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'''フアン・リベラ'''(''Juan Rivera''、[[1964年]][[8月10日]] - )は[[プエルトリコ |
'''サビオ・ベガ'''('''Savio Vega''')の[[リングネーム]]で知られる'''フアン・リベラ'''('''Juan Rivera'''、[[1964年]][[8月10日]] - )は、[[プエルトリコ]]出身の[[プロレスラー]]。 |
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近年は地元のプエルトリコを本拠地に、[[プロレス#台本(ブック)|ブッカー]]業務も担当している。 |
[[1990年代]]は[[アメリカ合衆国本土]]の[[WWE|WWF]]でも活躍した。近年は地元のプエルトリコを本拠地に、[[プロレス#台本(ブック)|ブッカー]]業務も担当している。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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[[1994年]]1月より[[忍者]]ギミックの[[覆面レスラー]]、'''クワン'''︵'''Kwang'''︶に変身して[[WWE|WWF]]に登場。TNT時代と同様の[[マーシャルアーツ]]・スタイルに加え、カブキやムタのような[[毒霧]]も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]は[[ハービー・ウィップルマン]]が担当し、﹃[[WWE・ロウ|Raw is War]]﹄にて[[ブレット・ハート]]や[[ジ・アンダーテイカー]]とも対戦している<ref name="OWW">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/s/savio-vega.html|title=Wrestler Profiles: Savio Vega|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。
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[[1994年]]1月より[[忍者]]ギミックの[[覆面レスラー]]、'''クワン'''︵'''Kwang'''︶に変身して[[WWE|WWF]]に登場。TNT時代と同様の[[マーシャルアーツ]]・スタイルに加え、カブキやムタのような[[毒霧]]も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]は[[ハービー・ウィップルマン]]が担当し、﹃[[WWE・ロウ|Raw is War]]﹄にて[[ブレット・ハート]]や[[ジ・アンダーテイカー]]とも対戦している<ref name="OWW">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/s/savio-vega.html|title=Wrestler Profiles: Savio Vega|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。
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[[1995年]]からは覆面を脱ぎ、[[スコット・ホール|レイザー・ラモン]]の友人のプエルトリカンという設定のもと、[[サウス・ブロンクス地区|サウス・ブロンクス]]出身の'''サビオ・ベガ'''︵'''Savio Vega'''︶を名乗って[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]に転向。5月14日の[[ペイ・パー・ビュー|PPV]]﹃[[イン・ユア・ハウス]]﹄の第1回大会にて初登場を果たし、[[ジェフ・ジャレット]]と[[ブライアン・ジェイムス|ザ・ローディー]]の2人がかりの攻撃からラモンを救出して観客の喝采を浴びた。6月25日の﹃[[キング・オブ・ザ・リング#第3回大会(1995年)WWF King of the Ring 1995|キング・オブ・ザ・リング]]﹄ではトーナメントを勝ち抜いて決勝戦に進出、[[ネルソン・フレイジャー・ジュニア|メイブル]]に敗れてキングの座は逸したものの、準々決勝で優勝候補の[[ロドニー・アノアイ|ヨコズナ]] |
[[1995年]]からは覆面を脱ぎ、[[スコット・ホール|レイザー・ラモン]]の友人のプエルトリカンという設定のもと、[[サウス・ブロンクス地区|サウス・ブロンクス]]出身の'''サビオ・ベガ'''︵'''Savio Vega'''︶を名乗って[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]に転向。5月14日の[[ペイ・パー・ビュー|PPV]]﹃[[イン・ユア・ハウス]]﹄の第1回大会にて初登場を果たし、[[ジェフ・ジャレット]]と[[ブライアン・ジェイムス|ザ・ローディー]]の2人がかりの攻撃からラモンを救出して観客の喝采を浴びた。