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'''スヴァンテ・アウグスト・アレニウス'''('''アレーニウス'''、Svante August Arrhenius {{IPA-sv|ˌsvanːtə aˈɹeːniɵs|}}, [[1859年]][[2月19日]] - [[1927年]][[10月2日]])は、[[スウェーデン]]の[[科学者]]で、物理学・化学の領域で活動した。[[物理化学]]の創始者の1人といえる。[[1903年]]に[[電解質]]の解離の理論に関する業績により、[[ノーベル化学賞]]を受賞。[[アレニウスの式]]、[[月]]の[[クレーター]] [[:en:Arrhenius (lunar crater)|Arrhenius]]、[[ストックホルム大学]]の研究所名などに名を残している。 |
'''スヴァンテ・アウグスト・アレニウス'''('''アレーニウス'''、Svante August Arrhenius {{IPA-sv|ˌsvanːtə aˈɹeːniɵs|}}, [[1859年]][[2月19日]] - [[1927年]][[10月2日]])は、[[スウェーデン]]の[[科学者]]で、[[物理学]]・[[化学]]の領域で活動した。[[物理化学]]の創始者の1人といえる。[[1903年]]に[[電解質]]の解離の理論に関する業績により、[[ノーベル化学賞]]を受賞。[[アレニウスの式]]、[[月]]の[[クレーター]] [[:en:Arrhenius (lunar crater)|Arrhenius]]、[[ストックホルム大学]]の研究所名などに名を残している。 |
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== 生涯 == |
== 生涯 == |
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自身の理論が一般に受け入れられるようになると、アレニウスは他の研究分野に興味を移した。1902年、化学の理論を用いて[[生理学]]の問題を研究し始めた。彼は生体内の化学反応も試験管内の化学反応も同じ法則にしたがっているとした。1904年、[[カリフォルニア大学]]に赴き、物理化学の手法を[[毒素]]と[[抗毒素]]の理論研究に応用して解釈するという一連の講義を行った。その内容を1907年に ''Immunochemistry''(免疫化学)と題して出版。また、加熱すると一旦は失効するが、その後も加熱を続けると効果が復活する[[タンパク質]]毒素を発見した(アレニウス効果)。 |
自身の理論が一般に受け入れられるようになると、アレニウスは他の研究分野に興味を移した。1902年、化学の理論を用いて[[生理学]]の問題を研究し始めた。彼は生体内の化学反応も試験管内の化学反応も同じ法則にしたがっているとした。1904年、[[カリフォルニア大学]]に赴き、物理化学の手法を[[毒素]]と[[抗毒素]]の理論研究に応用して解釈するという一連の講義を行った。その内容を1907年に ''Immunochemistry''(免疫化学)と題して出版。また、加熱すると一旦は失効するが、その後も加熱を続けると効果が復活する[[タンパク質]]毒素を発見した(アレニウス効果)。 |
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他にも[[地質学]]([[氷河時代]]の研究)、[[天文学]]、[[現代宇宙論]]、[[天体物理学]]といった方面にも手を出し、[[恒星]]間の衝突によって[[太陽系]]が生まれたとする説を提唱した。また、[[彗星]]の尾、太陽の[[コロナ]]、[[オーロラ]]、[[黄道光]]を[[放射圧]]で説明した。 |
他にも[[地質学]]︵[[氷河時代]]の研究︶、[[天文学]]、[[現代宇宙論]]、[[天体物理学]]といった方面にも手を出し、[[恒星]]間の衝突によって[[太陽系]]が生まれたとする説を提唱した。また、[[彗星]]の尾、太陽の[[コロナ]]、[[オーロラ (代表的なトピック)|オーロラ]]、[[黄道光]]を[[放射圧]]で説明した。
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また、生命が[[胞子]]の形で惑星から惑星へ運ばれたとする、いわゆる[[パンスペルミア説]]も提唱した。また、[[普遍言語]]として[[英語]]に修正を加えたものを提案している。 |
また、生命が[[胞子]]の形で惑星から惑星へ運ばれたとする、いわゆる[[パンスペルミア説]]も提唱した。また、[[普遍言語]]として[[英語]]に修正を加えたものを提案している。 |
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=== 優生学 === |
=== 優生学 === |
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アレニウスは1922年にウプサラでの [[:en:Statens institut för rasbiologi|Statens institut för rasbiologi]](人種生物学研究所)設立に積極的に関与している。同研究所の運営委員会の一員でもあり、1909年に創設されたスウェーデン[[優生学]]協会の創設メンバーでもある<ref>{{Cite journal|last=Spektorowski| first=A. |coauthors= Mizrachi, E. |year= 2004 |title= "Eugenics and the Welfare State in Sweden: The Politics of Social Margins and the Idea of a Productive Society" |journal= Journal of Contemporary History |volume= 39 |pages= pp. 333-352 |doi= 10.1177/0022009404044443}}</ref>。 |
