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'''ダンディ'''︵{{lang-en-short|dandy}}︶は、身なり・巧みな言葉づかい・余裕ある趣味といったものを特に重視しながら、あくまで無頓着を装ってそれらを追求し、自らに陶酔する男や女の精神を指す<ref>''Cult de soi-même'' [[Charles Baudelaire]], "Le Dandy", noted in Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard ''et al.'' , eds. ''The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years'' 2002</ref>。ダンディは、とりわけ[[18世紀]]後半から[[19世紀]]前半にかけての[[英国]]で自発的に生じ、[[中産階級]]の出自にかかわらず[[貴族]]のライフスタイルを模倣しようと励んだ。
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'''ダンディ'''︵{{lang-en-short|dandy}}︶は、身なり・巧みな言葉づかい・余裕ある趣味といったものを特に重視しながら、あくまで無頓着を装ってそれらを追求し、自らに陶酔する男や女の精神を指す<ref>''Cult de soi-même'' [[Charles Baudelaire]], "Le Dandy", noted in Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard ''et al.'' , eds. ''The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years'' 2002</ref>。ダンディは、とりわけ[[18世紀]]後半から[[19世紀]]前半にかけての[[英国]]で自発的に生じ、[[中産階級]]の出自にかかわらず[[貴族]]のライフスタイルを模倣しようと励んだ。
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ダンディに先行するものとしてプティ・メートルや{{仮リンク|ミュスカダン|en|Muscadin}}が現れていたことは記録上はっきりしているものの<ref>John C. Prevost, Le Dandysme en France (1817–1839) (Geneva and Paris) 1957.</ref>、現在の意味でのダンディズムが最初に現れたのは[[フランス革命]]期にあたる1790年代の[[ロンドン]]および[[パリ]]である。ダンディは「慎み」について自問・批評を繰り返し洗練させていったが、行き着いた先は「シニシズム([[:en:Cynicism (contemporary)|en]])」こそが「知的ダンディズム」であるとする作家[[ジョージ・メレディス]]の定義であった(なおメレディス自身はダンディではない)。もっとも、この時代を扱った『[[紅はこべ]]』のスカーレット・ピンパーネルは、文学史上でもかなりのダンディではある。先のものよりは手厳しくない定義として、[[トーマス・カーライル]]はダンディを単なる「着道楽」としている。[[オノレ・ド・バルザック]]は人間喜劇の1作『金色の眼の娘』(1835年)に、完全な俗人にして非情の人アンリ・ド・マルセーを登場させており、このマルセーははじめ完璧なダンディの要件を満たしていたが、憑りつかれたような恋愛の過程で激しく凶悪な嫉妬が姿を現していった。 |
ダンディに先行するものとしてプティ・メートルや{{仮リンク|ミュスカダン|en|Muscadin}}が現れていたことは記録上はっきりしているものの<ref name="#1">John C. Prevost, Le Dandysme en France (1817–1839) (Geneva and Paris) 1957.</ref>、現在の意味でのダンディズムが最初に現れたのは[[フランス革命]]期にあたる1790年代の[[ロンドン]]および[[パリ]]である。ダンディは﹁慎み﹂について自問・批評を繰り返し洗練させていったが、行き着いた先は﹁シニシズム︵[[:en:Cynicism (contemporary)|en]]︶﹂こそが﹁知的ダンディズム﹂であるとする作家[[ジョージ・メレディス]]の定義であった︵なおメレディス自身はダンディではない︶。もっとも、この時代を扱った﹃[[紅はこべ]]﹄のスカーレット・ピンパーネルは、文学史上でもかなりのダンディではある。先のものよりは手厳しくない定義として、[[トーマス・カーライル]]はダンディを単なる﹁着道楽﹂としている。[[オノレ・ド・バルザック]]は人間喜劇の1作﹃金色の眼の娘﹄︵1835年︶に、完全な俗人にして非情の人アンリ・ド・マルセーを登場させており、このマルセーははじめ完璧なダンディの要件を満たしていたが、憑りつかれたような恋愛の過程で激しく凶悪な嫉妬が姿を現していった。
