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「ペドロ・ディニス」の版間の差分

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実際、初年度はフォルティの戦闘力の低さもあってディニスは際立った走りを示すことは無かった。また、[[モータースポーツ]]の最高峰であるF1においては、およそ聞いた例の無い『ドライビング・アドバイザー』なるコーチ役([[ルネ・アルヌー]])を伴いレースに臨む姿(同僚の[[ロベルト・モレノ]]も自分のレースよりもディニスのコーチ役に尽力していた)は、F1ドライバーとしての能力を疑問視する根拠は揃っていた(日本のメディアからも、「ブラジルのお坊っちゃま」「裕福なブラジリアン」等と揶揄した発言もあった)。そうしたことから、翌年、中堅チームのリジェに移籍することが発表された際には、驚きとともにフランス人スタッフの大量解雇によるスポンサー額の大幅な減額などでディニスのスポンサーマネーに頼らなくてはならないほどリジェの資金難が浮き彫りになった。言うまでもなく、この移籍はスポンサーの移籍を伴うものであり、ディニスという資金源を失ったフォルティは翌年途中でF1からの撤退を余儀なくされた。

実際、初年度はフォルティの戦闘力の低さもあってディニスは際立った走りを示すことは無かった。また、[[モータースポーツ]]の最高峰であるF1においては、およそ聞いた例の無い『ドライビング・アドバイザー』なるコーチ役([[ルネ・アルヌー]])を伴いレースに臨む姿(同僚の[[ロベルト・モレノ]]も自分のレースよりもディニスのコーチ役に尽力していた)は、F1ドライバーとしての能力を疑問視する根拠は揃っていた(日本のメディアからも、「ブラジルのお坊っちゃま」「裕福なブラジリアン」等と揶揄した発言もあった)。そうしたことから、翌年、中堅チームのリジェに移籍することが発表された際には、驚きとともにフランス人スタッフの大量解雇によるスポンサー額の大幅な減額などでディニスのスポンサーマネーに頼らなくてはならないほどリジェの資金難が浮き彫りになった。言うまでもなく、この移籍はスポンサーの移籍を伴うものであり、ディニスという資金源を失ったフォルティは翌年途中でF1からの撤退を余儀なくされた。




[[1996]]3[[|GP]][[|]]"Diniz in the Oven"

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それでも、第6戦[[1996年スペイングランプリ|スペインGP]]でディニスは初入賞を記録するが、第5戦[[1996年モナコグランプリ|モナコGP]]で当時のチームメイト[[オリビエ・パニス]]の優勝や第6戦[[1996年スペイングランプリ|スペインGP]]では[[ミハエル・シューマッハ]]のフェラーリ移籍後の初優勝ということもあり、その結果は陰に埋もれてしまったうえ、第6戦は完走6台中の6位入賞であったため、完走した点は評価すべきだが、大きな注目を集めることはなかった。しかし、第11戦[[ドイツグランプリ|ドイツGP]]ではパニスを上回るグリッドを獲得。第14戦[[イタリアグランプリ|イタリアGP]]でも今季2度目の入賞を果たし彼に対する評価が変わり始める。

それでも、第6戦[[1996年スペイングランプリ|スペインGP]]でディニスは初入賞を記録するが、第5戦[[1996年モナコグランプリ|モナコGP]]で当時のチームメイト[[オリビエ・パニス]]の優勝や第6戦[[1996年スペイングランプリ|スペインGP]]では[[ミハエル・シューマッハ]]のフェラーリ移籍後の初優勝ということもあり、その結果は陰に埋もれてしまったうえ、第6戦は完走6台中の6位入賞であったため、完走した点は評価すべきだが、大きな注目を集めることはなかった。しかし、第11戦[[ドイツグランプリ|ドイツGP]]ではパニスを上回るグリッドを獲得。第14戦[[イタリアグランプリ|イタリアGP]]でも今季2度目の入賞を果たし彼に対する評価が変わり始める。



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極めて潤沢なスポンサーマネーを抱え、そこそこ以上の走りもできることから、翌2001年のシートも、2000年末で切れるザウバーとの契約を延長して残留、あるいは[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]エンジンを搭載するため資金を欲していた[[プロスト・グランプリ]]へ移籍するための仮契約を既に済ませている、などという数々の噂がささやかれた。

極めて潤沢なスポンサーマネーを抱え、そこそこ以上の走りもできることから、翌2001年のシートも、2000年末で切れるザウバーとの契約を延長して残留、あるいは[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]エンジンを搭載するため資金を欲していた[[プロスト・グランプリ]]へ移籍するための仮契約を既に済ませている、などという数々の噂がささやかれた。




1230退

1230退


== その後 ==

== その後 ==


2022年5月8日 (日) 14:39時点における版

ペドロ・ディニス
Pedro Diniz
ペドロ・ディニス (2016年)
基本情報
フルネーム ペドロ・パウロ・ファリロス・ドス・サントス・ディニス
Pedro Paulo Falleiros dos Santos Diniz
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
出身地 同・サンパウロ
生年月日 (1970-05-22) 1970年5月22日(54歳)
F1での経歴
活動時期 1995-2000
所属チーム '95 フォルティ
'96 リジェ
'97-'98 アロウズ
'99-'00 ザウバー
出走回数 99 (98スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 10
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1995年ブラジルGP
最終戦 2000年マレーシアGP
テンプレートを表示