アレニウスは1922年にウプサラでの [[:en:Statens institut för rasbiologi|Statens institut för rasbiologi]](人種生物学研究所)設立に積極的に関与している。同研究所の運営委員会の一員でもあり、1909年に創設されたスウェーデン[[優生学]]協会の創設メンバーでもある<ref>{{Cite journal|last=Spektorowski| first=A. |coauthors= Mizrachi, E. |year= 2004 |title= "Eugenics and the Welfare State in Sweden: The Politics of Social Margins and the Idea of a Productive Society" |journal= Journal of Contemporary History |volume= 39 |pages= pp. 333-352 |doi= 10.1177/0022009404044443}}</ref>。 |
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== 主な論文 == |
== 主な論文 == |
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**復刊{{Cite book|和書|author=|others=寺田寅彦訳|date=1987年ほか|title=史的に見たる科学的宇宙観の変遷|series=|publisher=岩波文庫|isbn=978-4-00-339301-7}} |
**復刊{{Cite book|和書|author=|others=寺田寅彦訳|date=1987年ほか|title=史的に見たる科学的宇宙観の変遷|series=|publisher=岩波文庫|isbn=978-4-00-339301-7}} |
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**新版{{Cite book|和書|author=|others=寺田寅彦訳|date=1992-11|title=宇宙の始まり 史的に見たる科学的宇宙観の変遷|publisher=第三書館|isbn=978-4-8074-9226-8|url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000226/card1150.html}} |
**新版{{Cite book|和書|author=|others=寺田寅彦訳|date=1992-11|title=宇宙の始まり 史的に見たる科学的宇宙観の変遷|publisher=第三書館|isbn=978-4-8074-9226-8|url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000226/card1150.html}} |
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== 親族 == |
== 親族 == |
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[[グレタ・トゥーンベリ]] - スウェーデンの環境活動家。彼女の父方の遠縁がスヴァンテ・アレニウス氏に当たる。 |
[[グレタ・トゥーンベリ]] - スウェーデンの環境活動家。彼女の父方の遠縁がスヴァンテ・アレニウス氏に当たる。 |
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== 注釈 == |
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== 出典 == |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite encyclopedia | last=Snelders | first=H.A.M. | title=Arrhenius, Svante August | encyclopedia=Dictionary of Scientific Biography | volume=1 | pages=296–301 | publisher=Charles Scribner's Sons | location=New York | year=1970 | isbn=0684101149}} |
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* Crawford, Elisabeth T. ''Arrhenius: from ionic theory to the greenhouse effect'' Canton, MA: Science History Publications. ISBN 0881351660 |
* Crawford, Elisabeth T. ''Arrhenius: from ionic theory to the greenhouse effect'' Canton, MA: Science History Publications. ISBN 0881351660 |
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* Patrick Coffey, ''Cathedrals of Science: The Personalities and Rivalries That Made Modern Chemistry'', Oxford University Press, 2008. ISBN 978-0-19-532134-0 |
* Patrick Coffey, ''Cathedrals of Science: The Personalities and Rivalries That Made Modern Chemistry'', Oxford University Press, 2008. ISBN 978-0-19-532134-0 |
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==関連文献== |
==関連文献== |
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*{{Cite journal |和書|author=小岩昌宏|authorlink=小岩昌宏|title=アレニウスと反応速度論 -伝記に見るその人間像|date=2000|publisher=日本金属学会|journal=まてりあ|volume=39|issue=1|pages=58-62|doi=10.2320/materia.39.58 }} |