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[[シャルル・ボードレール]]は、ダンディズム後期の﹁形而上学的﹂段階<ref |
[[シャルル・ボードレール]]は、ダンディズム後期の﹁形而上学的﹂段階<ref name="#1"/>にあってダンディを以下のように定義している。すなわち、ダンディとは[[美学]]を宗教にまで高め、それに則って生きる者のことであり<ref>Charles Baudelaire, Le Peintre de la vie moderne, IX. Le dandy, Calmann Lévy, 1885 (Œuvres complètes de Charles Baudelaire III. L’Art romantique, pp. 91-96).</ref>、その宗教というのは、ただダンディが存在するだけで責任ある中産階級の市民への非難となる、というものである。﹁ある面で、ダンディズムは精神主義および[[禁欲主義|ストイシズム]]に近づいてい﹂き、﹁[充分な資産を持ち労働を免れた]こうした存在は<ref group="注">ダンディのこと。ボードレールは資産と余暇をダンディの要件としている。</ref>、自らにとっての美の観念の洗練、趣味の上での追求、感性と思索とに生きている状態に他ならない。︵中略︶ダンディズムは[[ロマン主義]]の1形態である。考えの足りない世上の連中が信じているらしいこととは裏腹に、ダンディズムは着る物に大はしゃぎをしてみせたり道具立てが逸品であったりすることですらない。こうしたことは、完全なダンディにとっては精神における貴族的優越の象徴以上のものではない。﹂
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﹁何を着るか﹂ということと政治的抗議との結びつきは、イングランドでは18世紀に至ってことに顕著となっており<ref>Aileen Ribeiro, "On Englishness in dress" in ''The Englishness of English Dress'', Christopher Breward, Becky Conekin and Caroline Cox, ed., 2002.</ref>、このことを含み置くと、ダンディズムとはそれまでの貴族に代わって市民が社会を担う[[平等主義]]の時代の勃興に対する、貴族階級によるスタイルを通じた政治的異議申し立てとみなすこともできる。ダンディズムはしばしば封建社会や前工業社会の諸価値、たとえば﹁完璧なジェントルマン﹂や﹁自律せる貴族﹂といったものへの郷愁に執着したが、矛盾したことに、ダンディは観衆を必要とするものであった。[[オスカー・ワイルド]]と[[バイロン卿]]の﹁マーケティング的に成功した人生﹂を調査した Susann Schmid は、両者のうちに作家でありゴシップおよびスキャンダルの発生源・供給源であるという、ダンディというものの公共空間における役割をみてとっている<ref>Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard et al. , eds. The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years 2002</ref>。英国の作家 Nigel Rodgers ︵[[:en:Nigel Rodgers|en]]︶は、天才的なダンディであるというワイルドの地位に疑義を呈し、ワイルドは便宜としてダンディ風な構えをとっただけに過ぎず、求道者に苛烈な要求を課すダンディズムの理念に身を奉げたのではないとみている。
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﹁何を着るか﹂ということと政治的抗議との結びつきは、イングランドでは18世紀に至ってことに顕著となっており<ref>Aileen Ribeiro, "On Englishness in dress" in ''The Englishness of English Dress'', Christopher Breward, Becky Conekin and Caroline Cox, ed., 2002.</ref>、このことを含み置くと、ダンディズムとはそれまでの貴族に代わって市民が社会を担う[[平等主義]]の時代の勃興に対する、貴族階級によるスタイルを通じた政治的異議申し立てとみなすこともできる。ダンディズムはしばしば封建社会や前工業社会の諸価値、たとえば﹁完璧なジェントルマン﹂や﹁自律せる貴族﹂といったものへの郷愁に執着したが、矛盾したことに、ダンディは観衆を必要とするものであった。[[オスカー・ワイルド]]と[[バイロン卿]]の﹁マーケティング的に成功した人生﹂を調査した Susann Schmid は、両者のうちに作家でありゴシップおよびスキャンダルの発生源・供給源であるという、ダンディというものの公共空間における役割をみてとっている<ref>Susann Schmid, "Byron and Wilde: The Dandy in the Public Sphere" in Julie Hibbard et al. , eds. The Importance of Reinventing Oscar: versions of Wilde during the last 100 years 2002</ref>。英国の作家 Nigel Rodgers ︵[[:en:Nigel Rodgers|en]]︶は、天才的なダンディであるというワイルドの地位に疑義を呈し、ワイルドは便宜としてダンディ風な構えをとっただけに過ぎず、求道者に苛烈な要求を課すダンディズムの理念に身を奉げたのではないとみている。