Pedro Paulo Falleiros dos Santos Diniz, 1970522 - 

F1


Pão de açucar

1987174

1989 

1990F3

19911992F3


1993F3000

2

F1F3000F1

F1

1995GP


1995F1

F3000F1

F1()姿()F1F1退

19963GP"Diniz in the Oven" 6GP5GP6GP66611GP14GP2


199712GP鹿16GP

1998GPGP
2000GP


199963

2000

退


20012000

1230退

PPD

40%2001姿8

PPD2002PPD

西退2006

レース戦績

略歴

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
1989 ブラジリアン・フォーミュラ・フォード1600 ? 11 ? 0 ? ? 0 6位
1990 フォーミュラ3・スダメリカーナ英語版 ダーカー 12 0 0 1 1 4 15位
1991 イギリス・フォーミュラ3選手権 ウエスト・サリー・レーシング 14 0 0 0 0 1 12位
1992 エデンブリッジ・レーシング 15 0 0 0 2 8 12位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 0 0 20位
イギリス・フォーミュラ3000英語版 1 0 0 0 0 0 -
1993 国際フォーミュラ3000英語版 フォルティ・コルセ 8 0 0 0 0 0 -
フォーミュラ3・スダメリカーナ ? 1 0 0 0 0 0 -
1994 国際フォーミュラ3000 フォルティ・コルセ 8 0 0 0 0 3 12位
1995 フォーミュラ1 パルマラット・フォルティ・フォード 17 0 0 0 0 0 NC
1996 リジェ・ゴロワーズ・ブロンズ 16 0 0 0 0 2 15位
1997 ダンカ・アロウズ・ヤマハ 17 0 0 0 0 2 16位
1998 ダンカ・ゼプター・アロウズ 16 0 0 0 0 3 14位
1999 レッドブル・ザウバー・ペトロナス 16 0 0 0 0 3 14位
2000 16 0 0 0 0 0 NC

イギリス・フォーミュラ3選手権

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
1991年 ウェスト・サリー・レーシング 無限ホンダ A SIL
6
THR
Ret
DON
DNS
BRH
Ret
BRH
7
THR
Ret
SIL
8
DON
8
SIL
DSQ
SIL
8
SNE
9
SIL
Ret
BRH
Ret
DON
Ret
SIL THR 12位 1
1992年 エデンブリッジ・レーシング A DON
Ret
SIL
14
THR
3
BRH
3
THR
Ret
BRH
Ret
SIL
DNS
SIL
10
DON
Ret
SNE
Ret
SIL
Ret
PEM
Ret
SIL
Ret
DON
8
THR
8
SIL
11
12位 8

国際フォーミュラ3000

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 DC ポイント
1993年 フォルティ・コルセ DON
Ret
SIL
Ret
PAU
DNQ
PER
7
HOC
Ret
NÜR
16
SPA
14
MAG
11
NOG
14
NC 0
1994年 SIL
Ret
PAU
Ret
CAT
10
PER
Ret
HOC
Ret
SPA
9
EST
4
MAG
Ret
13位 3

フォーミュラ1

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1995年 フォルティ FG01 フォード EDB 3.0 V8 BRA
10
ARG
NC
SMR
NC
ESP
Ret
MON
10
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
13
ITA
9
POR
16
EUR
13
PAC
17
JPN
Ret
AUS
7
NC 0
1996年 リジェ JS43 無限ホンダ MF301HA 3.0 V10 AUS
10
BRA
8
ARG
Ret
EUR
10
SMR
7
MON
Ret
ESP
6
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
6
POR
Ret
JPN
Ret
15位 2
1997年 アロウズ A18 ヤマハ OX11A 3.0 V10 AUS
10
BRA
Ret
ARG
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
ESP
Ret
CAN
8
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
7
ITA
Ret
AUT
13
LUX
5
JPN
12
EUR
Ret
16位 2
1998年 A19 アロウズ T2-F1 3.0 V10 AUS
Ret
BRA
Ret
ARG
Ret
SMR
Ret
ESP
Ret
MON
6
CAN
9
FRA
14
GBR
Ret
AUT
Ret
GER
Ret
HUN
11
BEL
5
ITA
Ret
LUX
Ret
JPN
Ret
14位 3
1999年 ザウバー C18 ペトロナス SPE-03A 3.0 V10 AUS
Ret
BRA
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
ESP
Ret
CAN
6
FRA
Ret
GBR
6
AUT
6
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
Ret
EUR
Ret
MAL
Ret
JPN
11
14位 3
2000年 C19 ペトロナス SPE 04A 3.0 V10 AUS
Ret
BRA
DNS
SMR
8
GBR
11
ESP
Ret
EUR
7
MON
Ret
CAN
10
FRA
11
AUT
9
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
11
ITA
8
USA
8
JPN
11
MAL
Ret
NC 0

関連項目

外部リンク