシャルアーツ]]戦法を武器に、[[ジェイク・ロバーツ]]、[[ジム・ドゥガン]]、[[ブッチ・リード]]、[[エディ・ギルバート]]、[[ボブ・スウィータン]]らと対戦してキャリアを積んだ<ref name="cage-matches-85"/>。 |
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[[1987年]]より[[プエルトリコ]]へ戻り<ref name="wd-promotions">{{cite web|url=https://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=464&bild=1&details=7|title=Savio Vega: Promotions|accessdate=2024-01-28|publisher=Wrestlingdata.com}}</ref>、[[カルロス・コロン]]の主宰する[[WWC (プロレス)|WWC]]において、[[ザ・グレート・カブキ]]をイメージした東洋系[[ギミック (プロレス)|ギミック]]の[[ペイントレスラー]]に変身<ref name="njpw"/>。[[火薬|爆薬]]の[[トリニトロトルエン]]を意味する'''TNT'''︵'''T.N.T.'''︶を[[リングネーム]]にヒールのポジションで活動する。[[ミスター・ポーゴ]]ともタッグを組み、7月11日に[[マーク・ヤングブラッド]]&[[クリス・ヤングブラッド]]のレネゲード・ウォリアーズからWWC世界タッグ王座を奪取した<ref name="wwc-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/pr/wwc/wwc-t.html|title=WWC World Tag Team Title|accessdate=2010-10-24|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。同年11月には[[全日本プロレス]]に初来日、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]のパートナーとして[[世界最強タッグ決定リーグ戦#1987年大会|世界最強タッグ決定リーグ戦]]に出場した<ref>{{cite web|url=https://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=464&bild=1&details=7&liga=14&jahr=1987|title=The AJPW matches fought by Savio Vega in 1987|accessdate=2022-04-05|publisher=Wrestlingdata}}</ref>。
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[[1990年]]9月には[[新日本プロレス]]に登場し、翌[[1991年]]7月の再来日では[[武藤敬司|グレート・ムタ]]とタッグを結成、7月19日の[[札幌市|札幌]]大会にて[[馳浩]]&[[佐々木健介]]のチームと対戦した<ref name="njpw"/>。翌月の8月7日からは、[[W★INGプロモーション|W★ING]]の旗揚げシリーズにも参戦している。 |
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[[1990年]]9月には[[新日本プロレス]]に登場して、[[ビッグバン・ベイダー]]や[[バンバン・ビガロ]]と共闘<ref>{{cite web|url=https://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=464&bild=1&details=7&liga=121&jahr=1990|title=The NJPW matches fought by Savio Vega in 1990|accessdate=2022-04-05|publisher=Wrestlingdata}}</ref>。翌[[1991年]]7月の来日時には[[武藤敬司#グレート・ムタ|グレート・ムタ]]とタッグを結成、7月19日の[[札幌市|札幌]]大会にて[[馳浩]]&[[佐々木健介]]のチームと対戦した<ref>{{cite web|url=https://www.cagematch.net/?id=1&nr=50636|title=NJPW Summer Crush 1991 - Tag 5|accessdate=2022-04-05|publisher=Cagematch.net}}</ref>。翌月の8月7日からは、[[W★INGプロモーション|W★ING]]の旗揚げシリーズにも参戦している<ref>{{cite web|url=https://www.wrestlingdata.com/index.php?befehl=bios&wrestler=464&bild=1&details=7&liga=170&jahr=1991|title=The W★ING matches fought by Savio Vega in 1991|accessdate=2022-04-05|publisher=Wrestlingdata}}</ref>。
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[[1994年]]1月より[[忍者]]ギミックの |