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英国の画家{{仮リンク|セバスチャン・ホーズリー|en|Sebastian Horsley}}は、自身を「暗黒街のダンディ」 "dandy in the underworld" としており、自伝のタイトルにも『暗黒街のダンディ』を用いている<ref>[http://www.newstatesman.com/200610160054 Beautiful and damned], ''[[New Statesman]]'', 16 October 2006</ref>。 |
英国の画家{{仮リンク|セバスチャン・ホーズリー|en|Sebastian Horsley}}は、自身を「暗黒街のダンディ」 "dandy in the underworld" としており、自伝のタイトルにも『暗黒街のダンディ』を用いている<ref>[http://www.newstatesman.com/200610160054 Beautiful and damned], ''[[New Statesman]]'', 16 October 2006</ref>。 |
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日本では、1990年代後半、[[粋]]なセンスを感じさせる男性的な女性ファッションのことをダンディ・ルックと呼んだ。また同じく1990年代後半にはダンディズムは[[ロリータ・ファッション#ロリータ・ファッションの種類|王子ロリ]]となった<ref group="注">この記事の翻訳元である英語版ではこの文章は、﹁日本では、1990年代後半にダンディズムはある種のファッション・サブカルチャーとなった﹂となっており、ファッション・サブカルチャーから Lolita fashion の [[:en: Lolita_fashion#.C5.8Cji_Lolita_.28Boystyle.29|Ōji Lolita (Boystyle)]] の節にリンクが貼られている。この節には、﹁Ōji あるいは Ōji-sama ︵いずれも prince の意味︶は、日本のファッションのひとつで、[[ロリータ・ファッション]]の男性的なヴァージョンとされる。ただし Ōji は典型的なロリータ・ファッションのスタイルに該当せず、むしろヴィクトリア朝期の青年から影響を受けていることから、ロリータ・ファッションとはみなされないことがある。︵改行︶Ōji 的要素としては、ブラウス、シャツ、ニッカーボッカーズなど丈の短いズボン、ニーハイソックス、シルクハット、キャスケットなどがある。色は通常、黒、白、青、ワインレッドが用いられるが、色彩豊かでより女性的な Ōji ファッションも存在する。また、Ōji ファッションの適例は [[ゴスロリブランド一覧|Baby, The Stars Shine Bright]] の Alice and the Pirates ラインから販売されている商品に見ることができる。︵後略︶﹂とある︵[[:en:Lolita fashion]] oldid=731698712 より︶。</ref>。 |
日本では、1990年代後半、[[粋]]なセンスを感じさせる男性的な女性ファッションのことをダンディ・ルックと呼んだ。また同じく1990年代後半にはダンディズムは[[ロリータ・ファッション#ロリータ・ファッションの種類|王子ロリ]]となった<ref group="注">この記事の翻訳元である英語版ではこの文章は、﹁日本では、1990年代後半にダンディズムはある種のファッション・サブカルチャーとなった﹂となっており、ファッション・サブカルチャーから Lolita fashion の [[:en: Lolita_fashion#.C5.8Cji_Lolita_.28Boystyle.29|Ōji Lolita (Boystyle)]] の節にリンクが貼られている。この節には、﹁Ōji あるいは Ōji-sama ︵いずれも prince の意味︶は、日本のファッションのひとつで、[[ロリータ・ファッション]]の男性的なヴァージョンとされる。ただし Ōji は典型的なロリータ・ファッションのスタイルに該当せず、むしろヴィクトリア朝期の青年から影響を受けていることから、ロリータ・ファッションとはみなされないことがある。︵改行︶Ōji 的要素としては、ブラウス、シャツ、ニッカーボッカーズなど丈の短いズボン、ニーハイソックス、シルクハット、キャスケットなどがある。色は通常、黒、白、青、ワインレッドが用いられるが、色彩豊かでより女性的な Ōji ファッションも存在する。また、Ōji ファッションの適例は [[ゴスロリブランド一覧|Baby, The Stars Shine Bright]] の Alice and the Pirates ラインから販売されている商品に見ることができる。︵後略︶﹂とある︵[[:en:Lolita fashion]] oldid=731698712 より︶。</ref>。ダンディという言葉は、魅力的だが比較的高齢で、装いの良い男性を指すこともあり、この場合通常40代後半から50代が該当する{{要出典|date=2012年1月}}。
