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'''フアン・リベラ'''(''Juan Rivera''、[[1964年]][[8月10日]] - )は[[プエルトリコ]]・[[ベガアルタ]]出身の[[プロレスラー]] |
'''サビオ・ベガ'''('''Savio Vega''')のリングネームで知られる'''フアン・リベラ'''('''Juan Rivera'''、[[1964年]][[8月10日]] - )は、[[プエルトリコ]]・[[ベガアルタ]]出身の[[プロレスラー]]。 |
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[[1990年代]]は[[アメリカ合衆国本土]]の[[WWE|WWF]]でも活躍した。近年は地元のプエルトリコを本拠地に、[[プロレス#台本(ブック)|ブッカー]]業務も担当している。 |
[[1990年代]]は[[アメリカ合衆国本土]]の[[WWE|WWF]]でも活躍した。近年は地元のプエルトリコを本拠地に、[[プロレス#台本(ブック)|ブッカー]]業務も担当している。 |
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「プエルトリコの帝王」こと[[カルロス・コロン]]の主宰する[[WWC (プロレス)|WWC]]にて[[1985年]]にデビュー<ref name=" |
「プエルトリコの帝王」こと[[カルロス・コロン]]の主宰する[[WWC (プロレス)|WWC]]にて[[1985年]]にデビュー<ref name="njpw"/>。[[テコンドー]]の下地を活かし、[[ザ・グレート・カブキ]]をイメージした東洋系[[ギミック (プロレス)|ギミック]]の[[ペイントレスラー]]となり、[[火薬|爆薬]]の[[トリニトロトルエン]]を意味する'''TNT'''('''T.N.T.''')を[[リングネーム]]に[[ヒール (プロレス)|ヒール]]のポジションで活動する。[[ミスター・ポーゴ]]ともタッグを組み、[[1987年]]7月にマークとクリスのヤングブラッド兄弟からWWC世界タッグ王座を奪取した<ref>{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/pr/wwc/wwc-t.html|title=WWC World Tag Team Title History|accessdate=2010-10-24|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。同年11月には[[全日本プロレス]]に初来日、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]のパートナーとして[[世界最強タッグ決定リーグ戦#1987年大会|世界最強タッグ決定リーグ戦]]に出場した。 |
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[[1990年]]9月には[[新日本プロレス]]に登場し、翌[[1991年]]7月の再来日では[[武藤敬司|グレート・ムタ]]とタッグを結成、7月19日の[[札幌市|札幌]]大会にて[[馳浩]]&[[佐々木健介]]のチームと対戦した<ref name=" |
[[1990年]]9月には[[新日本プロレス]]に登場し、翌[[1991年]]7月の再来日では[[武藤敬司|グレート・ムタ]]とタッグを結成、7月19日の[[札幌市|札幌]]大会にて[[馳浩]]&[[佐々木健介]]のチームと対戦した<ref name="njpw"/>。翌月の8月7日からは、[[W★INGプロモーション|W★ING]]の旗揚げシリーズにも参戦している。
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[[1994年]]1月より[[忍者]]ギミックの[[覆面レスラー]]、'''クワン'''︵'''Kwang'''︶に変身して[[WWE|WWF]]に登場。TNT時代と同様の[[マーシャルアーツ]]・スタイルに加え、カブキやムタのような[[毒霧]]も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]は[[ハービー・ウィップルマン]]が担当し、﹃[[WWE・ロウ|Raw is War]]﹄にて[[ブレット・ハート]]や[[ジ・アンダーテイカー]]とも対戦している<ref name="OWW">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/s/savio-vega.html|title=Wrestler Profiles: Savio Vega|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。