6月25日の﹃[[キング・オブ・ザ・リング#第3回大会(1995年)WWF King of the Ring 1995|キング・オブ・ザ・リング]]﹄ではトーナメントを勝ち抜いて決勝戦に進出、[[ネルソン・フレイジャー・ジュニア|メイブル]]に敗れてキングの座は逸したものの、準々決勝で優勝候補の[[ロドニー・アノアイ|ヨコズナ]]に勝利するなどの活躍を見せた<ref>{{cite web|url=http://www.pwwew.net/ppv/wwf/june/1995.htm|title=WWF King of the Ring 1995|accessdate=2010-10-24|publisher=pWw-Everything Wrestling}}</ref>。翌[[1996年]]は[[WWE・インターコンチネンタル王座|インターコンチネンタル王者]]の[[ダスティン・ローデス|ゴールダスト]]と抗争、一時はタイトルを空位にしている<ref>{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/wwe/ic.html|title=WWF Intercontinental Heavyweight Title History|accessdate=2010-10-25|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref><ref>{{cite web|url=http://us.wwe.com/inside/titlehistory/intercontinental/322516|title=Goldust's second Intercontinental Championship reign|accessdate=2010-10-25|publisher=WWE.com}}</ref>。
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[[1997年]]2月、再びヒールとなって[[ロン・シモンズ|ファルーク]]率いる'''[[ネーション・オブ・ドミネーション]]'''︵'''NOD'''︶に加入<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/n/nation-of-domination.html|title=Faction Profiles: Nation of Domination|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。[[アーメッド・ジョンソン]]や[[ロード・ウォリアーズ|リージョン・オブ・ドゥーム]]と抗争するが、6月にファルークと仲間割れしてNODから除名され、ミゲル・ペレス・ジュニア、ホセ・エストラーダ・ジュニア、ヘスス・カスティーヨと共にプエルトリコ系[[ストリートギャング]]集団の'''ロス・ボリクアス'''︵'''Los Boricuas'''︶を結成<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/l/los-boricuas.html|title=Faction Profiles: Los Boricuas|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。ファルークが再編した新生NODや、同じくNODを追放された[[ブライアン・アダムス (プロレスラー)|クラッシュ]]のDOA<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/d/disciples-of-apocalypse.html|title=Faction Profiles: Disciples of Apocalypse|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>との三つ巴の軍団抗争を繰り広げた。[[1998年]]には "[[:en:WWF Brawl for All|WWF Brawl for All]]" にも出場したが、2回戦でダレン・ドロズドフに敗退。同年にWWFを解雇された。
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[[1997年]]2月、再びヒールとなって[[ロン・シモンズ|ファルーク]]率いる'''[[ネーション・オブ・ドミネーション]]'''︵'''NOD'''︶に加入<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/n/nation-of-domination.html|title=Faction Profiles: Nation of Domination|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。[[アーメッド・ジョンソン]]や[[ロード・ウォリアーズ|リージョン・オブ・ドゥーム]]と抗争するが、6月にファルークと仲間割れしてNODから除名され、ミゲル・ペレス・ジュニア、ホセ・エストラーダ・ジュニア、ヘスス・カスティーヨと共にプエルトリコ系[[ストリートギャング]]集団の'''ロス・ボリクアス'''︵'''Los Boricuas'''︶を結成<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/l/los-boricuas.html|title=Faction Profiles: Los Boricuas|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。ファルークが再編した新生NODや、同じくNODを追放された[[ブライアン・アダムス (プロレスラー)|クラッシュ]]のDOA<ref>{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/d/disciples-of-apocalypse.html|title=Faction Profiles: Disciples of Apocalypse|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>との三つ巴の軍団抗争を繰り広げた。[[1998年]]には "[[:en:WWF Brawl for All|WWF Brawl for All]]" にも出場したが、2回戦でダレン・ドロズドフに敗退。同年にWWFを解雇された。