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スペインでは19世紀前半にダンディズムに関連して興味深い現象が起こった。英国とフランスでは中産階級が貴族の作法を取り入れたのに対し、スペインでは貴族が下層階級の伊達男︵{{仮リンク|マホ|en|Majo}}︶の流儀を取り入れたのである。スペインのマホたちは、当時のフランスかぶれである{{仮リンク|アフランセサド|en|Afrancesado}}とは、凝った服装と独自のスタイルとから対照的存在であり、態度の生意気で横柄なことではとりわけであった。スペインにおける著名なダンディとしては、やや時代が下るが第12代{{仮リンク|オスナ公爵|en|Duke of Osuna}}{{仮リンク|マリアノ・テジェス=ヒロン|es|Mariano Téllez-Girón y Beaufort Spontin}}、画家[[サルバドール・ダリ]]、詩人{{仮リンク|ルイス・セルヌーダ|en|Luis Cernuda}}が挙げられる。
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スペインでは19世紀前半にダンディズムに関連して興味深い現象が起こった。英国とフランスでは中産階級が貴族の作法を取り入れたのに対し、スペインでは貴族が下層階級の伊達男︵{{仮リンク|マホ|en|Majo}}︶の流儀を取り入れたのである。スペインのマホたちは、当時のフランスかぶれである{{仮リンク|アフランセサド|en|Afrancesado}}とは、凝った服装と独自のスタイルとから対照的存在であり、態度の生意気で横柄なことではとりわけであった。スペインにおける著名なダンディとしては、やや時代が下るが第12代{{仮リンク|オスナ公爵|en|Duke of Osuna}}{{仮リンク|マリアノ・テジェス=ヒロン|es|Mariano Téllez-Girón y Beaufort Spontin}}、画家[[サルバドール・ダリ]]、詩人{{仮リンク|ルイス・セルヌーダ|en|Luis Cernuda}}が挙げられる。
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<blockquote>ダンディは美学的手段を通じて自らの統一を作りだす。しかしその美学は否定の美学である。ボードレールに言わせれば、﹁鏡の前に生き、死ぬ﹂というのがダンディの標語だが、これはたしかになかなか言い得て妙である。しかしダンディの実際の在り様はこれとは逆であって、ダンディというものは挑発によってしか存在することができない。かつて人は自らの則るべき調和を造物主から引き出していた。しかし神との断交を聖別した瞬間から、人は自分の生には寄る辺もなにもなく、日々はまったく無意味で、感覚は無為に費やされると感じるようになった。それゆえ人は自らをその手に引き受けなければならない。ダンディは自らの力を奮い立たせ、すさまじい拒絶によって自らに統一を作りだす。放蕩者としてのダンディは、人並みの人生を逸脱して生きる全ての人同様、役者でしかありえない。しかしこの役者は世間を必要とする。ダンディは自分の演ずべき役を世間との対比において設定し演じることしかできない。ダンディは他人の表情にしか自らの生を実感することができない。他人が彼の鏡なのだ。この鏡はすぐに曇ってしまうが、それもそのはずで、というのも人の注意力には限りがあるからである。それは絶えず挑発によって刺激されなければならない。それゆえダンディは常に耳目を驚かせるよう駆り立てられているのである。奇矯であることがダンディの使命であり、このことはダンディから洗練や完成への道を奪ってしまう。ずっと半端なまま、物事の序の口のところをうろついて、他人に自分を有らしめるよう強い、しかも他人の価値を認めないのである。ダンディは人生を演じるが、それはダンディには人生を生きることができないからである。<ref>{{cite book|first=Albert|last=Camus|authorlink=Albert Camus|title=[[The Rebel (book)|The Rebel: An Essay on Man in Revolt]]|date=2012|publisher=Knopf Doubleday Publishing Group|isbn=9780307827838|page=51|chapter-url=https://books.google.com/books?id=t_3yQrhdxwUC&pg=PA51|accessdate=11 October 2014|chapter=II Metaphysical Rebellion}}</ref></blockquote>