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== 関連項目 == |
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== 外部リンク == |
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* [https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/1903/arrhenius/biographical/ Biography] from Nobelprize.org |
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* [http://www.magnet.fsu.edu/education/tutorials/pioneers/arrhenius.html Pioneers in Electricity and Magnetism - Svante Arrhenius] National High Magnetic Field Laboratory |
* [http://www.magnet.fsu.edu/education/tutorials/pioneers/arrhenius.html Pioneers in Electricity and Magnetism - Svante Arrhenius] National High Magnetic Field Laboratory |
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* [https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/1903/arrhenius/lecture/ Nobel Lecture] ''Development of the Theory of Electrolytic Dissociation'' from Nobelprize.org |
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* [http://adsabs.harvard.edu//full/seri/Obs../0050//0000363.000.html Obs '''50''' (1927) 363] - 死亡記事 |
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* [http://adsabs.harvard.edu//full/seri/PASP./0039//0000385.000.html PASP '''39''' (1927) 385] - 死亡記事 |
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スヴァンテ・アレニウス | |
---|---|
![]() Svante Arrhenius | |
生誕 |
1859年2月19日![]() |
死没 |
1927年10月2日 (68歳没)![]() |
国籍 |
![]() |
研究分野 | 物理学、化学 |
研究機関 |
スウェーデン王立工科大学 ストックホルム大学 |
出身校 | ウプサラ大学 |
博士課程 指導教員 |
ペール・テオドール・クレーベ Erik Edlund |
博士課程 指導学生 | オスカル・クライン |
主な業績 |
アレニウスの式 イオン解離の理論 酸と塩基の理論 |
主な受賞歴 |
ノーベル化学賞 (1903) フランクリン・メダル (1920) |
プロジェクト:人物伝 |
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生涯[編集]
青年期まで[編集]
1859年2月19日、スウェーデンのウプサラに程近い Vik︵または Wik、Wijk︶で生まれる。父はウプサラ大学に勤める測量技師で、最終的には監督になった。3歳のとき独力で文字を読めるようになり、父が帳簿をつける様子を見て算術までできるようになり、神童と呼ばれた。大人になってからも、大量のデータから数学的関係や法則性を見出す才能を示した。 8歳のとき学校に通い始めたが、5年生に編入され、物理学と数学に才能を発揮し、1876年に主席かつ最年少で卒業した。 ウプサラ大学では、物理学の指導教官に満足できず、化学の指導教官ペール・テオドール・クレーベにも満足できなかった。そのため1881年、ストックホルムに出てスウェーデン王立科学アカデミー物理学研究所の Erik Edlund の下で学ぶようになった。主に電解液の電気伝導率について研究。1884年、その研究に基づいて書いた150ページもの学位論文をウプサラ大学に提出。しかし、ペール・テオドール・クレーベといった教授陣はこの論文の価値を見抜けなかった。この研究が後のノーベル化学賞受賞の元になっている。 この1884年の論文には56の主題が記されているが、若干の修正が必要な部分はあるものの、大部分は今でも通用する内容だった。最も重要な内容は、純粋な塩や純粋な水は電気を通さないが、塩を水に溶かした水溶液は電気伝導体になるという事実についての彼の解釈である。 アレニウスは、水溶液中では塩が解離して荷電粒子になると考えた。そのずっと以前にマイケル・ファラデーがこの荷電粒子を﹁イオン﹂と名付けている。ファラデーはイオンが電気分解によって生み出されると信じていたが、アレニウスは電流を流していない状態でも水溶液中にはイオンが存在すると考えた。したがって、アレニウスは水溶液中の化学反応はイオン同士の反応に他ならないと考えた。 ウプサラ大学ではあまり注目されなかったが、アレニウスは同じ論文を物理化学という新しい分野に関わっているルドルフ・クラウジウス、ヴィルヘルム・オストヴァルト、ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフといったヨーロッパ中の科学者に送りつけた。彼らはその論文に注目し、オストヴァルトなどはウプサラまでわざわざ赴き、アレニウスを自分の研究チームに勧誘している。しかしアレニウスはその申し出を断わってスウェーデンに残り︵そのころ父が病床にあり、1885年に亡くなった︶、ウプサラ大学に勤務し始めた。 イオンに関する理論を発展させていく中で、1884年に酸と塩基の定義を提唱した。彼は、水溶液において水素イオンを発生するのが酸で、水酸化物イオンを発生させるのが塩基だとした。︵これは﹁アレニウスの定義﹂と呼ばれる。︶壮年期[編集]
