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2013年3月29日 (金) 20:04時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Cessna.fa150k.g-aycf.arp.jpg/220px-Cessna.fa150k.g-aycf.arp.jpg)
セスナ 150︵Cessna 150︶は1950年代後半から、生産されたアメリカ合衆国の軽飛行機である。150シリーズの生産数は23,839機に達し、民間機としては史上4位の生産数である。アメリカ空軍の空軍士官学校でもT-51Aとして3機が練習機などの用途に用いられている。
概要
セスナ 140の後継機として開発された。140が尾輪式であったのに対して、3車輪式とすることによって離着陸の操縦が容易になった。そのためセスナ 172とよく似た外見になったが、172が4座席なのに対しこちらは2座席であるため、キャビンの大きさで容易に見分けることができる。初飛行は1957年9月12日で、1958年9月からカンサス州のウィチタ工場で生産が始まった。1961年から150Aのようにモデル名に末尾にアルファベットがつけられ、1971年までは毎年、改造が加えられモデル名が変えられるようになった。 1969年には曲技飛行用に機体構造強化などの改修を施したA150 エアロバットも登場した。1966年からフランスのレイム・アビエーションでもライセンス生産が始まり、フランス製のセスナ 150はレイム F150と呼ばれ、総生産数は216機に達した。1975年の150Mが最後のモデルとなり、1977年に後継機のセスナ 152に生産が移行するまで生産が続けられた。 構造が簡単で頑丈であり、操縦が容易であることから世界中で練習機として人気を得た。視界は旋回時に旋回方向が翼でさえぎられる上方を除いて良好である。軽量な機体重量と小さい翼面荷重は気流の乱れに対して敏感な特性を有していた。 1950年代のセスナ 150の価格はスタンダード仕様で USD$6,995、練習機仕様で $7940、上級の“Commuter”使用で $8,545であった。特記される飛行
●1964年8月8日 - セスナ 150がアリゾナ州のバリンジャー・クレーターの中を飛行し、下降気流のためにクレーターから脱出できなくなり、失速し地面に衝突した(燃料切れで不時着したとの説は誤り)en:Meteor_Crater#Recent_history。 ●1980年夏 - エミー・ジョンソンのロンドンからオーストラリアのダーウィンまでの飛行から50年になるのを記念して27歳の女性パイロットJan Schönburgが、セスナ 150Fで両市の間を飛行した。この機体はロンドン科学博物館で展示された後、Cessna 150-152 Clubに寄付された。 ●1994年9月12日 - セスナ 150Lでフランク・コーダーがホワイトハウスの南壁に衝突して自殺した。コーダーは死亡したが、他に負傷者はでなかった。 ●1996年 - 60ガロンの燃料タンクを増設したセスナ 150が大西洋を横断してアメリカ合衆国から南アフリカまで、数回着陸しながら飛行した。セスナ 150の関連した航空事故
●1968年3月27日 - ランバート・セントルイス国際空港に着陸しようとした Ozark航空の DC-9-15が セスナ 150Fと衝突、セスナの乗員2名は死亡したがDC-9は着陸できた。 ●1971年1月9日 - ニューアーク国際空港に着陸しようとしたアメリカン航空の ボーイング707-323Cが セスナ 150と衝突、セスナの乗員2名は死亡したがボーイング707は着陸できた。 ●1971年8月4日 - ロサンゼルス国際空港に着陸しようとしたコンチネンタル航空の ボーイング707-324Cが セスナ 150Jと衝突、セスナの乗員2名は負傷したがボーイング707は着陸できた。 ●1975年1月9日 - ロサンゼルス国際空港に着陸しようとしたゴールデンウエスト航空のDHC-6 ツインオッターが セスナ 150と衝突、両機の乗員乗客14名が死亡した。要目︵1977年型セスナ 150M︶
- 乗員: 1名
- 乗客: 1名(オプションのチャイルドシートにより子供なら2名(2人合わせて60kg以内)が搭乗可)
- 全長: 7.3 m
- 全幅: 10.2 m
- 全高: 2.6 m
- 空虚重量: 504 kg
- 最大離陸重量: 730 kg
- エンジン: 1× Continental O-200-A
- 出力 100 hp (75 kW)
- 制限最大速度: 259 km/h
- 巡航速度: 198 km/h
- 失速速度: 78 km/h
- 巡航高度:4,300 m
- 航続距離:678 km
- 上昇率:3.4m/s