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[[1994年]]1月より[[忍者]]ギミックの[[覆面レスラー]]、'''クワン'''︵'''Kwang'''︶に変身して[[WWE|WWF]]に登場。TNT時代と同様の[[マーシャルアーツ]]・スタイルに加え、カブキやムタのような[[毒霧]]も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]は[[ハービー・ウィップルマン]]が担当し、﹃[[WWE・ロウ|Raw is War]]﹄にて[[ブレット・ハート]]や[[ジ・アンダーテイカー]]とも対戦している<ref name="OWW">{{cite web|url=http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/s/savio-vega.html|title=Wrestler Profiles: Savio Vega|accessdate=2010-10-24|publisher=Online World of Wrestling}}</ref>。
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2012年1月17日 (火) 14:51時点における版
サビオ・ベガ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
サビオ・ベガ クワン TNT ザ・ボス |
本名 | フアン・リベラ |
身長 | 180cm - 183cm[1] |
体重 | 112kg(全盛時) |
誕生日 | 1964年8月10日(59歳) |
出身地 |
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スポーツ歴 | テコンドー[1] |
デビュー | 1985年[1] |
来歴
﹁プエルトリコの帝王﹂ことカルロス・コロンの主宰するWWCにて1985年にデビュー[1]。テコンドーの下地を活かし、ザ・グレート・カブキをイメージした東洋系ギミックのペイントレスラーとなり、爆薬のトリニトロトルエンを意味するTNT︵T.N.T.︶をリングネームにヒールのポジションで活動する。ミスター・ポーゴともタッグを組み、1987年7月にマークとクリスのヤングブラッド兄弟からWWC世界タッグ王座を奪取した[2]。同年11月には全日本プロレスに初来日、アブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーとして世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した。 1990年9月には新日本プロレスに登場し、翌1991年7月の再来日ではグレート・ムタとタッグを結成、7月19日の札幌大会にて馳浩&佐々木健介のチームと対戦した[1]。翌月の8月7日からは、W★INGの旗揚げシリーズにも参戦している。 1994年1月より忍者ギミックの覆面レスラー、クワン︵Kwang︶に変身してWWFに登場。TNT時代と同様のマーシャルアーツ・スタイルに加え、カブキやムタのような毒霧も放つなど、ミッドカード戦線で異色のファイトを展開した。マネージャーはハービー・ウィップルマンが担当し、﹃Raw is War﹄にてブレット・ハートやジ・アンダーテイカーとも対戦している[3]。 1995年からは覆面を脱ぎ、レイザー・ラモンの友人のプエルトリカンという設定のもと、サウス・ブロンクス出身のサビオ・ベガ︵Savio Vega︶を名乗ってベビーフェイスに転向。5月14日のPPV﹃イン・ユア・ハウス﹄の第1回大会にて初登場を果たし、ジェフ・ジャレットとザ・ローディーの2人がかりの攻撃からラモンを救出して観客の喝采を浴びた。6月25日の﹃キング・オブ・ザ・リング﹄ではトーナメントを勝ち抜いて決勝戦に進出、メイブルに敗れてキングの座は逸したものの、準々決勝で優勝候補のヨコズナに勝利するなどの活躍を見せた[4]。翌1996年はインターコンチネンタル王者のゴールダストと抗争、一時はタイトルを空位にしている[5][6]。 1997年2月、再びヒールとなってファルーク率いるネーション・オブ・ドミネーション︵NOD︶に加入[7]。アーメッド・ジョンソンやリージョン・オブ・ドゥームと抗争するが、6月にファルークと仲間割れしてNODから除名され、ミゲル・ペレス・ジュニア、ホセ・エストラーダ・ジュニア、ヘスス・カスティーヨと共にプエルトリコ系ストリートギャング集団のロス・ボリクアス︵Los Boricuas︶を結成[8]。ファルークが再編した新生NODや、同じくNODを追放されたクラッシュのDOA[9]との三つ巴の軍団抗争を繰り広げた。1998年には "WWF Brawl for All" にも出場したが、2回戦でダレン・ドロズドフに敗退。同年にWWFを解雇された。 WWF以降、2000年代はIWAプエルトリコにて選手兼ブッカーとして活動。2008年1月にはインターナショナル・ツアーをプロデュースし、パナマにてリッキー・バンデラスともタイトルを争った。合衆国本土では、WWF時代の旧友ジェフ・ジャレットの招きで2008年7月から2009年7月まで、TNAのロード・エージェントを務めていた[10]。2010年からはIWA対WWCの対抗戦アングルに参画している。得意技
- ラ・ペインキラー(La Painkiller)
- スピニング・ヒール・キック
- ジャンピング・ハイ・キック
獲得タイトル
- WWC北米ヘビー級王座:1回
- WWCカリビアン・ヘビー級王座:3回
- WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
- WWCユニバーサル・ヘビー級王座:1回
- WWC世界TV王座:5回
- WWC世界タッグ王座:1回(w / ミスター・ポーゴ)
- IWA
- IWAハードコア王座:1回
- IWA世界ヘビー級王座:4回
- IWA世界タッグ王座:1回(w / ミゲル・ペレス・ジュニア)