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<blockquote>ダンディは美学的手段を通じて自らの統一を作りだす。しかしその美学は否定の美学である。ボードレールに言わせれば、﹁鏡の前に生き、死ぬ﹂というのがダンディの標語だが、これはたしかになかなか言い得て妙である。しかしダンディの実際の在り様はこれとは逆であって、ダンディというものは挑発によってしか存在することができない。かつて人は自らの則るべき調和を造物主から引き出していた。しかし神との断交を聖別した瞬間から、人は自分の生には寄る辺もなにもなく、日々はまったく無意味で、感覚は無為に費やされると感じるようになった。それゆえ人は自らをその手に引き受けなければならない。ダンディは自らの力を奮い立たせ、すさまじい拒絶によって自らに統一を作りだす。放蕩者としてのダンディは、人並みの人生を逸脱して生きる全ての人同様、役者でしかありえない。しかしこの役者は世間を必要とする。ダンディは自分の演ずべき役を世間との対比において設定し演じることしかできない。ダンディは他人の表情にしか自らの生を実感することができない。他人が彼の鏡なのだ。この鏡はすぐに曇ってしまうが、それもそのはずで、というのも人の注意力には限りがあるからである。それは絶えず挑発によって刺激されなければならない。それゆえダンディは常に耳目を驚かせるよう駆り立てられているのである。奇矯であることがダンディの使命であり、このことはダンディから洗練や完成への道を奪ってしまう。ずっと半端なまま、物事の序の口のところをうろついて、他人に自分を有らしめるよう強い、しかも他人の価値を認めないのである。ダンディは人生を演じるが、それはダンディには人生を生きることができないからである。<ref>{{cite book|first=Albert|last=Camus|authorlink=Albert Camus|title=[[The Rebel (book)|The Rebel: An Essay on Man in Revolt]]|date=2012|publisher=Knopf Doubleday Publishing Group|isbn=9780307827838|page=51|chapter-url=https://books.google.com/books?id=t_3yQrhdxwUC&pg=PA51|accessdate=11 October 2014|chapter=II Metaphysical Rebellion}}</ref></blockquote>
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[[ジャン・ボードリヤール]]は、ダンディズムは﹁ニヒリズムの美学的形態﹂であると述べている<ref>{{cite web |url=http://www.egs.edu/faculty/jean-baudrillard/articles/simulacra-and-simulations-xviii-on-nihilism/ |title=Jean Baudrillard – Simulacra and Simulations – XVIII. On Nihilism |publisher=Egs.edu |date= |accessdate=16 February 2013 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130419220351/http://www.egs.edu/faculty/jean-baudrillard/articles/simulacra-and-simulations-xviii-on-nihilism/ |archivedate=2013年4月19日 | |
[[ジャン・ボードリヤール]]は、ダンディズムは﹁ニヒリズムの美学的形態﹂であると述べている<ref>{{cite web |url=http://www.egs.edu/faculty/jean-baudrillard/articles/simulacra-and-simulations-xviii-on-nihilism/ |title=Jean Baudrillard – Simulacra and Simulations – XVIII. On Nihilism |publisher=Egs.edu |date= |accessdate=16 February 2013 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130419220351/http://www.egs.edu/faculty/jean-baudrillard/articles/simulacra-and-simulations-xviii-on-nihilism/ |archivedate=2013年4月19日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
