「世泰親王」の版間の差分
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'''世泰親王'''︵ |
'''世泰親王'''︵よやすしんのう/ときやす―、[[生没年不詳]]︶は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[南朝 (日本)|南朝]]の[[皇族]]。[[長慶天皇]]の[[皇子]]で、母は[[従二位]]教子と推定される。
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事績については全く不明であり、わずかに『[[新葉和歌集]]』哀傷・1389-1390の贈答歌と[[詞書]] |
事績については全く不明であり、わずかに『[[新葉和歌集]]』哀傷・1389-1390の贈答歌と[[詞書]]によって、親王の名が知られているに過ぎない。 |
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:世泰親王かくれ給て、如意輪寺にをさめ侍 |
:世泰親王かくれ給て、如意輪寺にをさめ侍し又の年、従二位教子かの寺にこもり侍けるに、夜更るまゝに仏事のこゑなど、松風にたぐひて聞えければ、たまはせける<br />{{右|right|[[御製]]}}<br /> |
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松陰を思ひやるこそ悲しけれ千世もといひし君が心に<br /> |
松陰を思ひやるこそ悲しけれ千世もといひし君が心に<br /> |
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:御返し{{右|right|従二位教子}}<br /> |
:御返し{{右|right|従二位教子}}<br /> |
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思はずよ松は千とせの友ならで絶ぬなげきの |
思はずよ松は千とせの友ならで絶ぬなげきの陰と見んとは |
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|『新葉和歌集』 巻第19・哀傷歌}}</td> |
|『新葉和歌集』 巻第19・哀傷歌}}</td> |
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<td>[[File:Tomb of Prince Yoyasu.jpg|250px|thumb|世泰親王墓]]</td></tr></table> |
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すなわち、親王が[[崩御#薨去|薨去]]して[[如意輪寺]]に葬られた翌年、教子が寺に籠って[[冥福]]を修していたところ、[[長慶天皇]]が[[御製]]を賜ってこれを慰め、教子も和歌を奉答したという。二首 |
すなわち、親王が[[崩御#薨去|薨去]]して[[如意輪寺]]に葬られた翌年、教子が寺に籠って[[冥福]]を修していたところ、[[長慶天皇]]が[[御製]]を賜ってこれを慰め、教子も和歌を奉答したという。二首が親王の冥福時の贈答であることに加え、子に先立たれた人々の歌群に属することから考えても、作者の天皇と教子を親王の父母と解釈するのが最も自然である。また、如意輪寺に葬られていることからすれば、薨去の時期は[[吉野行宮]]が置かれた[[文中]]2年/[[応安]]6年︵[[1373年]]︶から[[天授 (日本)|天授]]4年/[[永和 (日本)|永和]]4年︵[[1378年]]︶の間となろう。
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なお、[[近世]]においては、﹃新葉集﹄中の﹁御製﹂を全て[[後亀山天皇]]の作と取り違えていたため、親王も同天皇の皇子と誤られていた。中には、[[一品]][[大宰帥]]︵[[南朝系図]]・﹃[[系図纂要]]﹄︶あるいは[[東宮]]︵﹃[[南朝公卿補任]]﹄︶として、[[天授 (日本)|天授]]3年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]︵[[1377年]][[8月14日]]︶に18歳で薨去したと記すものもあるが、全く根拠のない俗説である。
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なお、[[近世]]においては、﹃新葉集﹄中の﹁御製﹂を全て[[後亀山天皇]]の作と取り違えていたため、親王も同天皇の皇子と誤られていた。中には、[[一品]][[大宰帥]]︵[[南朝系図]]・﹃[[系図纂要]]﹄︶あるいは[[東宮]]︵﹃[[南朝公卿補任]]﹄︶として、[[天授 (日本)|天授]]3年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]︵[[1377年]][[8月14日]]︶に18歳で薨去したと記すものもあるが、全く根拠のない俗説である。
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[[Category:室町・安土桃山時代の男性皇族]] |
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2015年2月15日 (日) 17:51時点における版
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参考文献
- 林水月 『南朝遺蹟吉野名勝誌』 吉川弘文館、1911年、NCID BN10544350
- 芝葛盛 「長慶天皇の皇胤について」(『史苑』第2巻第1号 立教大学、1929年4月、NCID AN0009972X)
- 小木喬 『新葉和歌集―本文と研究』 笠間書院、1984年、ISBN 9784305101815
- 岸本愛彦 「長慶天皇皇胤考」(『家系研究』第38号 家系研究協議会、2004年、NCID AN10258954)