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[[1994年]]1月より[[忍者]]ギミックの覆面レスラー、'''クワン'''︵'''Kwang'''︶に再変身して[[WWE|WWF]]に登場<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/pictures/s/saviovega/11.jpg|title=Wrestling Gallery: Kwang'|accessdate=2020-06-21|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。TNT時代と同様のマーシャルアーツ・スタイルに加え、カブキやムタのような[[毒霧]]も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。マネージャーは[[ハービー・ウィップルマン]]が担当し、﹃[[WWE・ロウ|Raw is War]]﹄にて[[ブレット・ハート]]や[[ジ・アンダーテイカー]]とも対戦している<ref name="oww">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profile/savio-vega|title=Wrestler Profiles: Savio Vega|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。
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[[1995年]]からは覆面を脱 |
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[[1995年]]からは覆面を脱いで素顔となり、[[スコット・ホール|レイザー・ラモン]]の友人のプエルトリカンという設定のもと、[[サウス・ブロンクス地区|サウス・ブロンクス]]出身の'''サビオ・ベガ'''︵'''Savio Vega'''︶を名乗って[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]に転向。5月14日の[[ペイ・パー・ビュー|PPV]]﹃[[イン・ユア・ハウス]]﹄の第1回大会にて初登場を果たし、[[ジェフ・ジャレット]]と[[ブライアン・ジェイムス|ザ・ローディー]]の2人がかりの攻撃からラモンを救出して観客の喝采を浴びた。6月25日の﹃[[キング・オブ・ザ・リング#第3回大会(1995年)WWF King of the Ring 1995|キング・オブ・ザ・リング]]﹄ではトーナメントを勝ち抜いて決勝戦に進出、[[ネルソン・フレイジャー・ジュニア|メイブル]]に敗れてキングの座は逸したものの、準々決勝で優勝候補の[[ロドニー・アノアイ|ヨコズナ]]に勝利するなどの活躍を見せた<ref>{{cite web|url=http://www.pwwew.net/ppv/wwf/june/1995.htm|title=WWF King of the Ring 1995|accessdate=2010-10-24|publisher=pWw-Everything Wrestling}}</ref>。翌[[1996年]]は[[WWE・インターコンチネンタル王座|インターコンチネンタル王者]]の[[ダスティン・ローデス|ゴールダスト]]と抗争、一時はタイトルを空位にしている<ref name="oww"/><ref>{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/wwe/ic.html|title=WWF Intercontinental Heavyweight Title|accessdate=2010-10-25|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。
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[[1997年]]2月、再びヒールとなって[[ロン・シモンズ|ファルーク]]率いる'''[[ネーション・オブ・ドミネーション]]'''︵'''NOD'''︶に加入<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/ |
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[[1997年]]2月、再びヒールとなって[[ロン・シモンズ|ファルーク]]率いる'''[[ネーション・オブ・ドミネーション]]'''︵'''NOD'''︶に加入<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profile/nation-of-domination|title=Faction Profiles: Nation of Domination|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。[[アーメッド・ジョンソン]]や[[ロード・ウォリアーズ|リージョン・オブ・ドゥーム]]と抗争するが、6月にファルークと仲間割れしてNODから除名され、[[ミゲル・ペレス・ジュニア]]、ホセ・エストラーダ・ジュニア、ヘスス・カスティーヨと共にプエルトリコ系[[ストリートギャング]]集団の'''ロス・ボリクアス'''︵'''Los Boricuas'''︶を結成<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profile/los-boricuas|title=Faction Profiles: Los Boricuas|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。ファルークが再編した新生NODや、同じくNODを追放された[[ブライアン・アダムス (プロレスラー)|クラッシュ]]のDOA<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profile/disciples-of-apocalypse|title=Faction Profiles: Disciples of Apocalypse|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>との三つ巴の軍団抗争を繰り広げた。[[1998年]]には "[[:en:WWF Brawl for All|WWF Brawl for All]]" にも出場したが、2回戦で[[ダレン・ドロズドフ]]に敗退。同年にWWFを解雇された。