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Carlos Espartaco はアメリカの哲学者で詩人の Eduardo Sanguinetti について以下のように述べている。 |
Carlos Espartaco はアメリカの哲学者で詩人の Eduardo Sanguinetti について以下のように述べている。 |
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*{{仮リンク|エドワード・ヒューズ・ボール・ヒューズ|en|Edward Hughes Ball Hughes}} |
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*[[アンリ・ファルジュ]] |
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*[[ポール・ブールジェ]] |
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*[[ジョージ・ブライアン・ブランメル]] |
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*オノレ・ド・バルザック |
*[[オノレ・ド・バルザック]] |
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*[[デヴィッド・ボウイ]] |
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*[[ブライアン・フェリー]] |
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*{{仮リンク|フラヌール|en|Flâneur}} - 19世紀フランスの風俗。 |
*{{仮リンク|フラヌール|en|Flâneur}} - 19世紀フランスの風俗。 |
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*{{仮リンク|ゴムー|fr|Gommeux}} - 19世紀フランスの風俗。 |
*{{仮リンク|ゴムー|fr|Gommeux}} - 19世紀フランスの風俗。 |
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*{{仮リンク|ジュード|en|Dude}} - 19世紀から20世紀にかけての米国でダンディを指した言葉。現代では意味が異なる。
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*[[フラッパー]] - 1920年代の欧米の風俗。 |
*[[フラッパー]] - 1920年代の欧米の風俗。 |
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*[[モボ・モガ]] - 1920年代の日本の風俗。 |
*[[モボ・モガ]] - 1920年代の日本の風俗。 |
2024年1月13日 (土) 12:00時点における版
語源
﹁Dandy﹂という語の起源はよくわかっていない。1770年代には、それまで服装や見た目が極端であることを指す言葉だった﹁eccentricity﹂が、人々の奇矯な振る舞い全般に用いられはじめ[6]、それと並行して﹁dandy﹂という言葉も18世紀後半にはじめて現れている。アメリカ独立戦争直前にあたる時期には、植民地アメリカ市民の貧乏を言い立てぞんざいな作法をわらう﹁ヤンキードゥードゥル﹂が歌われたが、その1番の歌詞から読み取れるのは、周囲にまさってダンディたらんとする者は優れた馬と金の組み紐で飾った服を要する︵そのような者は﹁イタリアかぶれの伊達男﹂という意味で皮肉をこめて﹁マカロニ﹂と呼ばれた︶にもかかわらず、平均的植民地アメリカ市民の経済力があまりにも低かったため、1頭のポニーと身を飾る2、3枚の羽根飾りさえあれば仲間内で群を抜いたダンディとみなされ、そうしたダンディは米人よりさらに野暮ったい旧大陸側の同胞︵英国兵︶との比較においてもダンディであり、英国兵自身も米国のそうした伊達者が周囲から殊絶しているとみなすことさえあった、ということである[7]。少しのちの1780年頃、スコットランドのバラッドにも﹁dandy﹂という単語が現れるが[8]、ここでの﹁dandy﹂にはこの項目で扱っているような含みはまずないようである。﹁Dandy﹂のもともとの形はおそらく﹁jack-a-dandy﹂というものであったらしい[9]。﹁Dandy﹂はナポレオン戦争期には流行語となった。当時の用法としては、﹁dandy﹂と﹁fop﹂は異なるものとされており、﹁dandy﹂の装いの方が上品で落ち着いているとみなされていた。 21世紀現在の英語では、﹁dandy﹂という語は、﹁fine﹂ないし﹁great﹂の意味をおどけて、またしばしば皮肉を込めて表す形容詞である。また名詞としては身なりの整った男を指すが、それに加えて自分のファッションを絶対視している場合に﹁dandy﹂と呼ぶことが多い。ボー・ブランメルと英国における初期ダンディズム