父の死後、スウェーデン王立科学アカデミーから海外渡航の援助を得ると、リガでオストヴァルトの下で学び、ヴュルツブルクでフリードリッヒ・コールラウシュに学び、グラーツでルートヴィッヒ・ボルツマンに学び、アムステルダムでファント・ホッフに学んだ。 1889年、多くの化学反応で熱を加える必要があるという事実から、2つの分子が化学反応する際に乗り越えなければならないエネルギー障壁があると考え、活性化エネルギーの概念を定式化した。アレニウスの式は活性化エネルギーと化学反応の速度の関係に定量的基礎を与えるものである。 1891年、ストックホルム・ユニバーシティ・カレッジ︵現在のストックホルム大学︶の講師となる。1895年には多くの反対があったが物理学の教授に就任し、1896年には学長となった。 アレニウスは2度結婚している。1度目︵1894年から1896年まで︶では息子を1人もうけている。2度目︵1905年から1927年まで︶では、息子を1人と娘を2人もうけている。 1900年ごろ、アレニウスはノーベル賞の創設に関わった。1901年、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれたが、これには反対の声もあった。その後はノーベル委員会の物理学部門の委員となり、化学部門でも事実上の委員として活動した。彼はその立場を利用して友人︵ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ、ヴィルヘルム・オストヴァルト、セオドア・リチャーズ︶にノーベル賞を受賞させるよう誘導し、敵対する科学者︵パウル・エールリヒ、ヴァルター・ネルンスト︶には受賞させないよう画策した︵画策が成功したわけではない︶[1]。1903年、スウェーデン人初のノーベル化学賞を受賞。1905年、ストックホルムにノーベル物理学研究所が創設されると、所長に就任し、1927年まで務めた。1910年には王立協会外国人会員に選ばれている[2]。他にも1911年にウィラード・ギブズ賞、1920年にフランクリン・メダルを受賞している。晩年[編集]
自身の理論が一般に受け入れられるようになると、アレニウスは他の研究分野に興味を移した。1902年、化学の理論を用いて生理学の問題を研究し始めた。彼は生体内の化学反応も試験管内の化学反応も同じ法則にしたがっているとした。1904年、カリフォルニア大学に赴き、物理化学の手法を毒素と抗毒素の理論研究に応用して解釈するという一連の講義を行った。その内容を1907年に Immunochemistry︵免疫化学︶と題して出版。また、加熱すると一旦は失効するが、その後も加熱を続けると効果が復活するタンパク質毒素を発見した︵アレニウス効果︶。 他にも地質学︵氷河時代の研究︶、天文学、現代宇宙論、天体物理学といった方面にも手を出し、恒星間の衝突によって太陽系が生まれたとする説を提唱した。また、彗星の尾、太陽のコロナ、オーロラ、黄道光を放射圧で説明した。 また、生命が胞子の形で惑星から惑星へ運ばれたとする、いわゆるパンスペルミア説も提唱した。また、普遍言語として英語に修正を加えたものを提案している。 晩年には学生向けの教科書や一般向けの本を執筆しており、彼の論じた様々な説について今後の研究の必要性を強調している。 1927年9月、腸カタルを発症して倒れ、10月2日に死去。遺体はウプサラに埋葬された。温室効果[編集]
アレニウスは氷期がなぜ存在したのかを研究し、1896年に科学者として初めて大気中の二酸化炭素の量の変化が温室効果によって地表の温度に影響を与えるという考え方を示した[3]。これには先人であるジョゼフ・フーリエらの影響がある。また、大気中の二酸化炭素や水蒸気が赤外線をどの程度吸収するかを計算するため、ピッツバーグのアレゲニー天文台でフランク・ワシントン・ヴェリーとサミュエル・ラングレーが行った赤外線による月の観測データを使った。シュテファン=ボルツマンの法則を使って、独自の温室効果の法則を定式化した。本来の形式は次の通りである。 二酸化炭素の量が等差数列的に増大すると、温度はほぼ算術級数的に増大する。 これを単純な式で表現したものは今でも使われている。優生学[編集]
アレニウスは1922年にウプサラでの Statens institut för rasbiologi︵人種生物学研究所︶設立に積極的に関与している。同研究所の運営委員会の一員でもあり、1909年に創設されたスウェーデン優生学協会の創設メンバーでもある[5]。主な論文[編集]
●Svante Arrhenius, 1884, Recherches sur la conductivité galvanique des électrolytes, doctoral dissertation, Stockholm, Royal publishing house, P.A. Norstedt & söner, 89 pages. ●Svante Arrhenius, 1896a, Ueber den Einfluss des Atmosphärischen Kohlensäurengehalts auf die Temperatur der Erdoberfläche, in the Proceedings of the Royal Swedish Academy of Science, Stockholm 1896, Volume 22, I N. 1, pages 1–101. ●Svante Arrhenius, 1896b, On the Influence of Carbonic Acid in the Air upon the Temperature of the Ground, London, Edinburgh, and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science (fifth series), April 1896. vol 41, pages 237–275. ●Svante Arrhenius, 1901a, Ueber die Wärmeabsorption durch Kohlensäure, Annalen der Physik, Vol 4, 1901, pages 690–705. ●Svante Arrhenius, 1901b, Über Die Wärmeabsorption Durch Kohlensäure Und Ihren Einfluss Auf Die