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WWF以降、[[2000年代]]は[[インターナショナル・レスリング・アソシエーション|IWAプエルトリコ]]にて選手兼[[プロレス#ブック|ブッカー]]として活動。[[2008年]]1月にはインターナショナル・ツアーをプロデュースし、[[パナマ]]にて[[リッキー・バンデラス]]ともタイトルを争った。[[アメリカ合衆国本土|合衆国本土]]では、WWF時代の旧友ジェフ・ジャレットの招きで2008年7月から[[2009年]]7月まで、[[TNAレスリング|TNA]]のロード・エージェントを務めていた<ref>{{cite web|url=http://www.prowrestling.com/article/news/13458|title=TNA Releases Two Prominent Names: July 31, 2009|accessdate=2010-10-24|publisher=ProWrestling.com}}</ref>。[[2010年]]からはIWA対WWCの[[アングル (プロレス)#抗争アングル|対抗戦アングル]]に参画。[[2011年]]12月からはTNAのジェフ・ジャレットが創設した[[リング・カ・キング]]のトレーナーを担当。[[2013年]]よりWWCに復帰し、同年11月16日と[[2014年]]1月19日にWWCユニバーサル・ヘビー級王座を獲得している<ref name="wwc-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/pr/wwc/wwc-h.html|title=WWC Universal Heavyweight Title |accessdate=2014-04-04|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
WWF以降、[[2000年代]]は[[インターナショナル・レスリング・アソシエーション|IWAプエルトリコ]]にて選手兼[[プロレス#ブック|ブッカー]]として活動。[[2008年]]1月にはインターナショナル・ツアーをプロデュースし、[[パナマ]]にて[[リッキー・バンデラス]]ともタイトルを争った。[[アメリカ合衆国本土|合衆国本土]]では、WWF時代の旧友ジェフ・ジャレットの招きで2008年7月から[[2009年]]7月まで、[[TNAレスリング|TNA]]のロード・エージェントを務めていた<ref>{{cite web|url=http://www.prowrestling.com/article/news/13458|title=TNA Releases Two Prominent Names: July 31, 2009|accessdate=2010-10-24|publisher=ProWrestling.com}}</ref>。[[2010年]]からはIWA対WWCの[[アングル (プロレス)#抗争アングル|対抗戦アングル]]に参画。[[2011年]]12月からはTNAのジェフ・ジャレットが創設した[[リング・カ・キング]]のトレーナーを担当。[[2013年]]よりWWCに復帰し、同年11月16日と[[2014年]]1月19日にWWCユニバーサル・ヘビー級王座を獲得している<ref name="wwc-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/pr/wwc/wwc-h.html|title=WWC Universal Heavyweight Title |accessdate=2014-04-04|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。 |
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[[2017]]年7月26日、[[武藤敬司]]プロデュースの『プロレスリング・マスターズ』において、TNTとして久々の来日を果たし、ムタ&カブキとの魔界トリオを結成。[[藤波辰爾]]、[[長州力]]、馳浩のトリオと対戦した<ref>{{cite web|url=https://www.cagematch.net/?id=1&nr=180428|title=Keiji Muto Produce Pro-Wrestling Masters|accessdate=2022-04-05|publisher=Cagematch.net}}</ref>。 |
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== 得意技 == |
== 得意技 == |
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== 外部リンク == |
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* [http://www.wwe.com/superstars/savio-vega |
* [http://www.wwe.com/superstars/savio-vega WWE.com] |
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* [http://www.onlineworldofwrestling.com/ |
* [http://www.onlineworldofwrestling.com/profile/savio-vega Online World of Wrestling] |
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* {{Professional wrestling profiles|cagematch=224|wrestlingdata=464|iwd=savio-vega-166|name=サビオ・ベガ}} |
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* [http://www.cagematch.net/?id=2&nr=224&gimmick=Savio+Vega Profile at Cagematch] |
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{{リダイレクトの所属カテゴリ |