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2012年1月14日 (土) 13:22時点における版
サビオ・ベガ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
サビオ・ベガ クワン TNT ザ・ボス |
本名 | フアン・リベラ |
身長 | 180cm - 183cm |
体重 | 112kg(全盛時) |
誕生日 | 1964年8月10日(59歳) |
出身地 |
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スポーツ歴 | テコンドー[1] |
デビュー | 1985年[1] |
来歴
﹁プエルトリコの帝王﹂ことカルロス・コロンの主宰するWWCにて1985年にデビュー[1]。テコンドーの下地を活かし、ザ・グレート・カブキをイメージした東洋系ギミックのペイントレスラーとなり、爆薬のトリニトロトルエンを意味するTNT︵T.N.T.︶をリングネームにヒールのポジションで活動する。ミスター・ポーゴともタッグを組み、1987年7月にマークとクリスのヤングブラッド兄弟からWWC世界タッグ王座を奪取した[2]。同年11月には全日本プロレスに初来日、アブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーとして世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した。 1990年9月には新日本プロレスに登場し、翌1991年7月の再来日ではグレート・ムタとタッグを結成、7月19日の札幌大会にて馳浩&佐々木健介のチームと対戦した[1]。翌月の8月7日からは、W★INGの旗揚げシリーズにも参戦している。 1994年1月より忍者ギミックの覆面レスラー、クワン︵Kwang︶に変身してWWFに登場。TNT時代と同様のマーシャルアーツ・スタイルに加え、カブキやムタのような毒霧も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。マネージャーはハービー・ウィップルマンが担当し、﹃Raw is War﹄にてブレット・ハートやジ・アンダーテイカーとも対戦している[3]。 1995年からは覆面を脱ぎ、レイザー・ラモンの友人のプエルトリカンという設定のもと、サウス・ブロンクス出身のサビオ・ベガ︵Savio Vega︶を名乗ってベビーフェイスに転向。5月14日のPPV﹃イン・ユア・ハウス﹄の第1回大会にて初登場を果たし、ジェフ・ジャレットとザ・ローディーの2人がかりの攻撃からラモンを救出して観客の喝采を浴びた。6月25日の﹃キング・オブ・ザ・リング﹄ではトーナメントを勝ち抜いて決勝戦に進出、メイブルに敗れてキングの座は逸したものの、準々決勝で優勝候補のヨコズナに勝利するなどの活躍を見せた[4]。翌1996年はインターコンチネンタル王者のゴールダストと抗争、一時はタイトルを空位にしている[5][6]。 1997年2月、再びヒールとなってファルーク率いるネーション・オブ・ドミネーション︵NOD︶に加入[7]。アーメッド・ジョンソンやリージョン・オブ・ドゥームと抗争するが、6月にファルークと仲間割れしてNODから除名され、ミゲル・ペレス・ジュニア、ホセ・エストラーダ・ジュニア、ヘスス・カスティーヨと共にプエルトリコ系ストリートギャング集団のロス・ボリクアス︵Los Boricuas︶を結成[8]。ファルークが再編した新生NODや、同じくNODを追放されたクラッシュのDOA[9]との三つ巴の軍団抗争を繰り広げた。1998年には "WWF Brawl for All" にも出場したが、2回戦でダレン・ドロズドフに敗退。同年にWWFを解雇された。 WWF以降、2000年代はIWAプエルトリコにて選手兼ブッカーとして活動。2008年1月にはインターナショナル・ツアーをプロデュースし、パナマにてリッキー・バンデラスともタイトルを争った。合衆国本土では、WWF時代の旧友ジェフ・ジャレットの招きで2008年7月から2009年7月まで、TNAのロード・エージェントを務めていた[10]。2010年からはIWA対WWCの対抗戦アングルに参画している。得意技
- ラ・ペインキラー(La Painkiller)
- スピニング・ヒール・キック
- ジャンピング・ハイ・キック
獲得タイトル
- WWC北米ヘビー級王座:1回
- WWCカリビアン・ヘビー級王座:3回
- WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
- WWCユニバーサル・ヘビー級王座:1回
- WWC世界TV王座:5回
- WWC世界タッグ王座:1回(w / ミスター・ポーゴ)
- IWA
- IWAハードコア王座:1回
- IWA世界ヘビー級王座:4回
- IWA世界タッグ王座:1回(w / ミゲル・ペレス・ジュニア)