フランスにおけるダンディズム
その後の展開
後代の考察
アルベール・カミュは、1951年の﹃反抗的人間﹄で以下のように述べている。 ダンディは美学的手段を通じて自らの統一を作りだす。しかしその美学は否定の美学である。ボードレールに言わせれば、﹁鏡の前に生き、死ぬ﹂というのがダンディの標語だが、これはたしかになかなか言い得て妙である。しかしダンディの実際の在り様はこれとは逆であって、ダンディというものは挑発によってしか存在することができない。かつて人は自らの則るべき調和を造物主から引き出していた。しかし神との断交を聖別した瞬間から、人は自分の生には寄る辺もなにもなく、日々はまったく無意味で、感覚は無為に費やされると感じるようになった。それゆえ人は自らをその手に引き受けなければならない。ダンディは自らの力を奮い立たせ、すさまじい拒絶によって自らに統一を作りだす。放蕩者としてのダンディは、人並みの人生を逸脱して生きる全ての人同様、役者でしかありえない。しかしこの役者は世間を必要とする。ダンディは自分の演ずべき役を世間との対比において設定し演じることしかできない。ダンディは他人の表情にしか自らの生を実感することができない。他人が彼の鏡なのだ。この鏡はすぐに曇ってしまうが、それもそのはずで、というのも人の注意力には限りがあるからである。それは絶えず挑発によって刺激されなければならない。それゆえダンディは常に耳目を驚かせるよう駆り立てられているのである。奇矯であることがダンディの使命であり、このことはダンディから洗練や完成への道を奪ってしまう。ずっと半端なまま、物事の序の口のところをうろついて、他人に自分を有らしめるよう強い、しかも他人の価値を認めないのである。ダンディは人生を演じるが、それはダンディには人生を生きることができないからである。[17] ジャン・ボードリヤールは、ダンディズムは﹁ニヒリズムの美学的形態﹂であると述べている[18]。 Carlos Espartaco はアメリカの哲学者で詩人の Eduardo Sanguinetti について以下のように述べている。 ﹁ダンディだけが、ストア派的試みの最期の継承者であって、自身を1個の物として﹁見た目﹂の世界に置くことで、﹁モード﹂︵というものはダンディとおそらく不可分だが︶の名の下に流行を逃れたのである。実際、流行に真空を召喚してはじめて、︵非・流行としての︶ダンディを規定する流行を征服することができるのだが、その真空というのは﹁いまここの感覚とは何千キロも隔たった﹂ものなのである。そして Eduardo Sanguinetti にとって、流行に﹁真空﹂を召喚するとは︵Sanguinetti が﹁反・流行﹂や﹁外見﹂といった文脈で用いる複合戦略の用語で言うと︶自己を完全にうつろにすることを意味し、それにより時から解放されるが、ただし新たに生まれ出ずる良きものは欠かさず登録するという努力は否定されない。この境地に至ることは、ボードレールの言うところの﹁ヘラクレスが双肩に担う﹂大地からの視点を獲得することに近い。[19]クウェインチュレル
著名なダンディ
- オックスフォード・ウィッツ
- アンディ・ウォーホル
- エヴァンダー・ベリー・ウォール
- ボニ・ド・カステラーヌ
- ノエル・カワード
- セーレン・キェルケゴール
- ジョージ・グロス
- ジャン・コクトー
- モーリス・ラヴェル
- ジャック・ダデルスワル=フェルサン
- サルバドール・ダリ
- エリー・ド・タレーラン=ペリゴール
- ガブリエーレ・ダンヌンツィオ
- ベンジャミン・ディズレーリ
- ウィリアム・トラヴィス
- ウジェーヌ・ドラクロワ
- エドゥアール・マネ
- アルフレード・ドルセー
- ボー・ナッシュ
- ジョージ・ゴードン・バイロン
- アブラーム・バルデロマール
- ジュール・バルベー・ドールヴィイ
- エドワード・ヒューズ・ボール・ヒューズ
- アンリ・ファルジュ
- ポール・ブールジェ
- ジョージ・ブライアン・ブランメル
- オノレ・ド・バルザック
- デヴィッド・ボウイ
- ブライアン・フェリー
- ロバート・パーマー
- セバスチャン・ホーズリー
- シャルル・ボードレール
- ロベール・ド・モンテスキュー
- オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン
- トーマス・レークス
- シャルル・ロトゥール=メズレー
- オスカー・ワイルド
-
ボー・ブランメル(1778 - 1840)
-
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798 - 1863)
-
ドルセー伯爵アルフレード・ドルセー(1801 - 1852)
-
英国首相ベンジャミン・ディズレーリ(1804 - 1881)
-
ジュール・バルベー・ドールヴィイ(1808 - 1889)
-
1844年のシャルル・ボードレール(1821 - 1867)
-
オスカー・ワイルド(1854 - 1900)