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|1-3 = W★INGに参戦した外国人プロレスラー |
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2024年1月28日 (日) 04:28時点における最新版
サビオ・ベガ | |
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![]() 2013年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
サビオ・ベガ TNT クワン ザ・ボス エル・コルサリオ |
本名 | フアン・リベラ |
身長 | 180cm |
体重 | 112kg(全盛時) |
誕生日 | 1964年8月10日(59歳) |
出身地 |
![]() ベガ・アルタ |
スポーツ歴 | テコンドー[1] |
デビュー | 1985年[1] |
来歴[編集]
1985年8月、ビル・ワットが主宰していたアメリカ中南部のMSWA︵後のUWF︶において、エル・コルサリオ︵El Corsario︶なるヒールの覆面レスラーとしてデビュー[3]。スカンドル・アクバをマネージャーに迎え、テコンドーの下地を活かしたマーシャルアーツ戦法を武器に、ジェイク・ロバーツ、ジム・ドゥガン、ブッチ・リード、エディ・ギルバート、ボブ・スウィータンらと対戦してキャリアを積んだ[3]。 1987年よりプエルトリコへ戻り[4]、カルロス・コロンの主宰するWWCにおいて、ザ・グレート・カブキをイメージした東洋系ギミックのペイントレスラーに変身[1]。爆薬のトリニトロトルエンを意味するTNT︵T.N.T.︶をリングネームにヒールのポジションで活動する。ミスター・ポーゴともタッグを組み、7月11日にマーク・ヤングブラッド&クリス・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズからWWC世界タッグ王座を奪取した[5]。同年11月には全日本プロレスに初来日、アブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーとして世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した[6]。 1990年9月には新日本プロレスに登場して、ビッグバン・ベイダーやバンバン・ビガロと共闘[7]。翌1991年7月の来日時にはグレート・ムタとタッグを結成、7月19日の札幌大会にて馳浩&佐々木健介のチームと対戦した[8]。翌月の8月7日からは、W★INGの旗揚げシリーズにも参戦している[9]。 1994年1月より忍者ギミックの覆面レスラー、クワン︵Kwang︶に再変身してWWFに登場[10]。TNT時代と同様のマーシャルアーツ・スタイルに加え、カブキやムタのような毒霧も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。マネージャーはハービー・ウィップルマンが担当し、﹃Raw is War﹄にてブレット・ハートやジ・アンダーテイカーとも対戦している[2]。 1995年からは覆面を脱いで素顔となり、レイザー・ラモンの友人のプエルトリカンという設定のもと、サウス・ブロンクス出身のサビオ・ベガ︵Savio Vega︶を名乗ってベビーフェイスに転向。5月14日のPPV﹃イン・ユア・ハウス﹄の第1回大会にて初登場を果たし、ジェフ・ジャレットとザ・ローディーの2人がかりの攻撃からラモンを救出して観客の喝采を浴びた。6月25日の﹃キング・オブ・ザ・リング﹄ではトーナメントを勝ち抜いて決勝戦に進出、メイブルに敗れてキングの座は逸したものの、準々決勝で優勝候補のヨコズナに勝利するなどの活躍を見せた[11]。翌1996年はインターコンチネンタル王者のゴールダストと抗争、一時はタイトルを空位にしている[2][12]。 1997年2月、再びヒールとなってファルーク率いるネーション・オブ・ドミネーション︵NOD︶に加入[13]。アーメッド・ジョンソンやリージョン・オブ・ドゥームと抗争するが、6月にファルークと仲間割れしてNODから除名され、ミゲル・ペレス・ジュニア、ホセ・エストラーダ・ジュニア、ヘスス・カスティーヨと共にプエルトリコ系ストリートギャング集団のロス・ボリクアス︵Los Boricuas︶を結成[14]。ファルークが再編した新生NODや、同じくNODを追放されたクラッシュのDOA[15]との三つ巴の軍団抗争を繰り広げた。1998年には "WWF Brawl for All" にも出場したが、2回戦でダレン・ドロズドフに敗退。同年にWWFを解雇された。 WWF以降、2000年代はIWAプエルトリコにて選手兼ブッカーとして活動。2008年1月にはインターナショナル・ツアーをプロデュースし、パナマにてリッキー・バンデラスともタイトルを争った。合衆国本土では、WWF時代の旧友ジェフ・ジャレットの招きで2008年7月から2009年7月まで、TNAのロード・エージェントを務めていた[16]。2010年からはIWA対WWCの対抗戦アングルに参画。2011年12月からはTNAのジェフ・ジャレットが創設したリング・カ・キングのトレーナーを担当。2013年よりWWCに復帰し、同年11月16日と2014年1月19日にWWCユニバーサル・ヘビー級王座を獲得している[17]。 2017年7月26日、武藤敬司プロデュースの﹃プロレスリング・マスターズ﹄において、TNTとして久々の来日を果たし、ムタ&カブキとの魔界トリオを結成。藤波辰爾、長州力、馳浩のトリオと対戦した[18]。得意技[編集]
- ラ・ペインキラー(La Painkiller)
- スピニング・ヒール・キック
- ジャンピング・ハイ・キック
獲得タイトル[編集]
- WWCユニバーサル・ヘビー級王座:3回[17]
- WWC世界タッグ王座:1回(w / ミスター・ポーゴ)[5]
- WWC北米ヘビー級王座:1回
- WWCカリビアン・ヘビー級王座:3回
- WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
- WWC世界TV王座:5回
- IWAハードコア王座:1回
- IWA世界ヘビー級王座:4回
- IWA世界タッグ王座:1回(w / ミゲル・ペレス・ジュニア)