Temperatur Der Erdoberfläche. Abstract of the proceedings of the Royal Academy of Science, 58, 25–58. ●Svante Arrhenius, 1903, Lehrbuch der Kosmischen Physik, Vol I and II, S. Hirschel publishing house, Leipzig, 1026 pages. ●Svante Arrhenius, 1906, Die vermutliche Ursache der Klimaschwankungen, Meddelanden från K. Vetenskapsakademiens Nobelinstitut, Vol 1 No 2, pages 1–10 ●Svante Arrhenius, 1908, Das Werden der Welten, Academic Publishing House, Leipzig, 208 pages.著書[編集]
●﹃宇宙開闢論史﹄一戸直蔵・小川清彦訳、大倉書店、1912年。 ●﹃宇宙発展論﹄一戸直蔵訳、大倉書店、1914年。 ●﹃最近の宇宙観﹄一戸直蔵訳、大鐙閣、1920年。 ●スワンテ・アーレニウス﹃史的に見たる科学的宇宙観の変遷﹄寺田寅彦訳、岩波書店︿岩波文庫﹀、1931年。 ●復刊﹃史的に見たる科学的宇宙観の変遷﹄寺田寅彦訳、岩波文庫、1987年ほか。ISBN 978-4-00-339301-7。 ●新版﹃宇宙の始まり 史的に見たる科学的宇宙観の変遷﹄寺田寅彦訳、第三書館、1992年11月。ISBN 978-4-8074-9226-8。親族[編集]
グレタ・トゥーンベリ - スウェーデンの環境活動家。彼女の父方の遠縁がスヴァンテ・アレニウス氏に当たる。注釈[編集]
出典[編集]
- ^ Patrick Coffey, Cathedrals of Science: The Personalities and Rivalries That Made Modern Chemistry, Oxford University Press, 2008,
- ^ "Arrhenius; Svante August (1859 - 1927)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。
- ^ "On the Influence of Carbonic Acid in the Air Upon the Temperature of the Ground Archived 2014年10月6日, at the Wayback Machine.", Philosophical Magazine 1896(41): 237-76
- ^ The Carbon Dioxide Greenhouse Effect at www.aip.org
- ^ Spektorowski, A.; Mizrachi, E. (2004). “"Eugenics and the Welfare State in Sweden: The Politics of Social Margins and the Idea of a Productive Society"”. Journal of Contemporary History 39: pp. 333-352. doi:10.1177/0022009404044443.
参考文献[編集]
- Snelders, H.A.M. (1970). "Arrhenius, Svante August". Dictionary of Scientific Biography. Vol. 1. New York: Charles Scribner's Sons. pp. 296–301. ISBN 0684101149。
- Crawford, Elisabeth T. Arrhenius: from ionic theory to the greenhouse effect Canton, MA: Science History Publications. ISBN 0881351660
- Patrick Coffey, Cathedrals of Science: The Personalities and Rivalries That Made Modern Chemistry, Oxford University Press, 2008. ISBN 978-0-19-532134-0
関連文献[編集]
- 小岩昌宏「アレニウスと反応速度論 -伝記に見るその人間像」『まてりあ』第39巻第1号、日本金属学会、2000年、58-62頁、doi:10.2320/materia.39.58。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- アレニウス スヴァンテ:作家別作品リスト - 青空文庫
- Biography from Nobelprize.org
- Pioneers in Electricity and Magnetism - Svante Arrhenius National High Magnetic Field Laboratory
- Nobel Lecture Development of the Theory of Electrolytic Dissociation from Nobelprize.org
- Obs 50 (1927) 363 - 死亡記事
- PASP 39 (1927) 385 - 死亡記事
- スヴァンテ・アレニウス
- 19世紀の化学者
- 20世紀の化学者
- スウェーデンの化学者
- スウェーデンの天文学者
- 物理化学者
- スウェーデンのノーベル賞受賞者
- ノーベル化学賞受賞者
- 王立協会外国人会員
- スウェーデン王立科学アカデミー会員
- ノルウェー科学文学アカデミー会員
- アメリカ芸術科学アカデミー会員
- 米国科学アカデミー外国人会員
- アメリカ哲学協会外国人会員
- ソビエト連邦科学アカデミー名誉会員
- オランダ王立芸術科学アカデミー会員
- ゲッティンゲン科学アカデミー会員
- ベルギー王立アカデミー会員
- デンマーク王立科学アカデミー会員
- ストックホルム大学の教員
- 優生学
- パンスペルミア説
- 19世紀スウェーデンの人物
- 20世紀スウェーデンの人物
- ソグン・オ・フィヨーラネ県出身の人物
- ストックホルム大学出身の人物
- 1859年生
- 1927年没